2020/3/29(日)曇り。
☆二度寝して12時半、起床。今日、プールは休業日。午後、朝刊をめくる。昨日の「みちものがたり、生野コリアタウン」に誘われて、金時鐘『猪飼野詩集』を再読する。手元には、東京新聞出版局版(1978/10)と岩波現代文庫版(2013/12)がある。金さんとは兵庫県立湊川(みなとがわ)高校(定時制)を通じて出会い、「部落問題全国交流会」にお招きしたり、『こぺる』で対談させていただいた。わたしより10歳年長、つまり91歳の金さん。お元気かな。

☆「朝日歌壇」(3/29M)で松田莉子さん、わこさん姉妹の短歌を読む。「友達と大学生になったらの話をしているうちに3月」(富山市・松田わこ。高野公彦・永田和宏共選)・「握り寿司体験もある就活が少し楽しくなってくる春」(富山市・松田梨子。永田和宏選)。永田和宏選評「松田わこさんはめでたく大学に合格。梨子さんはもう就活か。」◆松田姉妹を見つめる歌人たちの温かい眼差しがうれしい。

☆原武史「歴史のダイヤグラム 戦後初の総選挙を読むと」(3/28M)〇(1946年)4月10日の投票の結果、京都府では日本社会党の候補者が最多票を得たのをはじめ、3人が当選した。(略)この総選挙では女性に初めて参政権が認められ、京都府でも3人の女性が当選した。国務大臣だった小林一三は、「婦人の当選者も多いのには驚いた。正に世界一だ。米国は下院議員四百三十五名の中、僅(わずか)に九名、英国は六百十五名の中二十三名、我国では四百六十何名の中、驚く勿(なか)れ、三十九名」と記ししている。(『小林一三日記』第二巻)。日本の女性議員の割合が「世界一」とされた時代があったこと自体、いまとなっては驚異というほかない。◆あの日、京都市内は晴天。投票所から帰宅した母親(当時39歳)のうれしいそうな顔を、わたしはいまも覚えている。そのとき、わたしは「國民学校初等科2年生」だった。あれから74年。世の中は変わったのだろうか。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。