2019年12月

『石牟礼道子全歌集 海と空のあいだに』。

2019/12/31(火)晴れ、ときどき時雨れ。風が強い。
☆午後、マーサ21で、郵便貯金と十六銀行の通帳記入をすませ、帰宅後、家計簿を締める。午後、記事の整理と読書。前田健太郎『女性のいない民主主義』(岩波新書)を読み終え、『石牟礼道子全歌集 海と空のあいだに』(弦書房。19/10)を読み始める。◆『水俣フォーラムNEWS』(41号。12/28)が届く。

☆「民生委員で元気に 1期目終了」(主婦・坂口美穂子。熊本県・73歳。「声」12/31M)〇今年一番の喜びは、民生委員・児童委員の1期3年を無事終えたことだ。熊本地震のあった2016年に肺がんの手術を受けた。半年後、不安もあったが元気なうちに微力でも地域活動ができたらと思い、引き受けた。定例会、いきいきサロン、子育てサロン、地域や学校の行事に参加する。高齢者の見守り訪問では相談を受けたら関係機関へのつなぎ役になる。赤ちゃん訪問もあり。外出が増えた。民生委員になってよかった。地域の方々と知り合いになり、高齢の方の力強い生き方に励まされた。赤ちゃんに触れ、若いお母さんからは元気をもらう。小中学生ともあいさつを交わす。術後経過検診のための年2回の通院以外は病気を忘れるほどだ。全国的に民生委員のなり手は不足で欠員が増えている。私は健康に注意して、75歳までもう1期続ける。◆肺がん手術を乗り越えて民生委員・児童委員を引き受けた投稿者の躍動するお気持が伝わってきて、励まされた感じだな。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

池田町立八幡小学校から感想文が届く。

2019/12/30(月)曇り、ときどき小雨。
☆1時、プールへ。フルメニューを楽しむ。5%引きのイオンは大賑わい。カミサン依頼の「アマニ油マヨネーズ」などをゲットする。帰宅後、記事の整理と読書。

☆「立法22年 描いた夢に出会えた」(元衆院議員・田中真紀子。東京都・75歳。「声」12/30M)〇23歳の大学生の投稿「相手を知れば優しくできる」(20日)が目にとまった。電車でおばあさんに「座りませんか」ととっさに声をかけた。その行動ができたのは、教員免許取得のための介護体験があったからだと。教員免許の取得要件に、高齢者施設や養護学校などでの体験を義務づける「介護体験特例法」は、1997年に成立した。法律は私が在職中に手がけた数本の議員立法のなかで、最も苦労したものである。(略)あれから22年。当時1歳だった投稿者の文面は、私の心を大きく揺さぶった。「高齢者の方々と接し、その温かさ、懐の深さを知った」との素直な表現は、まさに私が求めていたもの。理想としていた人物像が突然はっきりと姿を現してくれた。人生にこんな感動があるのだろうか。◆いい話だなあ。

☆「ふじ田せんせいへ」(八幡小学校1ねん2くみ、H・R)-ぼくは、ごはんにいのちがあるのは、わかりませんでした。でもふじ田せんせいがいっしょうけんめいおこめにはな(花)がさいておこめになるよ、とおしえてくれたのですき(好き)きらいなくたべていきたいです。☆「ふじ田先生へ」(3年2組、H・M)-わたしは、ふじ田先生が「目をつぶって、もう一人の自分と向き合いましょう。」と言った時、もう一人の自分て何に?自分は、一人しかいないのに・・・と思いました。そして二回目やった時、もう一人の自分と向き合うの、意味が分かった気がしました。今までの自分を、ふり返って、すなおになる意味だ思いました。わたしは、きつく注意してしまうので、ぜったいにきつく注意しないようにしようと、決めました。今日は、心にひびくようなお話をしてくださりありがとうございました。☆「人けんについて考えた事」(4年、I・A)-わたしは目をつぶって、いじめた事はありますかのしつもんで、手をあげなかったけど、1つ心に残っている事があります。1~2年前1人の女の子に、むしをしたり少し悪口を言ってしまった事があります。でもあやまらずに、今もすごしています。今日ふじ田先生が、いじめの話を聞いて、このきかいをもってあやまりたいと思いました。人間ウソはつきます。でもぜったいにいじめはしません。☆「ひびき合い集会を終えて」(5年、I・N)-私は、心を入れかえようと思いました。藤田先生の話を聞いている時、正直少しつらかったです。それはきっと「自分が大きくなったら藤田先生みたいに『こうかい』してしまうのではないか」と思ってしまったからです。なので、私は、今あやまってこうかいしないよう一歩一歩、ゆっくりとあせらず正しい道を進みたいと思います。☆「ふじ田先生の話を聞いて」(6年、T・K)-「あいさつは命のたしかめ」、この言葉におどろきました。私はあいさつをするということは、相手も自分も元気になるからだと思いました。(略)そして、心の中にいる自分、目をとじてたしかめてみると、やっぱりうそはつけない、うそをつくとこころがもわもわしました。ありがとうございました。◆八幡小学校「ひびき合い集会」(12/5)の感想文に励まされる。今夜は、ここまで。ではまた。おやすなさい。

「樹木希林さんに頼りすぎ」という批評文を読む。

1912/12/29(日)晴れ。
☆11時半、イオンへ。プールで遊び、5%引きのイオンで、カミサン依頼の「アマニ油マヨネーズ」や「ブラックニッカ・クリアブレンド」4Lなどをゲットする。帰宅後、記事の整理と読書。

☆武田砂鉄(ライター)「ひもとく-今年売れた本-『自分で考えて』という人に頼りすぎ」(12/28M)〇今年は、どの書店を訪ねても、入り口付近に積み上げられた樹木希林の微笑みに出迎えられた。昨秋亡くなって以降、彼女の言葉が「名言」として伝えられ続けているが、本人がどう考えていたかといえば、「私の話で救われる人がいるって?それは依存症というものよ。あなた、自分で考えてよ」(「AERA」2017年5月15日号)であった。(略)生前、一度だけじっくりと話す機会に恵まれたが、自分について語ること、まとめられることへの警戒心を強く持っていた。世間体を無視して、自分で考えて生きる姿勢が、同調圧力が一向に改善されない日本社会の拠り所となった。繰り返すが、彼女は「自分で考えてよ」と言っていたのだ。樹木希林があちこちで頼られすぎた1年だった。◆大事なのは「身近なところから深く感じ、広く考え、自分の言葉で表現する」こと。有名人の「片言隻句」に頼るのは愚かしい。

☆「朝日歌壇」(12/29M)から〇「障害は不便であれど不幸ではないなど軽く言いたくはなし」愛知県・清水将一。佐佐木幸綱選。障害当事者の述懐への違和感。「不便と不幸」の狭間にあるものを凝視したい。今夜は、ここまで、ではまた。おやすみなさい。

「社会人」って何んだろう?

2019/12/28(土)晴れ、ときどき小雨。
☆12時半、寺島書店で支払いをすまし、プールへ。フルメニューを楽しみ、イオンで買い物を少し。帰宅後、記事の整理と読書。

☆「社会人に育てる視点 学校に欠如」(高校教員・沼尾光弘。栃木県・54歳。「声」12/25M)〇教育考差点「校則 ブラック化してる?」(1日本紙)を読んだ。私はブラック化と同時に、教育の継続性の観点からも問題を感じている。私の長女が中学校に入学した5年前、登下校のスニーカーは白地であれば他の色のラインが入っていても良かった。だが校則は変わり、今同じ中学校で、長男のスニーカーは真っ白に限定されている。一方、高校は寛容になった。わたしが新人教員の頃、スニーカーの規則は現在の中学校と同じだった。今、大半の高校が複数色をを認める。革靴も黒だけから茶色系もOKになった。先日、ある中学校での高校説明会に赴き、生徒から「通学用自転車の色は何色ですか」と質問された。私は「安全なら色の制限はありません」と答えた、質問した生徒も含め、、多くの保護者がうなずいた。中学校の先生はどう思っただろう。校則だからと強要していることが高校では無くなる。生徒も、中学校への不信感が増すだろう。いずれ、誰もが社会人になる。社会に通用しない不合理な規則を強いる意味はあるか。生徒を学校から社会へとつなぐ継続性の視点が、学校に欠けている気がしてならない。◆小中学校も高校も、世の中に出て「一人前の働き手」として生きるための常識を身に付けさせる教育機関だということらしい。しかし、投稿者が指摘するとおり、スニーカーの色ひとつとっても中学と高校では食い違っている。それはどういうことか。教員たちに「社会人になる」ということの意味が理解できていないからではないか、いや、もっと言えば、教員自身に「社会人としての自覚」が欠けているのかもしれないな。今夜は、ここまで。おやすみなさい。ではまた。

年末・年始の日程に入る。

2019/12/27(金)晴れ。ときおり小雨。
☆10時、寺島書店で「2020年 庚子 元旦」日付の年賀状300枚を受け取る。11時半、プールへ。フルメニューを楽しみ、イオンで買い物。岐阜市人権啓発センターから来年1月開催予定の「岐阜市人権教育・啓発推進協議会」関連の日程(20/1/23・31)の案内が届く。新年始動は、岐阜県「多様な性に関する懇話会」(20/1/20)だ。体調維持に気をつけるべし。

☆「岐阜市・中3いじめ自殺  実習校見直しの動き-『教師のリーダー』育成校で悲劇」(12/27M)・「回顧 2019@岐阜 いじめ見落とした『実習校』-中3転落死 第三者委が報告書」(12/27M)を読む。「朝日」朝刊は13版、つまり前日の最終発行。夕刊は3版、つまり当日早朝の発行らしい。わが家は岐阜市北西部の郊外にあるが、それほど辺鄙なところではない。にもかかわらず、朝刊と夕刊の記事が重複する。前掲の記事もそう。しかし、よく読むと、2稿目(夕刊)は詳しくなっている。「取材を通じて『実習校』で働く教師に話を聞く機会があり、こう打ち明けてくれた。『研究発表の前になると“外の人にどう評価されるか”を考えて授業したり、子どもにあいさつや掃除の指導をしたりしてしまう』。そして、自問した。『実習校の教師は、たしかに一生懸命に指導している。しかし、子どもも自然に、先生が求めるような発言をするようになっているのではないか』。授業を充実させる研究は、教師の大切な仕事だと思う。しかし教師が“外の眼”を意識しすぎて忙しくなってしまうと、教師が生徒と向き合い、その思いを聴く時間を奪ってしまわないだろうか。生徒も教師に本音を伝えられるだろうか。(高木文子記者)」。おそらく問題の核心は、「教員の多忙」ではなく、こういうシステムが再検討されることなく60年も継続されてきた「精神の惰性」にある。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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藤田 敬一

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