2017年06月

名古屋市社会福祉協議会「新任職員基礎研修」に出かける。

17/6/30(金)曇り。
☆6時、起床。洗顔と軽い朝食を済ませて出発。JR岐阜駅の駐車場に車を止め、名古屋駅→地下鉄(黒川駅)のルートをとる。9時過ぎ、名古屋市総合福祉会館に到着。▲招かれるようになって20年以上かな。今日は100人の受講者だ。「聴きたくて来たのですか」と尋ねると、「いいえ」という返事。「それでいいんですよ。義理と無理と厄介感でおみえになって当然。そこから始まる。大事なことは、自己内対話と自己対象化。自分はどうであったか、どうであるか、どうであろうとしているかを考えること」と語りかける。年配の方は、施設を移動した人らしい。反応がとてもいい。終わって拍手。わたしの話が日常の仕事につながることを念じる。▲JR岐阜駅構内の吉野家で、「牛丼並+半熟玉子+みそ汁」=510円を食べ、プールへ。ショートメニューを楽しんだあと、買い物。今日はイオン5%引き。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4Lを2本ゲット。

☆「『遺憾』ではなく 素直に謝罪して」(大学生、五味香奈。千葉市・19歳。「若い世代」6/30M)〇政治家が記者会見などで謝罪を行う際、「遺憾に思う」と当たり前のように言うことがある。私はこの言葉を聞くと、まるで他人事のような言い方だと思ってしまう。本来、「遺憾」という言葉は「思い通りにいかず心残りなこと」を意味する。「遺憾」は謝罪を表わす言葉ではない。一見、真摯な対応を見せているように思わせるが、責任の所在が自己ではなく、いつのまにか他者にすりかわっている。政治家は「遺憾」という言葉を使うことで、様々な問題を解決させているのかもしれない。しかし私は、意味の間違っている「遺憾」という言葉を使うよりも、素直に謝罪する心を政治家は持つべきだ考える。また、責任の所在を明らかにすることは、クリーンな政治につながるのではないか。▲遺憾も誤解も、みんな政治家の自己責任感のなさを象徴することばだ。こんな連中にかぎって「道徳」主義者なのだから、笑ってしまう。しかし、子どもたちは彼らのウソ、欺瞞を見抜いている。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

昼寝を愉しむ。

17/6/29(木)晴れ。
☆二度寝して、8時半、起床。10時過ぎ、黒野会館で岐阜市人権啓発センターのスタッフ3人と、「人権教育・啓発推進協議会」(7/5午前)について打ち合わせる。12時、プールへ。フルメニューを楽しんだあと、サンドイッチなどをゲットする。▲マリリンに早朝、起こされるためか、このところ午後になると眠くなる。体の声に素直に従い、30分ほど居眠る。4時、一希のお友だち2人が押す玄関チャイムで目覚めた。なんともすっきりした感じだ。「パッソロスクールに出かけたよ」と伝え、新聞記事の切り抜きと整理に精を出す。夕方、庭に水をまく。

☆西川正さん(認定NPO法人ハンズオン埼玉・常務理事。1967年生まれ)「学びを語る(6/26M)─新科目『公共』─『応えあう』感覚 育てる場に」〇「公共」という科目が新設され、公共空間の担い手を育むことを目指すという。ならば、「公共とは」などと説き、その暗記ぶりを評価する授業ではなく、子どもにとって最も身近な公共空間である学校や学級のありようについて、子ども自身が当事者として参加し、発言し、教師や保護者、地域の人々と合意を得ながらつくり、つくりかえていく時間にしてほしいと願う。私たちは、場には最初から正解があると思いこみがちだ。だが、答えは互いに「応えあう」プロセスの中で生み出されていくものだ。その感覚を育てる環境づくりが、学校に求められていると思う。▲「応えあう」感覚とプロセス。そんな授業を、暗記力と正解重視で試験を突破してきた教員に期待できるだろうか。

☆大垣教務所「仏教公開講座」(6/18夜)に出席した方から感想文が届く。〇私が印象に残ったのは、“「他者不在・傍若無人の世の中に生きている」わたし”のお話でした。先生のお話してくださったように、現代社会は無縁社会、自他ともに問わないほど命のリアリティがない。このことは命を“生きる”ということにおいて根本的な問題であると、あらためてハッとさせられました。無縁、孤独、いじめ、仲間外れということと、それ以外にも自分に関係ないことに対する無知と現実の放置・・・。先生がご自分のこととしておっしゃったのと同じように、「あなた自身、人の不幸はいくらでも辛抱できるんだよ」というように、私にも聞こえました。また、女性の参政権や大学の入学についても印象的でした。いまでこそ男女共同参画と言われますが、それは本当にごく最近のことであり、まだまだ実現に至っていません・・・。歴史の中でも女性は名前すら載っていない。一部の歴史的な人物を除いて、たいていは〇〇の娘、〇〇の女という具合です。ということは、女性は存在そのものが人として扱われていないということだったのではないでしょうか。このことも大変身につまされました。様々な矛盾や不条理を抱える中、“生きる”ということの意味をわが身に見出すことの大変さと大切さを先生のお話から学びました。▲終わったあとの懇親会でも、友人から大事な感想を聞かせてもらった。あらためて「自己言及的に語ることの意味」を噛みしめている。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

寺島書店から注文した本が届く。

17/6/28(水)晴れ。
☆二度寝して10時、起床。チャチャをオアシス動物病院に連れて行く。体重3.84㌔、体温37.4度。帰宅後、コヒーと「カツサンド」の朝食をとり、11時半、プールへ。フルメニューで遊ぶ。買い物なし。▲昼食は「直火チャーハン」。新聞記事の整理に精を出す。▲寺島書店から、山陽新聞社編『語り継ぐハンセン病─瀬戸内3園から』(山陽新聞社、17/3)が届く。「国立療養所大島青松園を初訪問したのは、2010年の瀬戸内国際芸術祭のことだった。90年近く続いた国の隔離政策によるハンセン病への故(ゆえ)なき偏見については、それなりに関心を持っていたつもりだったが、海岸に投棄されていたのを引き上げて展示に及んだ解剖台と対面し、身がすくんだ。自分は何もわかっていなかった、と痛感した。」(椹木野衣[さわらぎ・のい。美術批評家・多摩美術大学教授]書評「今、伝えたい 孤絶の中の希望」6/18M)を読んで注文したのだ。ハンセン病に関して初めて読んだのは、三宅一志『差別者のボクに捧げる!』(晩聲社、78/8)だった。それ以来、できるだけ読むようにしている。

☆次田哲治さんから、毎日新聞(6/25M)の投稿文、菅野家広(無職・74歳。福島市)「前川前次官の証人喚問を」がメールで届く。〇7年ほど前から「福島に公立夜間中学をつくる会」に加わり、自主夜間中学運営に協力してきた。今年1月、前川喜平前文部科学事務官に夜間中学の必要性について講演していただいた。その後、前川氏は文科省をやめられたが、講演をきっかけに前川氏が週1回ボランティア講師を続け、2月から10回以上新幹線で通ってくる姿を我らはうれしく迎えていた。前川氏は「学びたいという人たちのお役に立ちたい」という。自分にとって何の得にもならない。しかし、あったことをなかったことにはできないと国民に実情を話された前川氏は、まさに「公務員」の姿を見せてくれた。それをあしざまに人格攻撃し、論点をそらそうとした菅義偉官房長官は、前川氏に国民の目の前で謝っただろうか。その姿を見たい。謝罪の気持ちを表わす具体的な方法は、前川氏の証人喚問である。加計問題を解明するのは安倍内閣の責務。証人としての役割を終え、再び福島に来てくれる前川氏に会いたい。▲文章も内容も気に入った。

☆「あのとき それから─1946年(昭和21年) 奉安殿撤去の指示─教育の自由求める志 戦前も」(6/28M)〇敗戦翌年の1946年6月29日、占領軍の意向を受けた文部省は全国の国公私立学校に対し、奉安殿を撤去するよう通牒を発した。教育勅語と天皇皇后の肖像写真である「御真影」を安置するために作られた奉安殿は、防火対策もあって頑丈なコンクリート造りが多かったから、取り壊すのも容易ではなく、ダイナマイトで爆破した例もあったという。▲京都市立光徳小学校2年のわたしは、奉安殿撤去の様子ははっきりとは覚えていない。ただ、山中恒さん(作家・85歳)の「小学校の儀式で教育勅語が読まれるときは、本当にシーンと静まりかえったね。(略)奉安殿は校門のそばにあって、そこを通るたびに立ち止まって最敬礼しなくちゃいけなかった。(略)道徳教育よりも必要なのは、もっと自分を愛することです。自分を大切にできれば人も大事にする。その基礎にあるのは基本的人権ですよ。これは絶対にゆるがせにはできない。基本的人権を基礎にした人のつきあい方のマナーを、僕らは学んでいく必要がありますね」という意見に同感する。

☆BSジャパン(夜8時)「刑事ジョン・ブック─目撃者」(85年米。ハリソン・フォード、ケリー・マクギリスほか)を観る。いわゆる刑事ものなのだが、そこではアーミッシュという信仰生活集団が重要な狂言回しの役割を果たす。アーミッシュのことが大きな話題になるのは映画から11年後のこと。「対談・犯罪とゆるし」(09/7/8M)〇自動車や電機を拒み、非暴力を貫く米国のキリスト教の一派、アーミッシュ。06年秋、彼らの学校を男が襲い女児5人を射殺した、惨劇の直後、自殺した犯人の家族を訪ね、『ゆるし』を伝える。不寛容が覆う世界を驚かせた行動は何を教えるか。─「アーミッシュの寛容 神の救いが動機に 司法の裁きとは別(米エリザベスタウン大教授、ドナルド・クレイビルさん)」─「『報復』支配の時代に悲しみの緩和導く 問われる社会や文化」(ノンフィクション作家、柳田邦男さん)。▲以前、TV放送を観たあとで、『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』(主婦の友社。95/2)、『アーミッシュの謎─宗教・社会・生活』(論創社、96/6)、『アーミッシュの赦し』(亜紀書房、08/5)を読んだことがある。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

カツサンドを買う。

17/6/27(火)曇り。
☆マリリンが書斎兼寝室から出入りしたいとドアーを引きかくたびに、起きてドアーを開ける。今朝は6回起床することになった。二度寝は不可避だよな。9時過ぎ、起床。朝食をとりながら朝刊をチェック。11時、西改田簡易郵便局にカミサンの郵便物を出す。▲プールで遊んだあと、プル友さんの助言に従い「カツサンド」をゲットする。ボリュームたっぷり。明朝が楽しみだ。▲午後、記事の整理に励む。3時過ぎ、一希と眞一が元気に帰宅。カミサンが一希の宿題に付き合う。眞一は学校で宿題を済ませたとかで、友だちと遊ぶために外出。2人は4時と6時に「パッソロスクール」へ。莉子は部活で遅くなり、6時半帰宅。「火曜市・細巻き寿司」を1本ぺろっと食べる。みんな元気なのがうれしい。

☆「最高レベルの言葉 品格それなり」(元アナウンサー、H・J。宮城県・75歳)〇よくもまあ、臆面もなく軽々しい言葉の数々を繰り出してくれましたねぇ。「加計(かけ)学園」疑惑をめぐる官邸や自民党の〝最高レベル〟の発言です。「怪文書みたい」「問題があると言う方が立証するのは当然」「印象操作」「げすの勘ぐり」等々。証人喚問は必要ないとする理由を問われて「必要ないというのが理由」とうそぶいた御仁もいたっけ。人を食った言い方、相手の二の句を封殺する高圧的な物言い。厚顔無恥、傲岸不遜のオンパレードです。政治家である前に社会人としての常識、見識があればあり得ません。一般社会なら鼻つまみの言動が通ってしまう政界とは、まさに異次元空間です。アナウンサーの世界では「声は人なり」と言います。あざける口調は人柄の反映であり、同様に「言葉も人なり」です。〝最高レベル〟の方々は、自ら品格をおとしめていることにいつ気づくのでしょうか。もし品格があれば、ですが。▲品格や品性が死語になって久しい。そんなものを政治家などに求めても空しいだけ。自らを問うことから始めるしかないと思う。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

友人からのメールで目が覚める。

17/6/26(月)曇り。
☆二度寝していたら、8時半、メールの着信音あり。開いてみると、友人の次田哲治さんからだった。「今朝の朝日新聞声欄に私の投稿が載りました」とのこと。起床して、早速読む。

☆「前川前次官 学ぶ権利への信念」(夜間中学教員、次田哲治。京都府・66歳)〇加計(かけ)学園の獣医学部新設問題で5月、「総理のご意向」などと書かれた文書の存在を会見で証言した前川喜平・前文部科学事務官。菅義偉官房長官が「地位に恋々としがみついていた」と非難した瞬間、私はうそだと直感した。昨年12月、東京であった「全国夜間中学校研究大会」に参加した前川さんの話を聴いたからだ。夜間中学は色々な事情で学ぶ機会を十分に得られなかった人が通う場。夜間中学教員や生徒らの小さな集まりに現職次官が出席するのは異例だった。そこでの「特別報告」に感動した。学びの機会を逸した人たちがいることに「文部科学省の責任」「申し訳ない」と言った。不登校の子、居場所不明の子、無国籍で学校へ行けなかった人、引き揚げ者、在日コリアン・・・。学ぶ権利に国籍は問わないとも言い切った。「不法滞在であっても、その子どもたちには学ぶ権利はございます」。ここまで言える文科官僚がいるのだと会場全体が一瞬静まり返った。夜間中学は今、8都府県にわずか31校。前川さんは次官在任中、福島県の自主夜間中学などで講演して回り、その後もボランティアとして福島へ。あの記者会見はさすがだと思った。▲一読して、「内容、文章とも納得。今夜アップするブログで紹介します。実名入りでいいですね」と返信する。

☆豊川市小坂井東小学校の河原校長からFAXが入る。「小学校2校が小坂井地区の文化会館で、合同で講演を聴きます。講師の方を誰にすればよいのか相談があり、即断で藤田先生を推薦しました」とある。十数年前、岐阜大学「社会教育主事講習会」で知り合い,その後、わたしをたびたび招いてくれた河原さん。喜んでお引き受けする。間もなくメールで、11/29(水)午前と決まる。ありがたいなあ。

☆「朝日歌壇」(6/26M)から〇「七十年前名門小にもいじめありきかばってくれた友今でも親友」(川口市・安達幸子。高野公彦選)▲いじめからかばってくれた人と70年後のいまも親友だという。おそらくお二人は、わたしと同年代の方。しかし、いじめた人はその後、どう生きたのだろう。

☆先ほどからマリリンが書斎の窓にへばりついているヤモリを窓越しにつついていたが、ヤモリはいつのまにか姿を消したみたい。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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