2018年12月

鴨長明『方丈記』を再読し始める。

18/12/31(月)晴れ。
☆11時、イオン・プールへ。フルメニューを楽しんだあと、十六銀行・ゆうちょ銀行・JAバンクの通帳記入。帰宅して家計簿を締める。すべて必要経費、無駄遣いなしと納得する。午後、安良岡康作(やすらおか・こうさく。東京学芸大学名誉教授。1917-2001)『方丈記 全訳注』(講談社学術文庫。09/1、第43刷)を読み始める。高校時代、古文・漢文は好きだったが、それはあくまでも受験用の話。15、6歳の青年には敷居が高かった。この年齢になり、ようやく身近なこととして読めるようになった感じだな。

☆鷲田清一「折々のことば」(12/31M)〇けっしてことばにできない思いが、ここにあると指すのが、ことばだ。長田弘。死んだ人は「どこにもいない」のではなく、「どこにもゆかない」のだと、詩人は言う。死んだ人は私の記憶の中にあって「年をとらない」。そうと知って、歩くことをやめた。ここ(傍点)が「いちばん遠い場所」だと気づいた。死んだ人、話すこともなかった人ともここ(傍点)で語らうことができるようになったと。言葉になりえないものを大切にするために言葉はある。詩集『詩ふたつ』から。▲長田弘さんとその詩を教えてくれたのは、高知の友人、野町均さんだった。その縁で、長田さんに部落問題全国交流会で記念講演をしてもらったことがある。友人というのはありがたい。

☆「方言 ふるさとの芸術─豊かな響き 共通語では表現しきれぬ世界」(12/31M)▲わたしが関西弁で講演をし始めたのはいつだったか。たしか「“べきである。ねばならぬ”では肩が凝る」と思い定めるようになったころからだ。「藤田先生の方言が温かかった」と豊田市の小学生が感想文に書いてくれたことがある。うれしかったなあ。関西風のノリに反発する教員もいるが、わたしは、わたしの道を行くつもりだ。

☆今夜は「大晦日」。先ほどから、TVは「OK牧場の決斗」(1957年。バート・ランカスター、カーク・ダグラス)を放映している。このあとは、「シェーン」(1953年。アラン・ラッド、B・デ・ワイルド)だ。京都の実家から30分ほどのところに「島原国際」という映画館があり、アメリカの西部劇を観た。もう一つ、中新道(なかしんみち)に「壬生(みぶ)館」という、邦画2本建ての映画館もあり、そこで時代劇を存分に楽しんだものだ。だからわたしは、映画やラジオを媒介にした「活劇・落語・漫才・浪曲・講談」といった大衆文化の影響をたっぷり浴びている。恥ずかしいとは思わない。それが、わたしの基礎だから。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

中学生の「声」に耳を澄ます。

18/12/30(日)晴れ。
☆10時前、起床。朝食をとりながら、朝刊を読む。11時過ぎ、プールへ。フルメニューを楽しむ。プールは1/3まで休館だという。いやはや。イオンでの買い物はサンドイッチのみ。午後、新聞記事の切り抜きと整理に励む。▲堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫。88/9)を読み終える。高校生だったわたしにとって、『方丈記』は「古文」の範疇を出なかったが、堀田さんの「1945/3/10東京大空襲」体験を重ねての叙述に堪能。いい読書になった。明日から『方丈記』(安良岡康作訳注、講談社学術文庫)を読むことにする。

☆「戦争の語り部の言葉を胸に生きる」(中学生・糟谷百叶。愛知県・13歳。「声)12/30M)〇私はこの夏「平和研修旅行」で戦争に関わる場所に行き、平和について考えるようになりました。福岡の太刀洗平和祈念館では、特攻隊で死ぬとわかっていながら「国のため」という思いで死地に向かった人がたくさんいたことを知り、悲しくなりました。長崎原爆資料館では戦争体験者のお話を聞き、「昔を知り、今を生き、未来をつくる」という言葉は、今の時代を生きる私たちに向けられていると思いました。絶対に戦争のことを忘れてはいけません。私は戦争体験者の言葉を胸に、日々過ごしたいと思います。二度と日本が戦争を起こさないよう、多くの人が戦争を知る必要がある、私はそう思います。
☆「『核禁条約批准を』改めて思う」(中学生・羽田蒼馬。長野県・14歳。「声」12/30M)〇核兵器禁止条約が国連で採択されてから1年が過ぎた。その間、朝鮮半島の非核化に向けた「平壌共同宣言」など世界で大きな動きがあった。だが日本は一貫して条約に背を向けている。非核化をうたう国は多いのに、いぜん世界から核兵器はなくあんらない。僕は昨年米国を訪れ、「核の危険性について考えたことがない」「原爆の投下によって戦争が終わり、安全になった」という意見を聞いた。被爆の苦しみを知ろうとせず角野危険性に無関心な人々に、核抑止論を唱える政治家が支えられている。しかし、核によってつくられた安全はほんとうの平和とはいえない。核兵器を向けられた人々は核の脅威におびえながら生活している。核の力を背景に相手を脅すのではなく、話し合いで物事を解決できる状態こそ、真の平和だ。この実現のために、核兵器禁止条約は有効だ。被爆の苦しみを知る日本こそ、条約を批准し、唯一の戦争被爆国として核の悲惨さを訴え、核保有国に非核化の働きかけをすべきだ。僕は改めてそう思った。
   ▲中学生お二人からの投稿を読み、中学時代の自らを振り返り、正直言って感嘆した。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

勘違いして早起きしてしまう。

18/12/29(土)雪。午後、止む。
☆資源回収日だと勘違いし、8時に起床したが、カミサンに「12月22日だったでしょ」と笑われたしまった。9時、チャチャを動物病院に連れて行く。体重3.6㌔、体温37.2度。11時過ぎ、マーサ21へ。イオン・プールでフルメニューを楽しんだあと、イオンで買い物。今日は5%引き。カミサン依頼の「国産春雨」5袋や、「ブラックニッカ・クリアブレッド」4Lなどをゲットする。午後、記事の切り抜きと整理、読書に励む。

☆「表札 それでも出しませんか?」(郵便局員・秋元忍。東京都・60歳。「声」12/28M)〇過日、テレビで「表札」に関する街頭インタビューが流れていました。「表札を出して(個人情報を)悪用されたらイヤだという否定的な意見でした。残念に思いました。(略)表札を出さずに、正しく早く郵便物を届けて欲しいというのは、電話番号も教えずに電話しろとか、名前のない名刺を渡しておきながら分からないほうが悪いとか、そういう主張をしているのとあまり変わらないと思います。表札を出すリスクはあるかもしれません。でも誤記や遅配、不着などなどを回避するために表札は欠かせません。表札を出さないのも各自の勝手だと思われるかもしれませんが、それで他のお宅の配達が遅れることだってあり得るのです。「お客様は神様」ですが、ご協力も頂きたいのです。皆さんはどう思われますか。▲60歳のベテラン職員の意見。さて、どう返答すべきか。わが家は、門柱に「FUJITA」と刻んであるだけ。重要な郵便物については、職員は必ず「本人確認」をしてくださる。それでいい。

☆渡辺京二(思想史家)「人に情をもてなくなったら地獄」(「語る 人生の贈りもの」12/28M)〇いくら稼いだか、どれだけ業績を上げたか。そんなことが人の価値を測るものさしになって久しい世の中ですが、みんな死ぬ時はただの人間、無職ですから。職業や社会的地位なんか関係なく、いい仲間たちと出会って、好きなことをやったらいいんです。若いころから雑誌をつくってはつぶしの人生でしたが、人と人とを結びつけてきたとは言えるでしょうか。人に情をもてなくなったら、それこそ生きるのは地獄です。▲「人に情をもつ」とは、どういうことだろうか。わたしは「生き合う中での共感と同感」だと思う。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

家族のつながりを思う。

18/12/28(金)晴れ。
☆9時、目覚める。サンドイッチを食べ、コーヒーを飲みながら、朝刊に目を通す。昼前、寺島書店で年賀状300枚を受け取る。▲午後、プールへ。フルメニューを楽しむ。イオンの買い物はサンドイッチなど少しだけ。夕方から家族・親戚あての「年賀状」を書く。改めて思うのだが、わたしは藤田優さん(1905~58)と絹子さん(1907~90)につながる家族の最年長者になっている。しかし、みなさんは、しっかり生きている。もし、わたしに何かできることがあればいつでも支援したいと思う。

☆「視線がつらい・・・私も─やまゆり園事件④」(12/27E)〇知的障害がある娘を連れた母親の言葉が忘れられない。「この子を連れていると、街でじっと見られることがある。何も悪いことはしていないけれど、本当にいたたまれない気持ちになる。視線がつらいんです。」絞り出すような声だった。「みなさんには分からないでしょうけど」。「分かります」と思わず口にしそうになった。私の父はイタリア出身だ。私は山口県で生まれ、高校を卒業するまで過ごした。両親が離婚するまで名乗っていた姓は「モチェオ」。日本人の母親と街を歩くだけで「ホームステイですか」と声をかけられた。日本語が通じないと思われ、「ガイジンがいる」とささやかれた。小学校の時は、名前も知らない上級生が「この漢字読めるか」と聞きに来た。初対面の同級生に「アメリカ人、国に帰れ」と怒鳴られた。目の色、肌の色。自分ではどうしようもない「見た目」で線を引かれ、区別される。「こうなりたい」と思って生まれくる人はいない。この世に生れてみたら「こうだった」だけなのに。(前田朱莉亜)▲「見た目問題」は、わたしたちの人間観の根幹に関わる。それにしても、家庭や学校での「教育」が気になる。おそらく明治維新から150年、わたしたちの「人間観・人種観」に大きな変化はなかったのだろうなあ。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

恵那西中学校の感想文を読む。

18/12/27(木)晴れ、ときどき時雨。
☆8時過ぎ、「おじゃましまーす!」という一希君の声が、起床の号令となった。朝食をとりながら朝刊に目を通す。午後、イオン・プールでフルメニューを楽しむ。買い物はなし。

☆中津川人権擁護委員協議会事務局長の山田敏之さんから、「先生の講話を聞かせて頂いた人権擁護委員から、先生のお話とそれを聞く生徒の姿に感動したという報告がありました。私も、昨年に続き、先生の温かい目で生徒を見ることと、他を思いやるために自分に向けてこれでいいのかと厳しいい目で見直すことの大切さを学ばせて頂きました」とのお便りと共に、恵那西中学校での「人権講演会」(12/11)の感想文が届く。以下、ほぼ原文のまま。
 〇私は、「差別をなくすことはできない。けど、差別を減らすことはできる」という言葉がとても心に残りました。「人間とは差別をするものだから、なくすことはできない」と聞いて、「なるほど」と思いました。でも、減らせることができるなら、私は将来、差別を減らすことに貢献できたらいいなあと思いました。
  〇私は、人権講話をきいて、藤田さんの言ったことが、よく心に伝わった1時間となりました。楽しく、真剣に、人権について考えられました。いじめのことについて手をあげるとき、1回目は正直になれず、不安もあって、手をあげられなかったけど、2回目は手をあげて、自分の気持ちに正直になることができました。藤田さんの話には、説得力があって、とても良かったです。「人は変われる」。その言葉が心に響きました。貴重な話をありがとうございました。
  〇僕は今までは、いじめのようなことをしたり、いじめを見て見ぬふりをしていました。藤田先生の「人は変わることができる」といったことから、自分はもっと成長していこうと思いました。(略)目をつむって自分と向き合う時、自分はうそをついていたんだなぁと思いました。藤田先生、ありがとうございました。
  〇「話をきいてほしいと思っているなら、話をきいてほしいと思っている人が、きいてもらえるよう頑張らないいけない」ということが印象に残りました。藤田先生の話は、その言葉通り、きく人がききたくなるようにはなしていて、とても分かりやすくて、楽しくきけました。私は、外見や中身で、人を差別的に見てしまうことがあります。いじめはしていないけど、「この人より自分は上だな」とか思っていたので、これからは変えていきたいです。今回はありがとうございました。▲生徒さんたちの自己内対話による感想がすばらしい。励まされる。

☆「許し合って生きたい」(さいたま市・瀬戸桃子。主婦・42歳。「ひととき」12/27M)〇インフルエンザの予防接種を受けに、病院に行った時のこと。待合室は大勢の人で混み合い、空気もモアっとしている。そんな中、3歳ぐらいの男の子が我慢できず騒ぎ始めた。仕方がないなという雰囲気だったが、1人の女性が男の子の母親に「ちょっと静かにさせて」と注意した。ところが、母親は問診票を書くのに集中していて気づいていない。男の子はさらに駆け回り、年長さんくらいのお姉ちゃんがおいかけている。弟をつかまえて、「ダメだよ、静かにしようね」と必死に声をかけている。その時、先ほどの女性が、男の子が落としたぬいぐるみを邪魔そうに蹴った。私は腹が立ってぬいぐるみを拾い上げ、2人に「大丈夫だよ」と声をかけた。女性は中学生と思われる息子と一緒だった。彼女も、子どもが小さいころには同じような経験をしたのではなかったか。「許そうよ」と言いたかった。でも、ふと気づいた。この人に対して怒っている今の自分にも言えるな、と。家から一歩外へ出れば、いろいろな人がいる。許し合って、温かな時間を過ごしたいと思った。▲「他者の言動が許せなくなってしまう自分と向き合う」こと。教えられた感じだな。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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藤田 敬一

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