2017年08月

9月のカレンダーに日程を書き込む。

17/8/31(木)晴れ。
☆TV「やすらぎの郷」を観てから、プールへ。フルメニューを楽しんだ。イオンで「サンドイッチ」と「サーモン」を買う。▲今日は、母さんが仕事休みで、孫たちはわが家には来ない。明日から新学期だ。元気に登校するよう念じる。▲家計簿を締めたあと、8月から9月へと、カレンダーを変更する。明日、朝一番で「認知機能検査」のため岐阜運転者講習センターに出かけることになっている。今夜は早く寝ないとな。

☆朝日・社説「麻生副総理 あまりにも言葉が軽い」(8/31M)〇首相や外相を歴任した政治家として、あまりにも軽すぎる発言である。(略)麻生氏はきのう「ヒトラーを例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とするコメントを出した。「わたしがヒトラーについて、極めて否定的にとらえていることは発言の全体から明らかであり、ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らか」としている。理解不能である。ならばなぜ「動機が正しくても」と2度も繰り返したのか。(略)麻生氏はきのうのコメントでも「誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明した。発言が問題視されると、誤解だとして撤回し、とりあえず批判をかわす。自らの発した言葉への反省は置き去りにし、また過ちを重ねる・・・。麻生氏に限らず、そんな軽々しい政治家の言動を何度、見せつけられてきたことか。政治家にとって言葉はいのちである。人びとを動かすのも、失望させるのも言葉によってだ。その言葉がこれほどまでに無神経に使い捨てられている。そんなものかと、この状況を見過ごすことは、この国の政治と社会の基盤を掘り崩すことにつながる。▲「蛙の面(つら)に水」「蛙の面へ小便」ということわざを思い出した。「政治家にとって言葉はいのち」とはまったく考えない連中の姿に、人びとはうんざりしているのではないか。「言葉が軽い」というレベルをはるかに超えている。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

莉子(中2)が職場体験を終える。

17/8/30(水)晴れ。
☆チャチャを「オアシス動物病院」に連れて行く。体重3.9㌔、体温38度。軽い朝食をとってプールへ。フルメニューを楽しむ。ヒトラーに関する発言について、「麻生さんって、漢字が読めないだけじゃないんですね」と、プル友さんがおっしゃる。「人間のことがよく理解できないみたいですなあ」と応じる。▲12時過ぎ、帰宅。一希は、すでに友人宅へ。間もなく眞一も外出。それは元気な証拠だ。莉子が「職場体験(モレラ・スターバックス)」から帰っている。いい体験をしたかな。

☆西村京太郎『十五歳の戦争─陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英新書)を読み終える。西村さんは1930(昭和5)年生まれ。1945年当時、15歳。わたしの兄の世代にあたるから、戦時体験は限定的であり、戦後世相の描写も表面的なのはやむを得ない。とは言うものの、ちょっとがっかりしたな。

☆耕論「『子どものため』って?」(8/30M)─美輪明宏さん(1935年、長崎市生まれ)「生き様を見せることこそ」〇ひとの人格や立派さは、容姿や年齢や肩書きなんかとは一切、関係ない。目の前にいる人の魂が、ただ清らかであるかどうかだけを見るようにすればいい、と。(略)本当に愛情をもって子どもを導くには、まず導く資格があるかどうか、我が身を振り返ることです。(略)子どもは、親の背中、大人の一挙手一投足を見て育つ。本当に子どものために必要なのは、どんな教育よりも親の生き方、大人の生き様なんです。▲たしかに、そうだと思う。ただ、「自らの子育て体験と生き方を」振り返るとき、忸怩(じくじ)たる思いがしないでもない。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

一希、パッソロ・スクールをサボる。

17/8/28(火)曇り、のち晴れ。
☆11時、岐阜運転者講習センターに電話し、駐車場の確認をする。9/1(金)8時半、「認知機能検査」を受けることになっているのだ。▲TV「やすらぎの郷」を観て、プールへ。今日はイオン5%引き。カミサンのメモを見ながら、穴子の蒲焼、サーモンマリネ、ラーメン「麺職人」いろいろ、焼きそば、焼豚切落しなどをゲットする。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4Lは言うまでもない。▲一希が外出したまま、なかなか帰って来ない。どうも友だちと遊んでいるうちに「パッソロ・スクール」をサボったらしい。小学2年生でサボタージュを実行するとは、凄いなあ!夕方、庭に水をまく。今日は蚊に刺されずにすむ。▲美谷学園(児童養護施設。関市)の職員研修(9/5)向けレジュメを作成して送信する。いよいよ活動再開だ。▲中津川法務局人権擁護委員協議会事務局から電話あり。12/4(月)の日程が確定したとのこと。午前は恵那市立上矢作(かみやはぎ)中学校、午後は中津川市立坂本中学校。ありがたいことだと感謝する。▲横浜の友人、沼尾実さんからお便りと、報告書『第24回 沖縄へルールを探る旅 2017.8.5~8.12』が届く。「持続する志に敬意を表します」と葉書を書く。

☆「小中学力調査 情報整理・表現力に課題 正答率の地域差縮小傾向」「解説 学力調査の方法 再検討を」「社説 格差を克服する糸口に」「長い部活 学力に響く?」「弱点分野 授業どう工夫」「(岐阜県)中3、全て全国平均超」(8/29M)▲「全国学力調査」騒動としか言いようのない記事の満載に苦笑してしまう。「調査される生徒」への視点が感じられないし、現場の教員が「調査結果」から何を汲みとるかのプロセスが見えてこない。これでは、生徒は「実験動物」にされているようなものだ。ああ可哀そう。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

豊田市(小中学生対象)「人権を考える集い」の17年を振り返る。

17/8/28(月)晴れ。
☆携帯の目覚ましが8時に鳴る。だが、体が「もう少し眠れ」と言う。お言葉に従って9時、起床。孫たち3人と挨拶を交わし、軽い朝食のあと、出発。名鉄岐阜駅の改札口で豊田市市民相談課の牧村さんとドッキング。牧村さんは、「ヴィドフランス」と「ラーメン」店での1時間半、A4判数枚のメモを見ながら、「集いの歴史と現状と課題」について問い続ける。わたしは、2000年末、朝日丘中学校と上郷中学校から始まった「集い」を振り返りながら、わたし自身の中で「いのち・生き合う」というテーマが明確になったことを語る。課題としては「初心に戻る」ということ、「正しいとされる答え」を生徒に教えようとしない姿勢が大切だと伝えた。お土産に頂いたのは、広島の銘酒「酔心」。ああうれし。▲1時半、プールへ。フルメニューを楽しみ、イオンで買い物を少し。夕方、長袖のジャンバーと夏用のズボンを着込んで、庭に水をまいたが、それでも足首を蚊に刺されてしまった。蚊もなかなかやるよなあ。6時過ぎ、父さんが孫たちを迎えに来る。

☆片山健志(社会部)「記者有論─ともに学ぶ理念─学校現場 逆行していないか」(8/24M)〇障害のある子とない子がともに学ぶ。国が掲げた理念に対し、学校現場の実態は逆行しているのではないか。知的障害や発達障害で特別支援教育を受ける子どもの増加を取材し、そんな思いを強くしている。(略)最大の理通は、学校も教育委員会も障害の有無によって、子どもの学ぶ場を分けることを当然と受け止めていることにあると考える。(略)同じ学級で過ごすことで、障害のない子は、障害のある子一人ひとりにどんな手助けが必要か学ぶ機会を得られる。通常の学級の負担は増すだろうが、それは障害の有無にかかわらず、ともに生きる社会の実現につながるはずだ。学校や教委はその意義を積極的に評価してほしい。▲わたし自身を振り返って言うのだが、「優等生として生きてきた者には『生き合う』感覚が乏しい」と思えてならない。

☆「同世代に囲まれ会話できた娘」(中学校教員、K・S。愛知県・44歳。「声」8/27M)〇中1の娘には思い知的障害がある。小3で地元の小学校から特別支援学校へ転校したが、学期ごとに前の学校に出かけ交流を続けてきた。中等部に進み、地元の中学での交流も思い切って希望した。当日、娘とともに美術部を訪ねた。絵を描いた後、先生が折り紙を出した。大好きな「ケーキ」の折り紙に、娘は目を輝かせた。「どうやってつくるの?」と周りの生徒たちに娘が聞いた。耳にした単語をおうむ返しするだけだった娘が!うまく折れないところがあり、誰かが「やってあげてもいいかな」とつぶやいた時も、「やって」と娘は答えた。娘が話をすることを私は半ばあきらめていた。でも、同世代の生徒たちが娘を受け入れてくれたことで、会話ができた。交流前の不安は吹き飛んだ。「また来てね」と笑顔で送ってくれたみんなに、大きな力をもらった一日だった。▲情景が浮かぶ。これこそ「ともに学ぶ。生き合う」ということではいだろうか。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

ゴーヤのツルを切る。

17/8/27(日)晴れ。
☆午後1時半、プールへ。フルメニューを楽しむ。マーサ3階の「AMAZON」で、西村京太郎『十五歳の戦争─陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書)を購入。イオンでの買い物は少しだけ。▲書斎西側のゴーヤのツルが書庫の窓まで伸びていることを発見。思い切ってツルを切る。だいぶ蚊に刺されてしまった。▲娘(J2)が立ち寄る。夕食をともにしたあと、カミサンと一緒に手を振って見送る。▲息子(K2)製作の陶芸品が、「GIFUクラフトフェア」(9/16~18。JR岐阜駅アクティブG2階)で展覧されるとのこと。いいなあ。ぜひ見たいと思う。

☆吉井あゆみさん(猟師。65年生まれ)「リレーおぴにおん 肉食考⑤─ジビエ(野生獣の肉)頂く 命をいかす」(8/23M)〇最近は、害獣駆除の正義感を振りかざす人や、報奨金ねらいで数ありきの人も出てきた。改めて命の教育が大切と感じます。(略)だから私、講演する時に、わざと酷な言い方をすることがあります。トレーの中の牛肉は、皆さんが食べるために、誰かが殺している。私は、それを自分でします。あなたがたは人任せにして、まるで自分は殺していないような顔をして食べていませんか、と。肉を頂くとは、どういうことか。それを自覚して初めて私たちは、ほかの命や自然と、共生できるようになると思っています。▲いのちをいただく。しかし、その前に動植物のいのちを食べられように作業してくれる人がいることには気づかない。人間って、勝手なもんやなあ。

☆「堀田江里(歴史研究者)の随処薬─これぞ日本、な車内風景」(8/22M)〇一時帰国で日本の電車を利用すると、文化人類学的興味から、意識的に観察することがある。車内風景の移り変わりだ。(略)今夏の帰国の折、そのようなことを本好きの方にお話すると、「確かに」と同意され、こう嘆かれた。「先日、山手線に乗ると、向き合う座席に14人が座っていました。するとその中の13人が、スマホとにらめっこしていたんです」。はて14人目は何を、と訊くと、「高いびき」だという。国会議員もいそしむノーガードの居眠りこそ、外ではあまり目にしない、変わらぬ日本の車内風景なのだった。▲「居眠る国会議員」とは誰か。みなさん、よくご存知の「あの方」。日本人の劣化は、止まるところを知らない。ああ。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
ギャラリー
  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
プロフィール

藤田 敬一

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ