19/1/10(木)晴れ。
☆8時、起床。11時、プールへ。フルメニューを楽しむ。買い物はサンドイッチなど。▲友人から80歳の誕生日を祝福するメールが届く。しかし、いまや「人生百年時代」だという。今年の年賀状に、「いよいよ人生の第三か第四コーナーを回ります」と書いたが、「第三コーナーを回ります」と書くべきだったかなと反省。▲午後3時半から孫3人が順次、帰宅する。眞一君が夕方、耳鼻科へ。一希君と莉子さんは元気だ。▲鴨長明『方丈記』から離れられない。おそらく最終章「そもそも、一期(いちご)の月影傾きて」が、こころに響いているからだろう。簗瀬一雄(やなせ・かずお)訳注『方丈記』(角川ソフィア文庫)をときどき開いてしまう。

☆「縛られる中学生 何かおかしい」(無職・安藤邦緒。岐阜県・69歳。「声」1/10M)〇先日、隣市に住む公立中2年の孫娘と会話する時間が持てた。「持てた」というのは、月曜から日曜まで、起床から就寝まで超過密のスケジュールだからだ。小学生時代はよく遊びに来ていたが、中学進学と同時に会えなくなった。冬は部活が早く終わり夕方帰宅。これで自由になるわけではなく、月曜と木曜は部活の「夜練習」がある。火・水・金曜日は学習塾。土・日。祝日は部活の練習か対外試合で埋まる。時間に束縛されるだけではない。制服や持ち物、髪形、行動指針などたくさんの校則でがんじがらめにされ、教科の学習内容も難しくなり、宿題も多く、精神的にも圧迫されている。日本では人間の一生のうち、中学生が一番縛られていないか。不登校や引きこもりの生徒の中には縛られ過ぎに耐えきれ時不適応を起こしている子も多くいると思う。中学時代は自分の時間をつくり、将来の進路をじっくり考え、自己を静かに見つめ、読書いそしむことが大切ではいか。だがそれには程遠い。彼らにゆとりある生活を保障してあげたい。▲孫娘の日常を凝視し、「ゆとりある生活を保障してあげたい」と願う祖父の気持が伝わってくるが、その立場は、わたしとちょっと違う。わたしは、孫たちの暮らし方・生き方については、基本的に両親が考えることで、わたしたち祖父母は見守り役に徹すべきだというものだ。

☆「ささやかな挨拶 社会救うかも」(交換留学生・林雨欣。神奈川県・20歳。「声」1/10M)〇日本に来て、あることに気づいた。バスに乗ると、乗客が運転手に「おはようございます」、降りる時は「ありがとうございました」と自然に挨拶する光景だ。そして、運転手も必ず一言返事する。「郷に入っては郷に従え」という言葉通り、私もまねして、運転手に挨拶してみたら「はい、どうも」という返事をもらった。自分自身で体験して、この「短い会話」に魅力を感じた。深い意味が込められていると思う。例えば「お疲れ様。運転手さんのおかげで無事通学できます」「理解してくれて、ありがとう。仕事も続けて頑張るよ」などお互いを理解し合う温かい気持ちを感じた。一方、中国ではバス転落事故が起こった。降車場所で降り損ねた乗客が停車を要求して運転手と口論になり殴り合いを始め、バスは制御を失い長江に転落、多くの人が犠牲になった。日本のバスの中のように乗客と運転手の挨拶があれば、もしかしたら惨事は避けられたかもしれない。さらに、挨拶し合うことは、社会が抱える様々な問題をよい方向に向けてくれるのではないかと感じている。▲48年前、1970年秋に岐阜へ移り住んで驚いたことのひとつが、バスを降りる乗客が運転手に「ありがとうございました」とお礼の挨拶をすることだった。それまで住んでいた京都市では見かけない光景で、以来、わたしも運転手さんには必ずお礼の言葉を伝えることにしている。それがどんな影響を及ぼすか、それはわからない。しかし、ひとときでも「こころ温かく向き合えた関係への感謝」を伝えるのは、いい風習・慣行だと思う。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。