2020/2/17(月)晴れ。
☆12時半、岐阜県庁議会棟1階食堂で日替わりランチ(コーヒー付き。700円)を食べる。1時半から、「令和元年度 岐阜県地方改善審議会」に出席。会長職務代行者に選ばれる。県担当者からの今年度の取り組みと次年度関係予算案について報告あり。最後に会長から指名され、「身近なところから深く感じ、広く考えることの大切さ」について持論を語る。3時半、プールと買い物。

☆「無言清掃 心磨く?不自然?-ひざつき水拭き→正座し黙想→拍手で締め-各地の小中学校に広がる」(2/17M)〇おしゃべりを一切せず、無言で掃除する風景が全国各地の小中学校で広がっている。「無言清掃」「自問清掃」など、名前は様々だ。いったい何のための沈黙か。(萩一晶記者)◆1970/10、岐阜大学教育学部に着任して驚いたことはいろいろあるが、いま話題の「教育実習校・研修校」で「黙働清掃」が励行されていたことも、そのひとつだった。わたしは若いころ、京都市右京区の曹洞宗・安泰寺に出かけて座禅したことがある。澤木興道さんの「接心」に参加し、内山興正さんとの会話を楽しんだ。内山さんとは、お亡くなりになるまで交信があった。ある日、「いろいろ妄想が浮かびまして」と言うと、内山さんは「それで、いいんです。そういう自分を見つめることが『座禅』なんですから」とおっしゃった。書架から、澤木興道『禅に生きる』(誠信書房。1957/2)や『内山興正老師遺稿集 いのち楽しむ』(大法輪閣。2006/6)などを引き出し、お二人の写真を眺めて懐かしむ。禅宗の真似はしないほうがいい。禅宗が迷惑する。わたしは「黙働」より「喧働」、がやがややりながら掃除をしたい。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。