16/8/30(火)晴れ。
☆7時過ぎに目覚めてしまう。7時40分、やってきた孫たちと朝の挨拶を交わしたあと二度寝。10時半、起床。午後、新幹線岐阜羽島駅近くの喫茶店で、立ち寄ってくれた大阪の友人二人と話し込む。3時、帰宅。一希が書庫に入りたいと手を合わせて頼むので、やむなく入れてやる。マリリンが入り込むと困るので、「終わったら引き戸をたたいてね。そしたらつっかえ棒をはずして開けてあげるから」と伝えたのだが、しばらくして一希が無理やり引き戸を開けようとして、つっかい棒が落下。「だめやないか!」と声を荒げてしまった。あとで謝ると、「ぼくも悪かったです。ごめんなさい」というので、びっくり。そこで二人は和解のハイタッチ!一希は確実に成長していると実感する。▲プールで遊んだあと、買い物を少し。今朝、かなり強い雨が降ったらしく、庭の草木は元気。水撒きは止めることにした。
☆「若い世代」(8/26M)─山口友歌(高校生。岐阜県、15歳)「空いている優先席に心温まった」〇高校生になり、雨の日は通学でバスを使うようになった。先日、車内でふと気づいた。優先席に座る人がいないのだ。朝の通勤通学の時間帯は、老若男女様々な人で混み合う。そんな中、ぽつんと空いている優先席。体の不自由な人やお年寄り、妊婦さんのための席だが、私は「空いているなら誰が座ってもいいし、そういう人が乗ってきたら譲ってあげればいいんじゃない?」と思った。しかしすぐ私の心に温かいものが広がった。いつも同じ顔ぶれに囲まれた優先席が、立ってバスに乗ることがつらい人に向かって「皆さんの場所があるよ」と呼びかけているように見えたのだ。これも優先席のありかたの一つなのかもと思った。いつまでも、こんな思いやりにあふれた故郷でありますように。▲「座る人のいない優先席」が語りかけるものを受けとめる感性に感銘を受けた。
☆岩波『図書』(16/9)が届く。巻頭の「読む人・書く人・作る人」は、永田紅さん(歌人・生化学)の「膨らむ言葉」。編者の一人として関わり、8月に出版された『あなた 河野裕子歌集』(岩波書店)をめぐるエッセー。「書き残された言葉は、作者の死後も、まだまだ膨らむ余地のあるものなのだというのが実感。短歌のフレーズが、ふとしたおりに口をついて出ることがあるが、そんなふうに、本書の歌も生き続けてほしい。」『あなた 河野裕子歌集』は新聞広告で知って、すぐに寺島書店に注文。いま机上にある。ゆったりとした気分で読みたいと思う。☆同誌の高村薫「作家的覚書─少数派の独り言」〇憲法は、時代に合わせて変えればよい。憲法前文の主語が国民から国家に変わっても大したことではない。それよりとにかく景気対策を!こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてがいるが、何であれ、時代の大きな流れをつくり、そこに自ら呑み込まれてゆくのが多数派というものだろう。一方、少数派が信じる民主主義の理念や立憲主義と、幾ばくかの理性や知性はここへきてついに過去の遺物になり、両者の間には乗り越えられない決定的な壁が出現しているのかもしれない。(略)多数派は少数派には理解できない言葉や論理を使うため、両者をつなぐ回路は基本的に存在し得ない。それでもわずかばかりの理性ゆえに、少数派はなおもこの国の未来を案じることが止められないし、小説家は人間への眼差しを捨てることもできないのだが、筆者はいま、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。▲わたしは自分を少数派だと思わないし、多数派だとも考えない。「わたしは、わたし。それで何か?」という感じだな。高村さんは二項対立的に問題を立て過ぎているような気がする。
☆今夜は、ここまで。ではまた。
☆7時過ぎに目覚めてしまう。7時40分、やってきた孫たちと朝の挨拶を交わしたあと二度寝。10時半、起床。午後、新幹線岐阜羽島駅近くの喫茶店で、立ち寄ってくれた大阪の友人二人と話し込む。3時、帰宅。一希が書庫に入りたいと手を合わせて頼むので、やむなく入れてやる。マリリンが入り込むと困るので、「終わったら引き戸をたたいてね。そしたらつっかえ棒をはずして開けてあげるから」と伝えたのだが、しばらくして一希が無理やり引き戸を開けようとして、つっかい棒が落下。「だめやないか!」と声を荒げてしまった。あとで謝ると、「ぼくも悪かったです。ごめんなさい」というので、びっくり。そこで二人は和解のハイタッチ!一希は確実に成長していると実感する。▲プールで遊んだあと、買い物を少し。今朝、かなり強い雨が降ったらしく、庭の草木は元気。水撒きは止めることにした。
☆「若い世代」(8/26M)─山口友歌(高校生。岐阜県、15歳)「空いている優先席に心温まった」〇高校生になり、雨の日は通学でバスを使うようになった。先日、車内でふと気づいた。優先席に座る人がいないのだ。朝の通勤通学の時間帯は、老若男女様々な人で混み合う。そんな中、ぽつんと空いている優先席。体の不自由な人やお年寄り、妊婦さんのための席だが、私は「空いているなら誰が座ってもいいし、そういう人が乗ってきたら譲ってあげればいいんじゃない?」と思った。しかしすぐ私の心に温かいものが広がった。いつも同じ顔ぶれに囲まれた優先席が、立ってバスに乗ることがつらい人に向かって「皆さんの場所があるよ」と呼びかけているように見えたのだ。これも優先席のありかたの一つなのかもと思った。いつまでも、こんな思いやりにあふれた故郷でありますように。▲「座る人のいない優先席」が語りかけるものを受けとめる感性に感銘を受けた。
☆岩波『図書』(16/9)が届く。巻頭の「読む人・書く人・作る人」は、永田紅さん(歌人・生化学)の「膨らむ言葉」。編者の一人として関わり、8月に出版された『あなた 河野裕子歌集』(岩波書店)をめぐるエッセー。「書き残された言葉は、作者の死後も、まだまだ膨らむ余地のあるものなのだというのが実感。短歌のフレーズが、ふとしたおりに口をついて出ることがあるが、そんなふうに、本書の歌も生き続けてほしい。」『あなた 河野裕子歌集』は新聞広告で知って、すぐに寺島書店に注文。いま机上にある。ゆったりとした気分で読みたいと思う。☆同誌の高村薫「作家的覚書─少数派の独り言」〇憲法は、時代に合わせて変えればよい。憲法前文の主語が国民から国家に変わっても大したことではない。それよりとにかく景気対策を!こう叫ぶ多数派は、この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてがいるが、何であれ、時代の大きな流れをつくり、そこに自ら呑み込まれてゆくのが多数派というものだろう。一方、少数派が信じる民主主義の理念や立憲主義と、幾ばくかの理性や知性はここへきてついに過去の遺物になり、両者の間には乗り越えられない決定的な壁が出現しているのかもしれない。(略)多数派は少数派には理解できない言葉や論理を使うため、両者をつなぐ回路は基本的に存在し得ない。それでもわずかばかりの理性ゆえに、少数派はなおもこの国の未来を案じることが止められないし、小説家は人間への眼差しを捨てることもできないのだが、筆者はいま、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。▲わたしは自分を少数派だと思わないし、多数派だとも考えない。「わたしは、わたし。それで何か?」という感じだな。高村さんは二項対立的に問題を立て過ぎているような気がする。
☆今夜は、ここまで。ではまた。