18/7/13(金)晴れ。猛暑。
☆8時、起床。9時過ぎ、西改田簡易郵便局で振り込みを1件。プールへ。アクア・コーチの絶叫と踊りにしか見えないパフォーマンスに耐え切れず、ハーフメニューで退散する。イオンでサンドイッチをゲット。▲玄関ドアーの開く音がする。一希がオレンジ・ジュースを抱いて出ようとしていた。「おばあちゃんに伝えたかい?」とたずねると、「うん」との返事。どうも、自宅からわが家に立ち寄り、冷蔵庫からジュースを取り出し、友だちのところへ持参するつもりらしい。しかし、 それも成長の一過程と思うが、。父さんにはメールで報告しておく。▲池澤夏樹『詩のなぐさめ』(岩波書店。15/11)の「岑参(しんじん)の『胡笳(こか)の歌』と憧れの原理」、「『玉台新詠集』と漢詩のやわらかい訳」、「唐詩の遠近法とゴシップ的距離」を再読する。中国詩関連のものは離れの書架にしまっているが、書斎に移そうかな。

☆「優しかったホームレスの秀さん」(中学生・飯田芹奈。東京都・13歳。「声」7/12M)〇突然ですが、皆さんはホームレスと呼ばれる人たちのことをどう思っているでしょうか。「努力をしなかっただめな人間」など悪いイメージを持っている方が多いと思います。確かに実際そうかもしれません。しかし私はそうは思いません。ホームレスの皆が皆、悪い人だとは限らないのです。私は8歳の時、ホームレスさんに助けてもらったことがあるのです。友達と多摩川で遊んでいて、石につまずき転んでしまいました。泣いていると、そのホームレスさんがやってきて、傷の手当てをしてくれました。その人の名前は「秀さん」といいます。最初怖かったのですが、手当てをしてくれた後、ジュースやあめ玉もくれました。この人はいい人なんだなあと思い、私は心から「ありがとうございました」と言いました。すると秀さんは「また遊びにおいで」としわのある顔をニッコリと緩め、私が見えなくなるまでお見送りをしてくれたのです。ホームレスだって秀さんのような心温かい人もたくさんいると思います。なので私はホームレスの人たちが悪い人だと思いません。▲秀さんとの出会いによって「人をひと括りにする」ことの愚かさを飯田さんは感じとったのだ。

☆「あまりに酷い『どけクソジジイ』」(パート・松尾幸子。佐賀県・73歳。「声」7/13M)〇誰もが好きで高齢者になったわけではない。どんな人でも必ずいつかは、自然の摂理で高齢者になることを声を大にして言いたい。スーパーでゆっくりカートを押す男性がいた。後ろから高校生くらいの若者2人が近づいてきて、「じいさん、邪魔!」と言った。耳が遠いのか反応がない。若者は「クソジジイ!」と怒鳴り、振り向いた男性に「どけ!」と言ってレジへ向かった。男性は怒るでもなく、弱々しく笑っただけだった。あまりの酷(ひど)さに見ている私の方が腹が立ち、「失礼かね!」と叱責(しっせき)した。すると、振り向きざまに「うるさい、クソババア!」とののしられた。何と嘆かわしい世の中か。キミにも祖父母がいるはず。その存在があったればこそ、今のキミがあることに気づいてほしい。私たち高齢者だって、若い頃は懸命に働き、大なり小なり社会に貢献してきたと自負している。感謝しろとは言わない。せめて、「すみません」と言って道をあけてもらう余裕が欲しいだけ。疲れ果てた高齢者に、もう少し優しい心遣いはできんとかね?▲おそらく2人の若者は、家庭や学校、地域で、「人との生き合い方」を身につけることができなかったのだろう。政治や社会に広がっている、感情のままに「人をやっつける」風潮の一端を垣間見る気がする。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。