2016年04月

これから山小舎へ。

16/4/29(金)晴れ。
☆7時過ぎ、かしまし娘のマリリンが室外に出たがる。やむなく起きてドアを開けてやった。こうなると二度寝がむずかしい。8時、思い切って起床し、車を移動する。コーヒーとパンの軽い朝食をとりながら朝刊をチェック。元朝日新聞主筆・若宮啓文(わかみや・よしぶみ)さんの急逝を知る。68歳は若すぎる。『ルポ現代の被差別部落』(朝日新聞社。1974年)は、朝日新聞長野版に73/9から74/5にかけて連載されたもので、支局員だった若宮さんの執筆になるという。わたしが部落解放全国行進隊に同行して長野県に入ったのは連載が終わった直後にあたる。40年以上前に、部落問題と誠実に向き合おうとする若いジャーナリストの姿が、そこにある。

☆今日は、旧太平天国社メンバーが山小舎に集う。まもなくわたしも出発する。今夜のブログ更新はなし。ではまた。

今日も孫を迎えに交差点まで出向く。

16/4/28(木)雨。
☆8時、脚がつり、痛みで眼が覚めてしまった。雨で外壁工事は休止。したがって車の移動はなし。1時、一希(小1)を迎えに交差点まで歩いて行く。眞一(小4)は、すたすたとわが家へ向かう。しかし一希がなかなか姿を現わさない。1時20分、ようやく同級生3人と帰って来た。信号を西へ、そして北へ。お友だちとタッチして別れる。交通量の多いこの交差点を無事に渡ることができるか心配になるが、それは取り越し苦労というものだろう。▲東京のYさんから、「関東からの山小舎交流会参加者は2人。5/2(月)夕方に到着予定」とのメールが届く。再会が楽しみだ。▲午後、西改田簡易郵便局で京都の娘(S)あての「ゆうパック」を送ったあと、プールへ。「かしまし娘」たち用のパウチを10袋買う。夕方、迎えに来た父さんによれば、一希は昨夕から今朝まで寝り続けたらしい。「寝る子は育つ」。それでいいのだ。「居眠り一希」という愛称を贈りたいな。

☆小熊英二(歴史社会学者。1962年生まれ。慶応大学教授)「論壇時評─『うさぎ跳び』からの卒業を」4/28M)。〇かつて、「うさぎ跳び」というトレーニングがあった。現在では、ほとんど行われていない。効果が薄いうえ、関節や筋肉を痛める可能性が高いからだ。しかし日本では、それに類する見当違いの努力が、随所で行われている。そして、社会の活力が失われている。たとえば教育。大内裕和はこう指摘する。日本の中学教員の労働時間は、OECD諸国で最も長い。しかし、授業時間は長くない。教員が時間をとられているのは、部活動や行事である。そのため、長時間働いても、教育の効果が上がらない。まさに「うさぎ跳び」に類する、見当違いの努力である。▲「『うさぎ跳び』という見当違いの努力」が称揚され、疑われることなく継続したのはなぜか。それは、この国に「検証の文化」がないからだ。合理的な疑問・異論・批判を受け入れない情緒的精神主義がはびこっていたからにちがいない。わたしは65年ほど前の中学校時代、野球部の捕手だった。あのころ捕手は両手で構えることが原則とされ、おかげでチップで右手薬指第2関節を骨折した。いま捕手は右手を背後に隠す姿勢をとるが、これまでにどれだけの選手がケガをしたことだろう。当時、京都市立松原中学校野球部の顧問教員はわたしたちをほったらかしにしていたが、生徒自身の意志で「うさぎ跳び」をやり、水を飲まなかった。それは「スポーツにおける精神主義の内面化」だった。怖いのは、表面だった強制ではない。▲今夜は、ここまで。

風邪か、それとも花粉症か。

16/4/27(水)晴れ。
☆8時半、カミサンから「自動車を移動してくれますか」と声がかかる。慌てて起床。▲鼻水と咳に苦しむ。風邪か花粉症か。朝食後、漢方薬(ツムラ・サイコケイシトウ)と咳止めの薬を服用する。10時、チャチャを「オアシス動物病院」に連れて行く。体重3.95㌔、体温37.4度。1時、一希を迎えるべく交差点に向かう。一希はお友だち2人と一緒。別れしなにタッチし合っていた。帰るや否や、国語の宿題─「う」の練習に取り組む。お兄ちゃん(眞一)にくっついてお友だちの家に出かける予定らしい。こうして行動範囲が次第に広がっていくのだろう。▲午後、プールへ。帰途、コンビニに立ち寄り、キャットフード代金を振り込む。眞一と一希は4時半過ぎ、「ただいまあ!」の声とともに帰宅。7時前、父さんが迎えに来るまで、一希は爆睡する。

☆「憲法を考える─個人と人(中)─自民改憲素案─『利己主義』の抑え役 本来は」(4/27M)。〇たかが1文字、されど1文字。自民党改正草案13条は、現行憲法の「個人」から「個」が削られ、「全て国民は、人として尊重される」となっている。(略)この権利偏重の憲法が「行きすぎた個人主義」を育み、利己的な今の社会を作った…。(略)個人主義と利己的な社会と憲法。その関係を考えたいと、静岡大学に笹沼弘志教授を訪ねた。(略)笹沼さんは言う。「自民党草案の前文は『活力ある経済活動を通じて国を成長させる』と、国民の、国への貢献を強調しています。国の成長が何よりも優先する。役に立たない人間の面倒を国が見る必要はない、そうした『常識』が『個人』の尊厳を傷つけ、社会の公正さを損なわせている。そのことを私たちに気づかせてくれる物差し、それが憲法です。」真に一人一人が「個人」として生きるということはどういうことか。「個人」を「人」に 替えようとする自民党改憲草案もまた、私たちに問いかけているのかもしれない。(守真弓)▲「個人として尊重される」と「人として尊重される」とは、何がどう違うのか。これは格好の演習課題だと思う。わたしも「自分の言葉」で考えたい。自民党改憲草案に隠されているネライはひとまずおいて。

☆「チェルノブイリ原発事故1カ月前の告発─無責任体質 データで批判─元地元紙記者・コワレフスカヤさん─『誰も学んでいない』」(4/27M)。〇1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故の1カ月前、この原発の建設に伴う問題を告発し、「欠陥のツケを払うには数十年もかかる」とした記事が旧ソ連・ウクライナ共和国の新聞に掲載された。筆者は地元紙記者だったリューボーフ・コワレフスカヤさん(63)。朝日新聞の取材に30年前を振り返った。(略)コワレフスカヤさんは90年代に米国でジャーナリスト賞を受け、ゴア元米副大統領がスピーチで業績に触れるなど、主に国外で評価された。(略)11年、東京電力福島第一原発事故の報を移住先のロシア・リャザンで聞いた。「チェルノブイリから誰も学んでいない。学者は理論をよくわかっているけど、30年前も今も、燃えている原子炉をすぐ鎮める方法を知らない」。原子力村への怒りは消えない。(ロシア西部リャザン=松尾一郎)。▲わたし自身、「チェルノブイリ原発事故」から何も学んでいなかった。遠い国の出来事のように受け止めていたのだ。

☆「朝日川柳」(4/27M)。〇「理想郷かかげマルクスエンゲルス」(三重県・毎熊伊佐男。西木空人選評「三句、ではあったが。」)▲わたしは学生時代、マルクスやエンゲルスが描いた「未来社会」が人類進歩の到達点だと確信していたため、社会主義国家の実情を直視しようとはしなかった。林達夫『共産主義的人間』を中公文庫で読んだのは80年代の初めのこと。わたしには、人間を深く感じ、広く考える知的誠実さが欠けていたのだ。いま、そのことを痛感している。

☆今夜は、ここまで。ではまた。

眞一と一希が連れだって下校して来る。

16/4/26(火)晴れ。
☆今日から外壁の塗装工事に入る。若い職人さんたちの感じがとてもいい。だが、カミサンの「連休の間も工事をなさるんですか。(すごいですね)」との声かけが、「連休の間は工事をしないでほしい」という意味に受け取られたらしい。言葉はむずかしいなあ。▲10時、「きだいじ歯科」に。電気治療などを受ける。帰途、バロー・ホームセンターで、山小舎用に長いゴム手袋や除湿剤などを買う。平日の午前、高齢者夫婦の多さに驚いてしまう。ま、かくいうわたしも高齢者やけど。▲1時過ぎ、バス停のそばで眞一と一希の帰宅を待つ。最初に気づいたのは一希。「あっ、おじいちゃんや!」と声をあげる。一番後ろは、迎えに行ったカミサンだ。玄関先で作業中の職人さんたちに眞一が挨拶する。今日は孫3人とも「家庭訪問日」。プールから帰ると、誰もいなかった。ああさみし。

☆「憲法を考える─自民改憲草案─個人と人(上)」(4/26M)。〇憲法で権力を縛るのが近代立憲主義の要諦(ようてい)なのに、国民に憲法尊重義務を課す。これは近代憲法といえるのだろうか。「草案の根底には、近代化そのものを否定したい、個人主義など『近代の病』にむしばまれた社会を救済したいという欲求があるんじゃないでしょうか。」日本の近代を研究してきた片山杜秀・慶応大学教授は、こうみる。「ただそれは、単純な復古とは違って、『安上がり』な国家にしたいという希求をはらんでいると思います。このまま少子高齢化が進めば福祉の切り下げが必要となる、でももう国家は面倒をみませんよ、個人主義を排して、家族や共同体で助け合ってくださいね、と」。(守真弓)。▲「よく生き合おう」と呼びかけているわたしは、「安上がりな国家=弱者切り捨て」政策のお先棒を担いでいるのだろうか。「よく生き合いたい」というのは、人と人との社会的精神的関係にかかわる。政治や法・制度はそれを支える最小限の「生命安全網」だ。それを切り捨てようとするのは、国家としての棄民政策にほかならない。この国は、旧植民地・占領地に多くの人びとを見捨てて顧みない汚辱の歴史をもつ。安倍政権と官僚たちは「21世紀の棄民政策」を推進しようとしているようだ。☆今夜は、ここまで。ではまた。

山小舎の救急用品を買う。

16/4/25(月)晴れ。▲9時半、岐阜市西部事務所(下鵜飼)に出かけて「印鑑証明書」を取り、帰りに「かさい内科クリニック」に寄る。血圧は問題なし。ヒルによる傷も「たいしたことはない」と診断される。プール対策もしてもらった。▲玄関を開放しての工事中、かしまし娘の「レレ」が外へ出てしまう。工事関係者は家猫がいることを知らず、当方は工事内容を理解できなかったためだ。大物のカミサンはいつもどおり鷹揚に構えて動じない。しかし、小心者のわたしは気が気でない。家の内外を探しているうちに、「レレ」が外から飛び込んできた!ああよかった。チャチャは、わたしの部屋に、かしまし娘は2階に閉じ込める。▲午後、プールへ。終わって山小舎の救急用品を買う。娘(J2)から依頼されていた「ハエ取り紙」はさすがに見当たらず。もう作っていないのかなあ。帰宅すると、孫は誰もいない。一希は莉子と一緒に遊びに出かけ、眞一は友だちの家へ。こうして孫たちは次第に自立していくのだろう。

☆「朝日歌壇」(4/25M)から。
 〇「禅僧のわが耳に痛し知足(ちそく)説くウルグアイ前大統領の言」(三原市・岡田独甫。高野公彦選評「高消費社会を批判し、みずから質素に暮らす前大統領ムヒカ氏が先ごろ初来日したが、第一首はその人への畏敬の念を詠む。)▲「足るを知る」。むさぼらない節度をいう。顧みて如何。

☆「『月』を『るな』 名前知り驚いた」(無職、I・Sさん。三重県・90歳)(4/25M)。〇最近のお子さんの名前は、大正生まれの人間には、振り仮名がないと読めないものがずいぶんあります。少しずつ慣れてきたと思っていましたが、最近びっくりすることがありました。「月」と書いて「るな」と読む名前があると知ったのです。「月」を「るな」と読ませる日本語は、どこの書物に記されているのでしょうか。辞書にも出てこない読み方を、子どもさんにつけられた学のある親御さんに感心しました。それと同時に、自分の浅学非才を思い知り、恥じいるばかりです。今まで90年生き、ずっと日本語を使ってきました。それも、小さいころから使って十分知っていると思っていた「月」の字が「るな」とよむことに、言葉もないほど驚いたのは私だけでしょうか。▲わたしも驚いたひとりだ。「Luna=古代ローマの女神」と辞書にある。名付けは自由、読みは自由。それにしても最近の傾向は度が過ぎているのではないないか。▲今夜は、ここまで。ではまた。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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