2017年07月

7月の家計簿を閉める。

17/7/31(月)晴れ。
☆昨夜は、柳澤桂子『患者の孤独』を遅くまで読んでしまった。おかげで今朝は10時起床。▲今日は月末。プールで遊んだあと、マーサ21のATMコーナーで通帳記入をすませ、帰宅後、家計簿を閉める。すべて必要経費と納得する。アッハッハ。▲マーサ3階の「MARUZEN」で、新書2冊(和合亮一『詩の寺小屋』岩波ジュニア新書・磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』NHK出版新書)と文庫1冊(柳澤桂子『認められぬ病─現代医療への根源的問い』中公文庫)をゲットする。▲帰宅すると、「かしまし娘」のひとり、クリリンが外出中とのこと。眞一が玄関の戸締りを確認しないまま出たためらしい。こうなると落ち着かなくなるのが、わたしの悪い癖。家の周りを探す。クリリンは西側の庭にいたが、怖がって手に負えない。南の庭でも姿を見かけたが近寄って来ない。お手上げ状態になる。諦めて遅めの昼食(冷やしラーメン)をとり、今季初めて書斎に冷房をつける。自分のこころを冷やすためでもあった。ところが南の庭に水をまこうとしたら、水が出ない。なんやねん。調べたらホースの先が詰まっていた。あ~あ。6時過ぎ、カミサンが中庭でクリリンを確保。「終わり良ければ、すべて良し」ということにする。

☆「食べたかった学校で育てた野菜」(非常勤地方公務員、F・M。三重県・39歳。「声」7/31M)〇小学5年生の息子が、学校でインゲン豆を育てた。「他の班のは枯れてしまった」「今日は花が咲いたよ」「実になったから、もうすぐ食べられるよ。おいしいと思うよ」。息子と仲良しの友達と2人で世話をしていたので、余計に愛着を持って育てていたようだ。ある日、そんな息子が泣きそうな声で言った。「あのインゲンは観察用だから食べてはダメなんだって」「人数分ないし、あのまま放っておくんだって」と。通知票をもらいに行った際、実をつけた息子の育てたインゲン豆を見た。先生に「せっかく育てた野菜を食べずに枯らすのは食育としてどうなのか。数が足りないなら、どう分けるか話し合わせたらいい」と言いたかったが、勇気が足りずに言えなかったことを後悔している。▲「観察用だから食べてはダメ」も「人数分ないから放っておく」も筋が通らない。そこに垣間見える、教員の「やわな生命感とお粗末な平等感」にあきれてしまう。

☆「朝日歌壇」(7/31M)から。〇「非国民そんな言葉を思い出すこんな人たちと指差す言葉」筑紫野市・二宮正博・「『こんな人だけれど一人の国民』と言い返したくなるこんな総理に」埼玉県・島村久夫。永田和宏選評「自分に反対する人々を『こんな人たち』と決めつける首相発言。かつての『非国民』を思い出した人も多かった筈。」▲敗戦時、6歳のわたしは「非国民」の意味とその効用を知るよしもなかった。しかし戦後、奇妙な「アカ」という言葉を聞いた記憶がある。ご近所の豆腐屋さんが日本共産党の支持者で演説会を開いたことがあり、それを指して父親が「あそこはアカや」とつぶやいたのだった。こんな「つぶやき」に込められた「意味」を深く考えるようになるのは、ずいぶん後のことだった。▲今夜は、ここまで。ではまた。お元気で。

柳澤桂子さんの本を取り出す。

17/7/30(日)曇り、ときどき雨。
☆昨日、横浜の友人Oさんからメールで近況報告が届く。退職後、ボランティアとして、ハンセン病回復者が暮らす療養所で説明員をしているという。「退職後の生き方が人生を決める」。Oさんが充実した日々を送っておられることを知ってうれしかった。▲11時半、プールへ。フルメニーを楽しみ、イオンで買い物を少し。午後、記事の切り抜きと整理に精を出す。夕方、岐阜清流高等特別支援学校「職員研修」(8/1)向けのレジュメを作成して、送信する。

☆「バカをしても甘えてもいいよ」(主婦、T・Y。東京都・47歳。「声」7/30M)〇重度の知的障害を持つ17歳の息子がいます。いずれ管理的なところで暮らすなら、言われたことを無条件に聞く方が支援者にとってもハッピー。少しでも出来ることを増やし、人に迷惑をかけないよう育てるのが親の務めだと、昔は本気で思い込んでいました。でも、いろんな方のお話を聞き変わりました。中でも印象的だったのが「愚行権」という言葉と、「自立とは依存先を増やすこと」という考えです。誰でも少しくらいバカなことをしてもいいし、誰にも頼らず自立している人はいません。少し考えれば、当然のことです。なのに、息子には想像さえできませんでした。親である自分自身が息子の権利を狭めていたことに、やっと気付きました。私に出来ることは何か。「知らないから怖い、関わったことがないから分からない」という方に、息子のような存在を知ってもらい、関わってもらうこと。「自閉症の〇〇さん」ではなく「水玉模様の好きな〇〇さん」になった時、誰も不幸とは言わないでしょう。▲「愚行権」「自立とは依存先を増やすこと」。含蓄のある言葉を教えていただいたことに感謝。

☆柳澤桂子『患者の孤独─心の通う医師を求めて』(草思社。03/3第1刷)を書架から取り出し、読み始める。「名医たちの誤診、拒絶、心ない言葉─これが、いまの日本の医療の悲しい現実です」(帯の文章)。柳澤桂子『癒されて生きる─女性生命科学者の心の旅路』(岩波現代文庫。04/3第1刷)で、柳澤さんの過酷な体験のあらましは知っていたが、かつて医師たちが無意識のうちに放った言葉の数々を改めて読むのはつらい。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

柳澤桂子さんの戦争体験を読む。

17/7/29(土)晴れ。
☆8時、起床。資源ゴミをJA七郷(ななさと)支店の集荷場に運ぶ。今日は「子ども会」が担当。子どもたちや保護者のみなさんにお礼を申し上げる。帰宅後、軽い朝食をすませ、チャチャをオアイシス動物病院に。体重3.88㌔、体温37.4度。プールでフルメニューを楽しむ。イオンは今日と明日、5%引き。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4L、「もも焼き豚切落し」、「穴子蒲焼き」などをゲットする。

☆今日届いた岩波の『図書』(17/8)に柳澤桂子さん(1938年生まれ。生命科学)の「戦争体験を語れる最後の世代を生きて」が掲載されている。〇私は生命科学者でしたが、三八歳のとき、診断のつかない病気にかかり、生命科学の研究をあきらめざるを得ませんでした。それからおよそ四〇年に及ぶ闘病生活を送ることになりましたが、それでもいのちの不思議は頭を離れず、私が在ることの不思議を考え続けました。そして、それをたくさんのエッセーにしてきました。ですが、戦争のことをまとめて書くのはこれが初めてです。▲柳澤さんのお名前を知ったのは、多田富雄さん(免疫学者)との往復書簡、『いのちへの対話 露の身ながら』(集英社。04/4)だった。柳澤さんは、わたしより1学年上。疎開なさった愛媛県松山市での戦争体験を読み、同じ世代でも、地域によって体験はさまざまなんだなと実感する。

☆日野原重明さん「105歳・私の証 あるがまゝ行く─読者の皆様に最後のごあいさつ」(7/29M)を読む〇私のエッセーは、私の全力疾走の様子を読者の皆様に報告する形で、今日まで続いて来ました。こんなに長く連載できたのは、私と一緒に走って下さった読者の方々の応援があってのことです。ここに感謝とともに皆様に最後のお別れをしたいと思います。今まで本当にありがとうございました。▲「18日に亡くなった日野原重明さんのコラム『105歳・私の証 あるがまゝ行く』を9面に緊急掲載しました。5月下旬、最終回を意識して口実筆記したもので、『私からのメッセージを終わりにしたいと思います』と締めくくっています。名医らしく、ご自身の限界を見極めたうえでの幕の引き方に、言葉もありません。小田桐昭さんのイラストは、記事で言及される聖路加国際病院の先生方の写真を見ながら描いていただきました。日野原さんが書きためた原稿は、まだ残っています。ご遺族とも相談し、9月16日以降、ほぼ月に1回を予定していた『あるがまゝ』の枠で、順次掲載していこうと考えています。また15年近くにわたった連載を生かす方法についても検討中です」(「編集部から」7/29M)。口実筆記とはいえ、「お別れのメッセージ」まできちんと準備なさっていたことに感銘をうける。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

孫が残したチャーハンを食べる。

17/7/28(金)晴れ。
☆ゆっくり起床。血圧の薬をゼリーで包んで服用する。なんとかうまくいった!昼食は「冷やしソーメン」。カミサンが「一希君の残したチャーハンを食べてくれますか」と言う。もちろんOK。おいしくいただく。午後、プールへ。フルメニューを楽しむ。終わって、サンドイッチなどをゲット。夕方、庭に水をまく。キキョウとサルスベリの花が美しい。

☆「不二越会長 HPで謝罪─『富山生まれは不採用』発言」(7/27M)〇東証1部上場の機械メーカー「不二越(ふじこし)(富山市)」の本間博夫会長が「富山で生まれ育った人は極力採らない」との趣旨の発言をした問題で、本間会長は25日、同社のホームページで「発言の一部に不用意で不適切な表現があった」と謝罪した。同社経営企画部によると、発言が報道されてから多くの意見が寄せられ、本間会長が自ら謝罪することにしたという。本間会長は今月5日、富山市内で開いた中間決算の記者会見で「富山で生まれて地方の大学に行った人も極力採らない。(同県出身者は)閉鎖された考え方が強い」などと発言した。▲こんな考えを抱く経営者がいても、おかしくないと思う。この国の文化度は、その程度なのだ。わたしが岐阜大学に行くと伝えると、ある先輩は「都落ちやな」とつぶやいた。「いいえ。東海道線は上りです」と答えたら、きょとんとしていたな。岐阜に移り住んで46年半。岐阜で暮らしてほんとによかったと思う。地域共同性が生きている岐阜。そこで、わたしは「自分の言葉」で考え、表現することができるようになった。もっとも地域共同性には排他性が伴うことは避けられない。そのことを踏まえつつ、「よく生き合う」関係の創造に勤めたいと思っている。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

「忘却とは 忘れ去ることなり 忘れ得ずして…」

17/7/27(木)曇り、のち晴れ。
☆一希と眞一が学校に呼ばれ、宿題を仕上げて帰宅する。一希の担任からは、「よくがんばりましたよ。褒めてあげてください」との電話が入る。こういうこともあっての少年時代。午後、プールへ。フルメニューを楽しむ。孫たちが好きなインスタントラーメン「日清・麺職人」をゲットする。帰宅してテレビをつけたら、NHK・BS「フランケンシュタインの誘惑 “いのち”の優劣 ナチス・知られざる科学者」が再放送中だった。思わず釘付けになる。

☆「閉会中審査 主権者軽視に驚き」(無職、N・Y。神奈川県・72歳。「声」7/26M)〇加計(かけ)学園の獣医学部新設問題をめぐる衆参予算委員会の閉会中審査は、予想されたこととはいえ、疑惑が深まるばかり。主権者の疑問をこれほど軽視した答弁は聞いたことがありません。中でも驚いたのは、単純な事実関係についての安倍晋三首相の答弁です。加計学園の申請を知った時期を問われ「今年1月20日」。その日は、国家戦略特区諮問会議で加計学園に決定した日ではないですか。諮問会議議長の首相が申請を決定の日まで知らなかったなど信じようがありません。前川喜平・前文部科学省事務次官が「キーパーソン」と指摘した和泉洋人・首相補佐官にも驚きました。「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」と発言したとする証言に対し「そういった記憶は全く持っていない。従って言っていない」と平然と言ってのける。「記憶がない」のになぜ「言っていない」と断言できるのか信じられませんでした。「記憶がない」「記録がない」そして「言っていない」。こんな答弁が横行する今の国会。この現状を選挙民である国民は今こそ直視し、行動しなければ、日本は危うい。そう考えた2日間でした。▲「朝日川柳」(7/26M)に、「忘れ得ずして忘却誓う悲しさよ」(和歌山県・石垣実男。西木空人選評「君の名は?腹心の官僚」)とある。わたしも戦後、あのラジオ番組は聴いた。主題歌の前に流れる、「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う 心の悲しさよ」は、いまでも覚えている。「人間はウソをつく。しかし、こころの中のもうひとりの自分にはウソはつけない」と、わたしは思う。国会で苦しい答弁をしている官僚たちよ。自らのこころに問うて、悲しくはないか、恥ずかしくはないか。

☆豊田市立稲武(いなぶ)中学校「人権を考える集い」(6/24)の感想文から〇人間=じんかんと読んで、人と人との間に生きているという話で、人は人に支えられる時もあるけど、自立していないと人は生きることが出来なくなるかもしれない。人という字は人が自分で支え立っているということもあるけれど、人二人でささえ合うことがあるのです。あせらない・あわてるな・あきらめるな・あてにするなの4つの言葉が心にしっかりとのこして他の人たちにも伝えて、人が幸せに日本、地球で、あたたかい国になったら、いいなと思えました。人の心は差別してはいけないし、見下してもいけないと思いました。広めていきたいです。(1年)▲人は生き合っている。生き合う中で、生きる力をもらっている。その実感が、わたしの生きるエネルギー。みなさんは、どうですか。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。 
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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