2017年09月

月末、家計簿を締める。

17/9/30(土)晴れ。
☆8時起床。資源ゴミをJA七郷支店の集荷場に運ぶ。今日は子ども会が担当だとか。お礼を申し上げる。10時半、チャチャをオアシス動物病院に。体重3.96㌔、体温37.4度。帰路、北方町の寺島書店に立ち寄り、今月分の書籍代を支払う。午後、プールへ。今日はイオン5%引き。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4Lなどをゲットする。通帳記入をして家計簿を締める。すべて必要経費だと確認する。アッハッハ。夕方、庭に水を撒く。クチナシの白い花が咲いているけれど、これでいいんかなあ。

☆桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』(平凡社新書)を読み終える。浄土教の世界をどう考えたらいいのか、いまもってわからない。消化不良の感じが否めない。

☆鷲田清一「折々のことば」(9/23M)〇死者の過ごしてきた人生のキャンパスの上に残る、描かれざる余白を、われわれは恣意的にぬりつぶすわけにはいかない。霜山徳爾。死の翳(かげ)は生と対立するものではない。もし人が死ねないとしたら人生はなんとも疎ましいものになるかと、臨床心理学者は言う。たしかに人の死とともに亡骸(なきがら)は腐りゆく。が、亡き人の「面影」は人びとの中で生き続ける。消え去ったものとしてではなく、残された者に、折にふれて生の意味を問いかけるものとして。『人間の限界』から。▲死者が問いかける「わが生の意味」。

☆「水銀汚染根絶 一緒に─水俣条約COP1 坂本さん演説」(9/29M)〇スイス・ジュネーブで開かれている水俣条約の第1回締約国会議(COP1)で28日、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん(61歳)=熊本県水俣=が、閣僚級会合前の公式行事「水俣への思いを捧げる時間」でスピーチした。水銀被害で不自由な体で声を振り絞り、「女の人と子どもを守ってください。一緒に(水銀汚染の根絶を)していきましょう」と訴えた。▲記事には坂本さんのスピーチ全文が掲載されている。水俣病の歴史は、この国の企業と政府、そして、わたしを含めた国民の「いのちへの尊敬」の脆弱さを撃つ。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

大変なミスをしてしまう。

17/9/29(金)晴れ。
☆10時、カミサンを北方中学校で同僚だったTさん宅に送る。帰宅して講演日程を確認していたら重大なミスに気づく。10/4の講演が重なっているではないか。手帳への記入を忘れていたのだ。慌ててお詫びとキャンセルの電話を高山市の「飛騨うりす苑」に入れる。申しわけないことをしたと猛省。▲午後、TV「やすらぎの郷」最終回ワイド版を観て、プールへ。フルメニューを楽しんだあと、買い物を少し。カミサンを北方町まで迎えに行く。Tさんは88歳だとか。車中からご挨拶する。▲一希と眞一が予定に反して、留守中のわが家に下校し、自転車で友だちのところへ遊びに出かけたみたい。行動範囲が広がってきたということだろうが、ちょっと心配になる。

☆小村田義之(こむらた・よしゆき。政治社説担当)「社説余滴─ほんとうに強い人とは」(9/29M)〇幼稚園に通う君に手紙を書こうと思ったのは、この前、お父さんのツイッターを読んだからです。〈朝のニュース速報をちらちら見して幼稚園に行った息子が帰ってくるなり「ミサイルどうなった?」と聞くので、「海に落ちた。みんな無事だったよ」と答えると、「でも・・・うみのいきものたちが・・・」と心配していて、(そのまま大人になって・・・)と感動したんだけど、そのまま大人になるとさかなクンさんになるのか〉。お父さんは、イラストレーターのトリバタケハルノブさん。15日朝、北朝鮮のミサイルが日本上空を越えて太平洋に落ちた時のことです。大人でも、何とも言えない不安に包まれた。それなのにまだ5歳の君が、東京のマンションから、ミサイルが落ちた先にいる海の生き物たちを思いやっていた。お父さんは、君を誇りに思ったに違いありません。最近の大人たちからは、思いやりに欠ける言葉が聞こえてくることが多い。(略)そんななか、君は人として大切なことを教えてくれたように思うのです。(略)最近、思います。ほんとうの強さとは何でしょう。たとえば、思いやりのある人こそ、ほんとうに強いのかもしれません。他者への想像力を持ちながら、忍耐づよく問題を軟着陸に導く。それが出来るのが強い人ではないでしょうか。来年の春には君も小学生ですね。いつかこの手紙をすらすら読めるようになったころ「そういえばミサイルの避難訓練なんてあったね」と、笑い話ができる日が来ることを心から願っています。▲北朝鮮のミサイルが落下した海には生き物がいる。わたしたちは、そのことを想像しただろうか。勇ましい言葉を弄する人が強いとは言えない。「思いやりのある人こそ、ほんとうに強いのかもしれません」。「思いやり」とは、思いを相手のところに遣わすこと、つまり想像力を指す。わが身を振り返る必要がありそうだな。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

愛媛県今治市・・・。

17/9/28(木)晴れ。
☆午後、プールへ。買い物は少し。孫3人が元気に帰ってきた。一希は信号厳守を肝に銘じたみたいでホッとする。

☆10月上旬、カミサンが香川県に帰省するにあたって、息子(K2)と莉子が同行することになった。息子は親父のふるさと、大島(現・今治市)に出かけたいという。いま話題の今治市だ。親父には姉と兄がいたが、その家族とは音信不通で、訪問しても困惑なさるはず。その旨伝えると、風景を見たいだけだとのこと。息子は幼いころ、おふくろに宮窪へ連れて行ってもらったことが懐かしいらしい。親父とおふくろにつながる血縁関係を大切にしたいと思うけれど、これがなかなか難しくて。

☆大阪の友人、Sさんからお便りと新聞記事が届いた。〇久々にお手紙を認めているのは、同封した新聞の記事で、藤田さんが私に寄せて下さった言葉の色々を有り難く思い出したからです。記事は、「武田砂鉄の気になるこの人」で、今回のゲストは熊谷晋一郎さんの言葉。「自立は、依存先を増やすこと」、「愚痴るとは、ギャップを連帯資源にする優れた方法です。“なかなかうまくいかないね”と言い合いながら、他者と交流し、共に生きる。」私の、明るく振舞いながらも、心の底にある、“刺”、“申し訳ない感”、“障碍”等々の絡み合った根を、平易な言葉で解きほぐして下さった藤田さんとの交流をとても温かい気持ちで思い出しました。▲「相模原事件の背後に『貢献原則』と社会的排除」との見出し記事(毎日新聞9/23M)が同封されていた。聞き手は竹田砂鉄さん(1982年、東京生まれ)、ゲストは熊谷晋一郎さん(1977年生まれ。新生児仮死の後遺症で脳性まひに。小児科医。東京大准教授)。読み応えのある対談だった。Sさんにどんなアドバイスをしたのか覚えていないけれど、思い出してくださったことに感謝する。

☆劉永昇(風媒社編集長。1963年生まれ)「本の虫─難民への想像力」(9/26M)〇先進国の中でも日本は難民にもっとも固く門戸を閉ざした国として知られる。(略)たとえば難民認定者数のデータとして、15年には申請者7586人に対して認定数はわずか27人。認定率は1%に遠く及ばないことが示される。いま最新の16年を見ると、申請者数1万901人に対し認定数は28人。認定状況はますますシビアになっているようだ。(略)国、行政の冷ややかさは、わたしたち自身の無関心の表れでもある。都市に住む多くの外国人の中に、ひとりの難民が存在すると想像できる人が、はたしてどれほどいるだろうか。今年の国連難民映画祭(10/21、22。名古屋市内)のサブタイトルは「観なかったことにできない映画祭」という。難民の存在を身近に知るための絶好の機会と思う。▲難民受け入れ拒否の背景にあるものは何だろう。一部の固陋な政治家の偏狭なナショナリズムだけではないような気がする。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

駐車場に3台の少年用自転車が止まっていた。

17/9/27(水)曇り、のち雨。
☆午後、プールへ。買い物は少し。帰宅すると、一希と友だちの自転車が3台止まっている。小学2年生ともなると、放課後は自転車で自由に行き来するんだなあ。▲眞一によれば、下校時、一希が信号を無視して横断したという。学校からわが家まで信号が三つ。危険極まりない。本人が反省しているようだったので注意は控えめにする。

☆桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』(平凡社新書)に誘われ、友人・梅谷繁樹さんの作品、『中世遊行聖と文学』(桜楓社、1988年)、『一遍上人全集』(橘俊道と共編、春秋社、1989年)、『捨聖・一遍上人』(講談社現代新書、1995年)、『一遍の語録を読む』(NHKライブラリー、2005年)を書架から取り出し、めくってみる。

☆「給食の完食指導 児童5人が吐く─岐阜の小学校」(9/26E)〇岐阜市教育委員会は26日、市立小学校の50代の女性教諭が、給食を完食するよう児童に指導した結果、今年7月までに計5人が嘔吐したと発表した。市教委は「配慮に欠けた指導だった」として25日付で、女性教諭に対して口頭で厳重注意処分を出した。市教委によると、昨年度に1年生の学級担任だった女性教諭は、児童の偏食をなくすために給食を残さず食べるよう指導。昨年4~12月に児童4人が計8回もどした。また、2年生の学級担任補助だった今年7月にも、体調不良の児童に給食を食べるよう指導し、児童が吐いたという。保護者は学校に体調不良を連絡していたが、女性教諭には伝わっていなかったという。今月8日に匿名の情報を受けた市教委が学校に調査を指示し、発覚した。女性教諭は「子どもの負担をかけてしまい反省している」と話しているという。▲これが記事の全文だが、疑問がいくつも湧いてくる。子どもへの完食指導は、この教員の常習だったことがわかるが、それに同僚も管理職も気づかなかったというのが理解できない。しかも保護者から体調不良の連絡がありながら女性教諭に伝わってなかったとか。お粗末の極みではないか。「善意による指導」という強制に鈍感な教育現場の実情が透けて見える。

☆「60年ぶりに歌った百舌(もず)の反戦歌」(無職、M・S。埼玉県・70歳。「声」9/25M)〇10年ほど前から妻とバス旅行によく行きます。ある日、バスの中で女性客の一人が「百舌が枯れ木でないている」とアカペラで歌い始めました。それは、私が小学校6年の時、担任の先生に「戦争は絶対やってはいけないことだ」と言われ、暗誦させられた歌でした。すぐ思い出し、約60年ぶりに心の中で口ずさみました。歌は「もずが枯木で」。作詩はサトウハチローで、「兄(あに)さは満州へ行っただよ/鉄砲が涙で光っただ」という3番の歌詞に、反戦の気持ちがこもっているように感じます。まだまだ、この歌が日本のどこかで歌い継がれてほしいと思います。当時の担任の顔も、同級生の顔を浮かんできて、心に残る旅行になりました。▲「百舌が 枯木でないている/おいらはわらを たたいてる/わたひき車は おばアさん/こっとん水車も まわってる/みんな去年と 同じだよ/けれども足(た)ん無(ね)えものがある/兄(あに)さの 薪割る音が無(ね)え/兄さは満州へ 行っただよ/鉄砲が涙で光っただ/百舌よ寒いと なくじゃ無え/兄さは もっと寒いだろ」。▲1935年作。「1950年(昭和25年)頃から盛んになった『うたごえ運動』で歌われるようになり、全国に広まったという」(米良美一編『日本の歌300、やすらぎの世界』(講談社α文庫)。1960年前後、「百舌は枯木で」は学生たちがよく歌ったものだ。どことなく甘い歌詞に酔った自分がいたことを思い出す。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

スイフヨウが咲く。

17/9/26(火)晴れ。
☆隣家との境にあるスイフヨウ(酔芙蓉)が枝を広げ、美しい花を咲かせている。カミサンに頼んで隣家に侵入しないよう刈ってもらう。午後、プールへ。プル友さんが、お孫さんたちのお便りを渡してくださる。給食袋へのお礼だ。幼稚園年中組のAさんは「もらえないとおもっていたので、むちゃくちゃうれしい」と書いてくれていた。カミサンは大喜び。▲孫3人が元気に帰宅してきた。一希と眞一は「パッソロ・スクール」へ。自転車で向かった一希に「自動車には気をつけてね」と念を押す。▲夕方、チャチャを動物病院に連れて行く。体重3.88㌔、体温38度。庭に水を撒く。

☆さだまさし(シンガー・ソングライター、小説家)「エンタ目─いじめられている君へ─逃げろ 絶対に死ぬな」(中日新聞9/14M)〇誰にも思い当たるだろうが、僕にも子どものころ、いじめられた経験があり、逆にいじめた経験もある。その経験で言えば、いじめられる側にまわった時の悔しさ、悲しさや屈辱感は永久に深く胸に刻まれるけれども、いじめる側にまわった時の罪悪感はとても希薄で、記憶に残らない程度なのだ。軽い気持から始まる、ささやかで残忍ないじめが、相手の生命を追い詰めることに気付かない。これはいじめの悲しい正体のひとつだ。だから今こそ、親は恥をかなぐり捨てて「子どもの喧嘩に」出て行かねばならない。学校は命がけで行くところではない、と伝えなければならない。そこに行くのが嫌なら「逃げなさい」と伝えるべきなのだ。どんどん逃げればよい。嫌なヤツと一緒に学ぶことは決してためにならない。嫌なヤツに教わることなどなおさらだ。そうして逃げ回るうちに、大人にもなるだろうし、おのれの重大な欠陥にも気付くかもしれない。伝えることは一つだ。絶対死んではいけない。▲しかし、教員の中には、「学校は毎日通うべきところ」という固定観念に縛られて人が多いのではないか。それが気がかりでならない。学校という場で教育に関わる専門家としての自負というか、存在根拠が「学校なんて行かなくていい」という意見で揺るがされかねないと防衛的になるのかも。

☆「命あってこそ 必ずよいことが」(パート、K・K。愛知県・61歳。「声」9/25M)〇私は小学校低学年の時に、薬の副作用で難聴となり、卒業する頃にはほとんど聞こえなくなった。中学校からは補聴器を使ったがあまり効果がなく、聞こえないからどうしても動作が遅くなる。先生に呼ばれても返事が出来ない。勉強にもついていけなかった。すぐにいじめの対象になり、バイキン呼ばわれされた。歯を食いしばり「負けないぞ」と思っていたが、一度だけ泣きながら、「お母さん、死にたい」と言った。「ダメ!死んだって誰も責任取らないよ。それよりも、希望を持って生き抜こう」という母の一言で生き返る思いがした。希望を捨てずに生きてきてよかった。家族もできた。多くの友とも出会えた。いじめられているあなた。命あってこそです。よいことは必ずあります。▲「命あってこそ、必ずよいことがある」。わたしもそう信じたい。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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