2017年03月

『加藤周一著作集』第7巻を開く。

17/3/31(金)曇り。
☆8時、起床。コーヒーを飲んだあと、ミンクをオアシス動物病院に連れて行く。ミンクが3/29、ウンチ(6cmが2つ、2cmが2つ、1cmが1つ)をしたことなどを伝える。体重2.56キロ、体温37.5度。点滴をしたあと、腎臓サポートのキャットフードを2袋いただく。帰宅後、軽い朝食をとる。▲10時過ぎ、プールへ。甲高い声を出すYさんがインストラクターを務めるアクアと鉢合わせしてしまい、急いでメニューをこなして退散。イオンで買い物を少し。▲孫たち3人のほか莉子のお友だちIさんも加わって居間は大賑わい。眞一と一希は、「トムとジェリー」のビデオを観ながらキャッキャッと奇声を発して騒いでいる。わが子たちもそうだったことを思い出す。

☆昨日(3/30M)の「天声人語」に誘われて、加藤周一「日本文化の雑種性」(初出『思想』1955/6。『加藤周一著作集』第7巻。平凡社。1979/7)を読む。〇日本風といわれるものは常に精神的なものばかりである。(略)日本主義者は必ず精神主義者になり、日常生活や下部構造がどうであろうと、精神はそういうものから独立に文化を生みだすと考える他はない。ところが念の入ったことに、そう考えた上で行う議論の材料、つまり立論に欠くことのできない概念そのものが多くは西洋伝来の、和風から遠いものである。自由とか人間性とか、分析とか綜合とか、そういう概念を使わずに人を説得する議論を組み立てることは、議論の題目によっては不可能であろう。日本文化の雑種性を整理して日本的伝統にかえろうとする日本主義者の精神がすでにほんやく(ママ)の概念によって養われた雑種であって、ほんやくの概念をぬきとれば忽ち活動を停止するにちがいない。(略)明治以来の複雑な文化運動の歴史は、もし一言でいうとすれば、このような文化の雑種性に対する知識人の側からの反応、つまりその純粋化運動の歴史に他ならない。そしてそのかぎりでは必然的に失敗の歴史である。(10~11頁)▲「自由」はもとは漢語であるなどと、したり顔で論じてもはじまらない。libertyやfreedomの訳語として通用し、おかげで意味の取り違えが起こってきたのだから。小堀桂一郎『日本人の「自由」の歴史─「大宝律令」から「明六雑誌」まで』(文藝春秋社。2010/9)参照。「私はこの場合雑種ということばによい意味もわるい意味もあたえない。純粋種に対しても同じことである」と、加藤さんは念を押している。

☆「池上彰の『新聞ななめ読み』」(3/31M)〇道徳の教科書検定─忖度が生んだ『和菓子屋』─「パン屋」が「和菓子屋」に、「スレチックの公園」が「和楽器店」に書き換えられた。文部科学省の教科書検定の結果は衝撃的でした。(略)ここで気をつけなければいけないのは、文科省が「和菓子屋」や「和楽器店」に書き換えさせたのではないということです。誤解して、「文科省はそんな指示までしているのか」と驚いた人もいるでしょうが、そうではないのですね。教科書会社の方で「和菓子屋」や「和楽器店」を選んだのです。指示されたのではく忖度(そんたく)した、ということでしょう。▲文科省の官僚と教科書会社の担当者が話し合う「密室」のやりとりは、諺にいう「魚心あれば水心」、以心伝心の類。それは教科書検定の慣例なのだ。読者が「文科省の指示」と受け取ってあたりまえだし、それが真実だろう。池上説は「忖度」という言葉を使って、教科書会社に下駄を預けているのはおかしい。

☆「『外国人だから入居拒否』4割が経験─法務省 差別実態を調査」(3/31M)〇国内に住む外国人を対象に、法務省が差別の実態調査を初めて実施し、結果を31日に公表した。家を探したことがある人のうち、外国人であることを理由に入居を断られた経験がある人が約4割に上った。回答者全体のうち、差別を受けたときにどこかに相談したことがある人は約1割にとどまった。(略)就職や職場での差別も浮かんだ。▲外国人であることを理由にした「侮辱や差別」を受けたことがあると答えた人は30%。「言われた相手」は「見知らぬ人」が53%の最多だという。この国、この社会の外国人排除の根は深い。

☆山住正己『教育勅語』(朝日選書。1982/1第4刷)を再読した。教育勅語が出されたのが1890年。敗戦まで55年、衆参両議院で失効が決議された1948/6まで58年。人びとの精神を縛りつけた教育勅語は、その後も生き伸びる。光徳小学校の奉安殿が取り壊されたときのことをうっすら覚えているが、いつなんどき再建されるかわからない。そんな危惧を抱く。▲今夜は、ここまで。

お礼をきちんと言えることはすばらしい。

17/3/30(木)晴れ。
☆8時、起床。2階に上がると、眞一と一希が来ている。眞一たちは「ブック・オフ」でカードを買ってもいいと許可が出たという。ただし500円以内。よかった、よっかった。午後1時出発と決める。▲9時過ぎ、プールへ。フルメニューをこなす。イオンは今日5%引きだ。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4L、「TOPVALU 麦焼酎25度」2.7Lなどをゲット。帰宅して、カミサンと孫二人をマーサ21近くの「ブック・オフ」まで送る。二人は車を降りると丁寧に頭を下げ「ありがとうございました」と礼を言うではないか。いいなあ。帰宅して、遅めの昼食。2時半、三人を迎えに行くと、孫二人は今度もきちんとお礼を言った。あとは、買ったばかりのカードに夢中。▲久しぶりに「ふとん乾燥機」を使う。今夜の睡眠が楽しみだ。

☆山住正己『教育勅語』(朝日選書)を読み続ける。教育勅語の内容理解に苦悩した東京高等師範学校の川村理助の話が興味深かった。〇川村の悩みは(略)周辺の誰もが勅語を信奉せよと言っていることから起こっている。曰く、勅語は倫理学説を説いたものではないから学理の根本にはふれるな、曰く、「なぜ」には立ち入るな、そこへ立ち入ると各人各様となる、ひたすら遵奉せよ─と。それでよいのだろうかと、彼は考え悩んだのである。(略)小学生は勅語捧読に対し、ひたすら頭を下げて謹聴していたが、むろんその字句のすべてを理解していたのではなかった。子どもたちは、先生には分かっているのだろうと推測していたが、先生の方も、実は、よく理解できずに悩んでいたのである。(133頁~134頁)▲わたしはこの個所を読みながら、「教育勅語」を「人権教育」に置き換えていた。「なぜ?」を考えない人権教育は「遵奉」の押しつけにすぎないからだ。

☆「ハンセン病患者隔離 特別法廷─最高検、責任認め謝罪へ」(3/30M)〇かつてハンセン病患者の刑事裁判などが隔離された「特別法廷」で開かれていた問題で、最高検が差別的な運用の法廷に関わった責任を認め、謝罪することがわかった。(略)無罪を訴えていたハンセン病患者の男性が特別法廷で死刑となった「菊池事件」の弁護団が、再審請求するよう求めていたのを受けたもの。最高検検事が31日に弁護団と面会し、謝罪を伝える。ただ再審請求はしない意向で、弁護団は国家賠償請求訴訟を起こす方針。(略)検察側と面会する徳田靖之弁護団代表は「最高裁の謝罪から1年近くもたって、いまさら何を言うのかという思いだ」と述べた。▲権力は腐敗する。そして、とどのつまり人間的に腐敗する。

☆朝日社説(3/29M)〇パン食も定着し、近所にお気に入りのパン屋をお持ちの方もおられよう。ところがそんなパン屋が教科書からはじき出されたのだという。小学校道徳の教科書検定の結果、「にちようびのさんぽみち」との教材に登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更された▼学習指導要領が求める「我が国や強度の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との点が不足すると文部科学省が指摘し、出版社が修正した。パン屋では日本らしさが欠けるということか。同様の理由で、公園の遊具が和楽器の店に差し替えられた▼もう50年以上前だが、評論家の加藤周一が仏教伝来や洋服などを例に、日本は雑種文化であると論じた。「日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、同じ人が純日本風の電車や選挙を説くことはない」と書き、偏狭な日本主義者を批判した▼和菓子や和楽器にすがって国や郷土への愛を説くとすれば、滑稽というほかない。本質よりも体裁にこだわる大人たちの姿である。まさか反面教師の一環ではあるまい。▲文科省官僚たちの発想は、滑稽を通り越してお粗末の極みというべきで、彼らの文化的資質が透けて見える。▲今夜は、ここまで。

山住正己『教育勅語』 を読み続ける。

17/3/29(水)晴れ。
☆今日は、ゴミ出しの日。書斎兼寝室のゴミはカミサンが道向こうの集荷場に出してくれていた。ありがたいと感謝。9時、チャチャをオアシス動物病院に連れて行く。体重4.04㌔、体温37.6度。ミンクのためにキャットフード試供品を2袋いただく。10時、イオンのプールへ。受付で「室温・水温などの掲示が間違っていたことは、所長に伝えてくれましたか」と問うと、「そういうことはプールサイドのスタッフに言ってください」という。「スタッフがいなかったんだ!バカモン!」と、久しぶりに切れる。こういうスタッフを揃えているイオン・スポーツクラブの将来は危ういな。ま、どうでもいいことだけど。▲眞一と一希が「ブック・オッフ」に連れて行ってほしいという。遊ぶカードがほしいらしい。すると莉子が「お父さんやお母さんの許可をもらわないといけないよ」とアドバイス。さすがだと感動する。

☆島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書)に誘われて、山住正己『教育勅語』(朝日選書、82/1、第4刷)を再読しはじめると止まらなくなって。こういう読書が楽しい。▲今夜は、ここまで。

17年度最初の研修レジュメを作成する。

17/3/28(火)晴れ。
☆携帯の目覚ましが鳴り、8時過ぎ起床する。カミサンが淹れてくれたコーヒーを飲み、ミンクをオアシス動物病院に連れて行く。娘(J2)とカミサンが書いた、便の様子や下剤・止血剤・食欲増進剤・キャットフードなどに関するメモをA先生に渡し、丁寧な説明を受ける。体重2.58㌔、体温37.5度。点滴後、キャットフードの試供品を2袋いただく。帰宅後、娘(J2)に報告メールを送る。▲11時から12時半まで、イオン・プールで遊ぶ。ただ、室温・水温などを示す掲示版が前日午後7時のまま。受付の人に「もうちょっとまじめに仕事をしてくださいな」と苦言を呈す。正社員・非正規社員は関係ない。仕事とは何かが分かっていないのだろう。イオンの買い物は少し。午後、京都府立医大病院看護部の研修(4/4)レジュメを作成、送信。▲カミサンがミンクをベランダで日光浴をさせたという。元気になってきた証拠かな。

☆「お手玉の思い出」(神奈川県藤沢市、瀬戸幸江。無職・95歳。「ひととき」3/28M)〇先日、デイサービスでお手玉遊びをすることになり、赤い縮緬(ちりめん)のお手玉がみんなに配られた。お手玉にはつらい思い出があった。それは戦時中のことで、お気に入りのパラソルと交換した少しばかりの米や、革のバックと交換したサツマイモなども食べ尽くし、台所には食べる物が何一つなくがらんどうであった。その時ふと思いついた。それは3歳のめいが手に持って遊んでいたお手玉であった。めいは無心にお手玉遊びをしていたが、その中には穀物が入っていた。お米、大豆、小豆など。そうだ、家の中に食べる物はまだあったのだ。すぐにお手玉をほどいて中からお米を出し、小豆を出して夕飯に小豆がゆをたいた。久しぶりの米粒の感触が口の中に広がり、おいしかったこと。豪華なごちそうであった。着る物も不足していて、窓のカーテンやテーブルがけで服をつくることは誰でもしていたが、お手玉の中の穀物を食べたのは私だけの知恵だったろう。とにかく大ヒットであった。こうして細々と命をつないで生きてきた。絶対戦争はしてはならないと思った。▲投稿者は95歳の方。お手玉の中の穀物でいのちをつないだという。「軍国の少女八十路(やそじ)となりにけりペンペン草まで食(は)みしあの頃」(宇治市・山本明子。馬場あき子選評「『軍国の少女』は戦中、滅私奉公を強いられ、さまざまな仕事に従事させられた少女たち。食糧事情は悪く、食べられる雑草は何でも食べた。ペンペン草がリアルである」。わたしはおふくろの買い出しで、ひもじい思いをしなかったが、それなりに空腹感はあった。しかし世間にはお手玉の中の穀物をおかゆにしたり、ペンペン草を食す人びとがいたことを忘れない。

☆福島申二(編集委員)「日曜に想う─満開の桜と城山(三郎)さんの気骨」(3/26M)〇今年も桜の季節が巡ってきた。桜ほど日本人から様々な思念やイデオロギーを託された花はない。国家主義的な哲学者で戦前の東大教授だった井上哲次郎は大意こんなふうに述べている。「一つの花より一枝の花の集合体、一枝よりは一樹、一樹よりは全山の花の集合体の方が美しい。これは日本民族の長所が個人主義にあるのではなく、団体的活動にあるのを表現してあまりある」。このくだりは教科書にも載っていた。憲法施行から70年。多大な犠牲と反省の末に封印したものへの郷愁が、ここにきて急に濃度を増しつつあるようだ。そうした復古の上げ潮に乗るように、自衛隊員の命をあずかる防衛大臣が「教育勅語」を国会で平然と擁護するのが、今という時代である。「自由に生きるとは、これほど清々しく、心ときめくものかと、涙のにじむほど嬉しく感じた」と、城山さんは終戦の夏の感慨を残した。その自由を享受したあげく、むしろ居心地よく束ねられたい欲求が、わたしたちの中から湧きだしてはいないか。古い価値観や体制へのタイムマシンのような政治への支持は高い。遠い記憶に根を伸ばす桜に、忘れべからざるものは何かを聞きたい春だ。▲「旗ふるな/旗ふらすな/旗伏せよ/旗たため//社旗も 校旗も/国々の旗も/国策なる旗も/運動という名の旗も//ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命・・・」。引用された、城山さんの「旗」と題する詩だ。これまで、わたしは多くの旗を振ってきたように思う。いまも旗を振っているのかもしれない。しかし、「旗を振る」ことのおぞましさを踏まえつつも、「よく生き合おう!」という呼びかけの旗は降ろすわけにはいかない。▲今夜は、ここまで。

孫たちの春休みが始まる。

17/3/27(月)晴れ。
☆8時、起床。横でマリリンがおとなしく寝てくれたおかげだ。春休みを迎えた孫たちは、わたしを起こさないよう静かに玄関から入ってきたみたい。その配慮に感謝する。朝食後、イオン・プールへ。受付で年会費を納める。通い始めて20年、プールは体調維持の基軸となっている。フルメニューをこなし、プル友さんたちとお茶をする。イオンで、孫たちのために「焼豚切落し」、昼食用に「こだわりオムライス弁当」などを買う。午後3時半、「きだいじ歯科」へ。義歯の一部が剥離した。金属疲労のためだとのこと。応急措置をしてもらう。夕方、記事のチェックとファイリングに精を出す。

☆「ひと-猫カフェから『基本的猫権の尊重』を訴える河瀬麻花(あさか)さん(42)」(3/27M)〇減ってきたとはいえ、いまも年間7万匹近くの猫が殺処分されている。処分ゼロの社会をめざし、保護された猫と触れあえる猫カフェを営む。「日本国民のみなさん。『わが国』では、基本的猫権を尊重しています」。(略)日本国憲法をまねた「ネコパブリック憲法」がある。その中で、猫にも日本国民と同じ権利があることや、拷問や飼育放棄の禁止などをうたう。「残酷な殺処分について考えてもらうにも、楽しい入口が必要です」。(略)猫の共和国では、2を「ニャン」と読む。ニャンがずらりの22年2月22日までに殺処分ゼロ実現、が公約。「あと5年。首相として最高法規の『わが憲法』を順守し公約実現に向けて前進します」。文・写真 中島隆)▲人間に人権があるなら、猫たちにも猫権がある。わたしもずっとそう考えてきたので、河瀬さんの主張に同感する。わが家の猫たち7人はみんな「捨てられ猫」。いまでは生き合う家族の一員だ。最年長のミンクは「マグロ」に飽きたら食べてくれない。娘(J2)は「贅沢だね」とメールを寄こしたが、「ミンクの贅沢を許して生き合おう!」と返信しておいた。

☆「朝日歌壇」(3/27M)から〇「殺処分免れもらひ来し猫はわが来客の誰にもなつく」(島田市・水辺あお。高野公彦選)▲救われたいのちに幸多かれと念じる。〇「園児らが教育勅語を諳(そら)んじる戦前ですらなかりし風景」名古屋市・諏訪兼位。高野公彦選評「あの森友学園の幼稚園の教育勅語暗唱はまさに異様な光景。寒気を覚えた人もいるだろう」。〇「亡霊の教育勅語を幼子に唱えさせるが今はまだ異常」神奈川県・神保和子。「戦中派われもまさかと目をみはる幼ら誦(ず)しゐる教育勅語」(山形市・黒沼智。永田和宏選。永田選評「神保さん、驚愕の教育勅語。『今はまだ異常』が、異常でなくなる日が怖い。」▲時代の風向きがどうなっているのか、閑居のうちにも注視せざるをえない日々。▲今夜は、ここまで。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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