15/8/30(日)曇り、のち雨。
☆9時半起床の予定だったが、「睡眠不足だよ」と身体が言う。こういうときは身体の声に従うべし。11時、起床。朝食をとりながら朝刊にざっと目を通す。12時半、瑞穂市立中(なか)小学校に向かうが、途中で忘れ物を思い出し、引き返す。15分のロス。「これもまたよし」と自分に言い聞かせる。あれこれ道に迷った末、旧中仙道の宿場町・美江寺の中(なか)小学校に到着。校長は所用で不在。応対してくださった教頭のYさんは岐阜大教育学部史学科の卒業生。聞けば10年前にも招かれたことがあるらしい。全校生徒181人、教員12人の学校だ。図書室に集まってくださった教員は7人。20代と50代にきっぱり別れている。20代のHさん、Mさん、Kさんにお相手をしてもらう。「いのちと魂の成長に寄り添い、関わって始めて教員は教師になる。先輩に相談し、教えてもらうようにね」とお願いする。
話の流れで、「なぜ?どうして?」が大事だよと、部落解放運動での体験を語る。「意見を言うと、『部落民でない君に何が分かるか』と批判された。わたしは30分間、すねたね。気持を取り直しもう一度発言したら、また言われた。分かってほしいという思いと分かりたいという願いが出会うことが大事なのに、『部落民でない君に何が分かるか』と断定されるのはおかしいやんけ。わたしはその問いをずっと持ち続けた。それが『同和はこわい考』に結実する。ところで『すねる』という漢字はどう書くの?」と24歳のHさんに聞いた。「手偏にヨウかな」と答えてくれた。「凄いなあ、あなたは。手偏に幼と書いて『拗』。拗ねる」。年配の教員たちはびっくり。Hさんの株は確実に上がったと思うよ。3時半、学校を出る。
☆いったん帰宅してからプールへ。水泳は短めに。イオンで買い物をするが、5%引きというのでレジは大混雑。戦後の闇市を知っているのであまり驚かないけれど、みなさんが必死で家計を守ろうとしているのが伝わって来る。夕食に「新サンマ」と「ゴーヤチャンプル」が出る。おいしかった!カミサンに感謝。
夜、NHKスペシャル「シリーズ老人漂流社会・急増する親子共倒れ─親を苦しめる子の失業・『老後破産』の果てに」を観る。こういう番組を観て、自らの余裕ある生活を省みて自分には無関係と思うか、映像に登場する人びとの「自立心のなさ」を批判するか。しかし問われているのは、この国、この社会、この地域の「生き合う」共同性ではないか。
☆「いじめ どう考えますか?」(8/30M)。
▲AKB48・高橋みなみさん「傍観者は『小さな勇気を』」と語っているが、そのとおりだと思う。だから、愛知県知多教育事務所のみなさんと8年前、人権教育教材ビデオ「君の勇気を待っている」を制作したのだった。しかし、岐阜市を含め反応はほとんどなかった。それはなぜか。教員が「『いじめ』はいけないと教えることが大事」と勘違いしているからだろう。子どもは「いじわる・ケンカ・かげぐち・いじめ」などをしてしまう。大事なのは、そこから何を学ぶか、だ。「いじめはいけない。みんな仲良く」などときれいごとを語る教員のタテマエに子どもたちはうんざりしているのだ。教員が自己対象化・自己内対話を進め、自己言及的に「いじめ」について語らないかぎり、「いじめはいけません」という「教え」は子どものこころの中を素通りし続ける。「朝日」の調査によれば、「いじめはなくせる?」という問いに、「あまりなくせない」「なくせない」と答えた小中高生は9割近くになるという。子どもたちの方が現実を直視しているとは言えないか。
☆明日は、岐阜大教育学部の元同僚・永平和雄さん(日本近代文学史。1923~2003)の墓参で名古屋に出かける。集まるのは東京・京都・岐阜の数人。墓参後、永平さんを偲ぶ懇親会がある。岐阜で永平さんに出会えたことは幸せだった。その思いを墓前でお伝えしたい。今夜は、ここまで。ではまた。
☆9時半起床の予定だったが、「睡眠不足だよ」と身体が言う。こういうときは身体の声に従うべし。11時、起床。朝食をとりながら朝刊にざっと目を通す。12時半、瑞穂市立中(なか)小学校に向かうが、途中で忘れ物を思い出し、引き返す。15分のロス。「これもまたよし」と自分に言い聞かせる。あれこれ道に迷った末、旧中仙道の宿場町・美江寺の中(なか)小学校に到着。校長は所用で不在。応対してくださった教頭のYさんは岐阜大教育学部史学科の卒業生。聞けば10年前にも招かれたことがあるらしい。全校生徒181人、教員12人の学校だ。図書室に集まってくださった教員は7人。20代と50代にきっぱり別れている。20代のHさん、Mさん、Kさんにお相手をしてもらう。「いのちと魂の成長に寄り添い、関わって始めて教員は教師になる。先輩に相談し、教えてもらうようにね」とお願いする。
話の流れで、「なぜ?どうして?」が大事だよと、部落解放運動での体験を語る。「意見を言うと、『部落民でない君に何が分かるか』と批判された。わたしは30分間、すねたね。気持を取り直しもう一度発言したら、また言われた。分かってほしいという思いと分かりたいという願いが出会うことが大事なのに、『部落民でない君に何が分かるか』と断定されるのはおかしいやんけ。わたしはその問いをずっと持ち続けた。それが『同和はこわい考』に結実する。ところで『すねる』という漢字はどう書くの?」と24歳のHさんに聞いた。「手偏にヨウかな」と答えてくれた。「凄いなあ、あなたは。手偏に幼と書いて『拗』。拗ねる」。年配の教員たちはびっくり。Hさんの株は確実に上がったと思うよ。3時半、学校を出る。
☆いったん帰宅してからプールへ。水泳は短めに。イオンで買い物をするが、5%引きというのでレジは大混雑。戦後の闇市を知っているのであまり驚かないけれど、みなさんが必死で家計を守ろうとしているのが伝わって来る。夕食に「新サンマ」と「ゴーヤチャンプル」が出る。おいしかった!カミサンに感謝。
夜、NHKスペシャル「シリーズ老人漂流社会・急増する親子共倒れ─親を苦しめる子の失業・『老後破産』の果てに」を観る。こういう番組を観て、自らの余裕ある生活を省みて自分には無関係と思うか、映像に登場する人びとの「自立心のなさ」を批判するか。しかし問われているのは、この国、この社会、この地域の「生き合う」共同性ではないか。
☆「いじめ どう考えますか?」(8/30M)。
▲AKB48・高橋みなみさん「傍観者は『小さな勇気を』」と語っているが、そのとおりだと思う。だから、愛知県知多教育事務所のみなさんと8年前、人権教育教材ビデオ「君の勇気を待っている」を制作したのだった。しかし、岐阜市を含め反応はほとんどなかった。それはなぜか。教員が「『いじめ』はいけないと教えることが大事」と勘違いしているからだろう。子どもは「いじわる・ケンカ・かげぐち・いじめ」などをしてしまう。大事なのは、そこから何を学ぶか、だ。「いじめはいけない。みんな仲良く」などときれいごとを語る教員のタテマエに子どもたちはうんざりしているのだ。教員が自己対象化・自己内対話を進め、自己言及的に「いじめ」について語らないかぎり、「いじめはいけません」という「教え」は子どものこころの中を素通りし続ける。「朝日」の調査によれば、「いじめはなくせる?」という問いに、「あまりなくせない」「なくせない」と答えた小中高生は9割近くになるという。子どもたちの方が現実を直視しているとは言えないか。
☆明日は、岐阜大教育学部の元同僚・永平和雄さん(日本近代文学史。1923~2003)の墓参で名古屋に出かける。集まるのは東京・京都・岐阜の数人。墓参後、永平さんを偲ぶ懇親会がある。岐阜で永平さんに出会えたことは幸せだった。その思いを墓前でお伝えしたい。今夜は、ここまで。ではまた。