2014年09月

信じ込みやすい自分を振り返るために。

14/9/29(月)晴れ。

☆10時半、起床。朝食後、新聞をチェック。
  〇「憲法9条の条文がない教科書」(牧師 G・H。千葉県 50.9/29M)
小学6年生の息子が使っている社会科教科書を見て、はっとさせられた。憲法を学ぶ単元の中に、「9条」の文字と条文が見あたらない。「条文では、外国との争いごとを武力で解決しない、そのための戦力をもたないと定めています」という記述があり、非核三原則や憲法前文の要旨などは紹介している。だが、私には9条そのものをぼやかそうとしているように感じる。(略)安倍晋三首相は自民党総裁だった2012年12月の総選挙にあたって「みっともない憲法」と形容したという。しかし、憲法は国のあり方を規定する最高法規だ。もし改正を議論するにしても、子どもたちも含めて憲法をよく学び、国民的な議論をする必要があるのではないか。(略)
  私が子どもの頃、尊敬する先生が世界に稀有(けう)の平和憲法として、憲法9条を熱く教えてくれたことを思い出す。現場の良識ある先生方に期待するとともに、我が家でも教科書が取り上げない憲法の条文をこどもたちと読み、話し合っていこうと思う。
 ▼「みっともない憲法」という安倍発言は歴史の記憶に刻まれるはずだ。そして「みっともないのはどちらだ!」という厳しい問いが続くはず。孫の莉子は5年生。来年度、日本国憲法を学校で教えられるはず。『あたらしい憲法のはなし』を学んだ最後の中学生としてわたしは、莉子と真っ直ぐに話し合うつもりだ。日本国憲法を持たない、読まない校長や教員が多くいる現実を思うと、残念ながら「先生方」にはあまり期待しない方がいいだろうから。

☆朝日歌壇から4首(9/29M)
 〇「裁判所点字を文字と認めないそれは過去です点字裁判」(名古屋市 福田万里子。佐佐木幸綱選)
  ▼このニュースには気づかなかった。「点字を文字と認めない時代遅れの裁判官」がまだいるんだ。 
 〇「精神は白髪交じりにならぬよう茨木のり子の詩集を読みおり」(横浜市 高橋潤子。高野公彦選)
  ▼「白髪交じりの精神」もまたいいではないか。いつまでも「黒髪ふさふさ」の精神ではもたない。適当に枯れるべし。 
 〇「天満宮の自販機に百円ひとついれびっくりしたよ『おこしやす』だって」(横浜市 高橋理沙子。高野公彦選)
 ▼小学6年生のとき、遠足にはいて行くズボンを買いに北野天神の古着市にお袋とチンチン電車に乗って出かけたことがある。正ちゃんも一緒だったかな。わが家の暮らしが苦しくなりかけていたころだ。この短歌で、そんなことをふと思い出してしまった。
  〇「『憲法を遵守せよ』との憲法をも一つ作らねばならぬかな」(前橋市 荻原葉月。永田和宏選)
  ▼永田評「憲法はあることに意味があるのではなく、守ることに意味がある」。改憲・護憲・選憲…。いろいろあっていい。大事なのは、自分の言葉で考えることだ。

☆とよなか人権文化まちづくり協会機関誌『じんけん ぶんか まちづくり』第45号(14/10)が届く。36頁の大部の機関誌。わたしの「よく生き合うとは~『同和はこわい考』から27年」が掲載されている。
 〇大型台風が近畿圏を直撃するといわれた7月10日、開催が危ぶまれましたが幸いに台風は過ぎ去り、新幹線の遅れもなく、岐阜県から藤田敬一さんをお招きすることができました。職場研修を兼ねた講座だったこともあり144名の参加となりました。話の引き出しの多さに驚きつつ感嘆し笑い、そして深く頷き自分の生き方について考えさせられる時間となりました。(文責:森山輝子)
  ▼講演のテープ起こしなど、森山さんには大変お世話になった。わたしの話はあちらこちらに飛ぶ。自分でも戻る先が分からなくなるときがある。そんな講演録を簡潔にまとめてくださった森山さんに感謝。多くの人が読んでくださるとうれしい。

☆寺島書店から、原田実『江戸しぐさの正体─教育をむしばむ偽りの伝統』(発行:星海社、発売:講談社。14/9第2刷)が届く。「朝日」の紹介もあって、「江戸しぐさ」に感銘を受けていた。それが「偽り」だという衝撃の告発。参ったなあ。じっくり読んで、「信じ込みやすい」自分を振り返りたいと思う。

☆いま10/1(水)午前零時23分。明日は、岐阜市人権教育・啓発協議会検討部会。9時半出発を予定している。これから、お風呂に入って寝ます。ではまた。おやすみなさい。

御嶽山の噴火に驚く。

14/9/28(日)晴れ。

☆睡眠中、右脚が引きつって目覚めてしまう。二度寝して起床したのは11時。メールとブログを確認する。ブログには相変わらずミスがあり、訂正。
  朝刊をチェックする。「御嶽山噴火」の記事が満載。東京の友人からお見舞いのメールが届いたが、御嶽山は岐阜・愛知に住む者にとってはいつも遠く眺めることのできる親しい山だ。活火山だというイメージはない。夕方、屋上に上がって、双眼鏡で眺めるが、御嶽山は見えない。わが家から少し南下すれば見えるのだが。御嶽山五合目にある「名古屋市休暇村」での小牧市職員研修に何回か出かけたことがある。あの御嶽山が噴火!いつも穏やかで、おとなしい御嶽山が怒ったのではないか。噴火は憤火に違いないと、わたしは感じた。
 朝日「天声人語」(9/28M)は、「北だの、中央だの、南だのと、アルプスは混みあっているね、そんな仲間入りは御免だよ、といいたげに悠然と孤立している」という、深田久弥『日本百名山』(新潮文庫)の一節を引いているが、孤立を屹立(きつりつ)と言い換えたい気がする。しかし屹立はちょっときついかな。磐梯、御嶽、伊吹、大山、石鎚、阿蘇は、わたしの好きな山々だ(富士は除く)。人は、山に自らを投影するというが、わたしにそんな立派な思いがあるわけではない。ただ「一人ぼっち」の山が好きだということ。

☆元ゼミ生のN君から「今、神崎の『舟伏の里』でランチしています。おいしいです。多分先生の山小屋の近くですね。いいところですね」とメールあり。夕方、インターネットにもメールが届く。
  〇「舟伏の里」のランチ(1200円)。おいしくとてもヘルシーでよかったです。デザートのゆずのゼリーもなかなかでした。私も「GIFUTO」を読んで出かけたのですが、たまたま食事のあと、先生のブログをスマホで開いたら記述があり、びっくりしました。
  ▲「舟伏の里」を紹介する記事は無料広報誌「GIFUTO」に載っていたという。そうか。カミサンが切り抜いのだが、本体を処理してしまったために掲載誌を確認できなたかったのだ。それにしてもN君とわたしが、ほぼ同時に「舟伏の里」のことを思ったというのは、不思議な縁で愉快きわまりなし。N君は「特製ランチ」の映像をメールに添付してくれた。おいしそう。注文はこれに決めた!

☆愛知県みよし市立三好丘中学生からブログにメールが届く。「こんにちは。三好丘中の生徒です。先日の話、有難う御座いました。随分、タメになりました」。「いい笑顔と真剣なまなざしが印象的でした。いつかまた、どこかで」と返信する。こういうやりとりが、うれしい。

☆今朝、BSプレミアム「こころ旅」の再放送を見ていたら、豊中市岡町商店街の喫茶店「ドラン」の看板と入口が映っているではないか。7/11の昼、「ドラン」の2階で佐佐木寛治さんとランチを食べたばかり。窓から原田神社を眺めたのだった。「こころ旅」は明日から兵庫へ。楽しみだ。

☆NHKの朝ドラ「マッサン」が、ニッカウイスキーの竹鶴政孝夫妻を取り上げるらしい。土屋守『竹鶴政孝とウイスキー』(東京書籍)という本の広告も載った。これでニッカファンが増えたらうれしいなあ。

☆瑞浪市での講演(10/1)用レジュメを送信。記事の切り抜きも完了。みなさんとの応答に粗相なし。いま、9/29(月)午前零時過ぎ。明日はフリー。これからお風呂に入って寝ます。ではまた。おやすみなさい。

岐阜県山県市「農家レストラン─舟伏の里」のこと。

14/9/27(土)晴れ。

☆8時、目覚ましが鳴る。今朝一番の仕事は、「資源ゴミ」の搬出だ。JAぎふ七郷支店へ。担当は子ども会。2歳の女の子もお手伝いをしている。「かしこいね。ありがとう!」とお礼を言う。朝刊をチェック。

☆「『花子とアン』 戦争の悲劇思う」(無職 O・S 大阪府 79。9/27M)
  〇27日に最終回を迎えるNHKの連続テレビ小説「花子とアン」をずっと見てきました。主人公の親友で、息子を戦争で失った蓮子の姿に涙が出ました。当時、息子をお国に捧げるのは尊いこととされていましたが、その陰でどれだけ多くの蓮子がいたことか。
  私の祖母は貧乏暮らしの中で、母ら娘2人と息子1人を育てました。叔父が兵役に取られる時、母に言ったそうです。「ここまで育てるのにどれだけ苦労したか、天皇さんは知っておられるやろうか」。母はびっくりして「決して外で言ってはいかんよ」と言ったそうです。私は息子に対する母の真実の気持ちと思います。叔父は幸い復員しましたが、数多くの兵士が亡くなりました。靖国神社に祀(まつ)られても死んだ人は帰りません。
  集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、自衛隊が他国を守るため海外で戦えることになり、若者が駆り出されようとしています。蓮子の悲劇を繰り返してはなりません。
  ▲わたしは「花子とアン」を見ていない。訳本も読んでいない。しかし、こうしてドラマから歴史を振り返る方がいる。今日、書庫を整理していたら、『赤毛のアン』2冊、『アンの愛情』、『アンの青春』(いずれも新潮文庫)が出てきた。カミサンや娘たちが読んだものらしい。丁重にカミサンに渡す。

☆岐阜県山県市北山地区(神崎)の廃校を利用した、農家レストラン「舟伏の里 おんせぇよお~」(080-2648-8175)が開店したのは、昨年夏のこと。わたしの山小舎は、ここから右折して円原川沿いに4キロほど上ったところにある。気にはなっていたけれど、まだ立ち寄ってはいない。無料広報誌(誌名と発行日を失念!)に特集が掲載されて、詳しい事情を知った。平均年齢74歳の女性たちが自ら育てた食材を使っての「農家レストラン」。平日10時~15時、土日11時~15時。月火休み。「滋味深い郷土料理で、町を元気に!」がモットーだとのこと。いつも通り過ぎるばかりだったが、次の山小舎行きの途中にはぜひ寄りたい。特製ランチ(1200円)・「みそ煮ランチ」(850円)・「蕎麦ランチ」(850円)は土日限定だが、どれをいただくか、いまから楽しみだ。

☆いま9/28(日)午前1時過ぎ。これからお風呂に入って寝ます。明日は、10/1(水)の瑞浪市講演会のレジュメを作成する予定。ではまた。おやすみなさい。

孫たちに言い遺すように語りかけているわたしがいる。

14/9/26(金)晴れ。

☆8時、起床。9時半、出発。マーサ21前のバス停でプル友さん2人と出会う。いつもと違う出で立ちに驚いてはった。今夏もTシャツ姿でプールに通ったからなあ。名古屋駅構内の「おらが蕎麦」で、「冷玉そば」(515円)を食べ、JR高島屋11階の三省堂で、佐川光晴『牛を屠(ほふ)る』(双葉文庫。14/7)買う。「地下鉄東山線→伏見乗り換え→鶴舞線→赤池下車」のつもりが、居眠ってしまい、目が覚めたら浄水駅。ああ。慌てて引き返す。赤池で、みよし市の担当者Tさんとドッキングするも、今度はTさんが学校を間違えた。おかげで開始15分前にやっと三好丘中学校に到着。

☆会場の体育館には700人を超える生徒と教員、そして人権擁護委員6人が待っていてくださる。人権擁護委員の代表者が「人権擁護委員とは何か」を分かりやすく説明した後、わたしを紹介してくださる。演題は「よく生き合うということ─人権について考える」。
  まず「体操(体育)座りはしなくていいよ。身体が硬いと、心が硬くなる。心が硬いと、身体が硬くなる。それを仏教では心身一如と言う」と説明する。あとで、校長さんは「生徒たちが一斉に楽な姿勢になったのには驚いた」と述懐されたが、みんな、あの姿勢に困っていたんだ。前列に、いい表情をしている3年生の男子生徒がいたので、相手をしてもらい、最後にハグし合ったら大きな拍手が起こる。背は、わたしより高い。つまり、わたしが彼に抱きつく形になり、大爆笑。
  彼は15歳。わたしは75歳。「しかし、君はいずれ死ぬ。わたしは間もなく死ぬ。人はみな、誰かに代わってもらうわけにいかず、誰かに代るわけにはいかない、一回かぎりの人生を送る。その人生を自分らしく、人間らしいものにするかどうかは、君の選択にかかっている。その選択には自己責任が伴う」と語りかける。60分間、生徒たちは一所懸命に聞いてくれた。「大事なのは、よく生き合う関係。人権は、その関係を法律や制度という形にしたもの。言葉や知識から出発するのではなく、身近なところから、よく生き合う関係をつくりだすことが大事なんだ」と力をこめて訴えるうちに、わたしは、ふと、莉子や眞一、一希に語っている自分を感じた。
 校長室でコーヒーをよばれていたら、外を生徒たちが通る。カーテンを開け、窓越しに挨拶をすると、みんなびっくり。彼らと会うことはもうないだろう。だからこそ窓越しの挨拶がしたかったのだ。

☆朝日新聞紙面審議会(9月会合。14年度第2回)「慰安婦問題検証 吉田調書報道 池上彰さん連載対応─本紙への批判や提言」9/26M。
  ▲わたしには、これまでの紙面審議委員から、朝日の「慰安婦問題」と「吉田調書報道」について違和感・異論・批判が表明された記事を読んだ記憶がない。だから、今回の「事態」について、いまにいたって紙面審議委員4人がコメントする意味がよくわからない。それでも参考になるものもあった。
  〇いま何より必要なのは、戦時性暴力に対する国際的な視野の中で慰安婦問題を検証することだ。(略)吉田証言の虚偽性や「挺身隊(ていしんたい)」の誤用は、問題全体の中では枝葉末節に近い。そこを混同すると本質を見失う。(略)吉田調書についてはあわてて謝る必要があっただろうか。誤報と言い切って謝った判断は早すぎる気がする。(斉藤美奈子委員)
 ▲今回の事態に対する「朝日」のドタバタの裏には「臭い物に蓋(ふた)」の感がありあり。大事な視点と根拠を捨ててどうする!
  〇一般の読者にとっては、朝日新聞の本社幹部の人たちは、かなり遠い存在だと思う。ふつうなら会えない。タウンミーティングのような形で、幹部の側から出向いて行って、全国各地の読者と語り合う「読者ミーティング」のような催しをやってもいいのではないか。(湯浅誠委員)
  ▲わたしは「朝日」本社の幹部に会いたいと思わないし、「読者ミーティング」の会に出かけて、幹部のご尊顔を拝する気もない。「ふつうなら会えない」人とは、どういうことか。「会う必要がない」人だろう。こういう物言いをする湯浅さんの気持がわからない。読者の息遣いは、一線の記者が日々の取材で感得すればいいのだ。朝日の幹部なんて、わたしには関係ない。
  〇朝日が吉田証言の記事を取り消したことで、慰安婦問題はまるでなかったかのような、様々な論理の飛躍が見られるように思える。(略)慰安婦問題の本質は、強制連行の有無ではなく、戦時下での性暴力・人権問題にある、という朝日のスタンスは間違っていない。それは日本に限らないことだろう。表向きは軍が関与していなくても、行為を黙認したり、場所を提供したりといった形でかかわっていることもある。世界的な問題として検証していくべきではないか。福島原発事故の「吉田調書」問題で残念だったのは、なぜ所員の撤退にこだわったのかということだ。吉田調書のなかにはもっと大きな、核心的な問題があったのではないか。(中島岳志委員)
 ▲「私が大学に入った90年代半ばには、すでに吉田清治氏の『証言』は使えない資料だ、という認識は研究者の間で共有していた」と中島さんは言う。もしそうなら、朝日の身近な記者と従軍慰安婦問題における吉田証言について意見交換をしなかったのかという疑問が湧く。わたしの見るところ、中島さんは「事柄の意味を突き詰めなかった」のではないか。すべて物事は、自己言及的であるべし。紙面審議委員もまた同じ。「ジャンケンの後出し」は、よくないよ。

☆いま9/27(土)午前2時15分。明日は8時起床、資源ゴミ出し。あとはフリー。これからお風呂に入って寝ます。おやすみなさい。ではまた。

岐阜市の会議に出かける。

14/9/25(木)晴れ。

☆8時過ぎ、起床。10時半、プールへ。軽く泳ぐ。昼食はマーサ21内の「丸亀製麵」で「とろ玉=とろろと半熟玉子入り」うどん(390円)+「明太子おむすび」(130円)を食べる。岐阜市役所近くの「ドリームシアター」に立ち寄る。眞一が今日、社会見学で来ているはずなのだが、姿が見つからなかった。ああ残念。

☆1時半から、岐阜市人権教育・啓発推進専門委員会(第1専門部会─人権作品審査会)に出席する。委員は6人。人権ポスターの応募総数は小中学校25校から907点に上り、人権啓発センターによる1次審査、教育委員会学校指導課の2次審査を経て選ばれた、小中学生50点を対象に選考する。テーマ(キャッチフレーズ)は「さしのべた 心もその手も あったかい」「『大丈夫』 君の言葉は 温かい」「やさしさが こころにうつる きみのかお」「おはようと 言った数だけ 心の輪」。いずれも昨年度の標語入選作品だという。約1時間かけて「最優秀賞・優秀・入選・佳作・努力」賞を決める。わたしは単なる審査委員に過ぎないが、作品に込められた生徒さんたちの「思いと願い」が伝わってくる。応募者と教員のみなさん、そして事務局の方々にこころから感謝したい気持になった。帰途、散髪屋さんに寄ってすっきりする。4時過ぎ、保育園へ。

☆半藤一利『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫)を読んでいたら、こんな記述に出会った。
    〇漱石の戦争観あるいは国家観については、多くの未知数の部分が残されているのではないか、という気がしている。なにしろこれぞ完本と見られる岩波書店の全集でも、たとえば漱石の明治三十八・三十九年の「断片」のつぎの記載が、昭和四十年の初刷にはなく、五十年刊の第二刷にもなく、六十年刊の第三刷になってはじめて採録されているというふうであるから。
 「天子の威光なりとも、家庭に立ち入りて故なき夫婦を離間するを許さず。故なきに親子の情合(じょうあい)を殺(そ)ぐを許さず。(中略)桀紂(けつちゅう)といえどもこの暴虐を擅(ほしい)ままにするの権威あるべからず。況(いわ)んや二十世紀に於いてをや。(中略)天は必ず之を罰せしめざる可からず。天之を罰するはこの迫害を受けたる人の手を借りて罰せしめざる可からず。これ公の道なり。照照として千古にわたりて一糸一毫(いっしいちごう)もかゆべからざる道なり」
  漱石先生の死後七十年もたって、「天子の威光なりとも、…故なきに親子の情合を殺ぐを許さず」なんて、仰天するような言辞を新たに示されては、このさきまた何がでてくるかわからないと、ここはまず漱石先生を真似て「恐レビデゲス」と、わたしのごときシロウト探偵は引きさがるほかない。
  ▲わたしの書架にある『漱石全集』第13巻(日記及断片)は「昭和四十一年十一月発行」とあり、半藤さんの引く「断片」はもちろん掲載されていない。解説は小宮豊隆 。「過激な」内容に恐れをなして掲載を見合わせたのだろうか。

☆「見えていますか 点字ブロック」(会社員 N・H 神奈川県 56。9/24M)
 〇白杖(はくじょう)をつきながら歩いてきた男性が、歩道に止めてあった工事用トラックに激突する瞬間を見てしまいました。その後、男性はまるで何事もなかったようにトラックを迂回(うかい)してそのまま行ってしまいましたが、よく見るとトラックは点字ブロックをまたいで止まっていたのです。
  そこで、駅前の歩道を見渡してみました。すると点字ブロックがとんでもない状態にあることがよく分かりました。幅が広い歩道なのに点字ブロックがマンホールのふたをコの字形に迂回するようになっていたり、バス停でバスを待っている人たちが点字ブロックの上に平然と並んでいたり。「目を閉じて点字ブロックを頼りに歩いてみて」と言われても、怖くて歩けないと思います。普段見えていると思っている点字ブロックが、私たちには全く見えていないのではないでしょうか。私も先日の事故を見て初めて、本当は見えていなかったと実感しました。
  私自身、緑内障になったことから、もしかしたら失明するかもしれないという不安があり、気がかりでなりません。安心して歩ける街になって欲しいと思います。
 ▲点字ブロックをめぐるニュースが絶えない。わたしは講演で、「自分に関係がないことには関心が向かない」例として点字ブロックについて話すことがある。1965年、岡山市で旅館業を営む三宅精一さんが考案し、67年、岡山県立盲学校近くの横断歩道に設置されたのが世界で最初の点字ブロックだという。点字ブロックについては、徳田克己・水野智美『点字ブロック─日本発・視覚障害者が世界を安全に歩くために』(福村出版。11/9)が詳しい。

☆高橋源一郎(作家)「論談時評─〈個人的な意見〉『愛国』の『作法』について」9/25M
  〇学校で「新聞」を作るプロジェクトに参加している小学生の息子が、おれの机の上に積まれていた新聞と雑誌を見つけ、「これ、なに?読んでいい?」と訊(き)いてきた。おれは、少し考えて、「止(や)めときな」といった。「なんで?」「下品で卑しいものがまじっているから。そのうち、きみはそういうものにたくさん出会うことになるだろうが、いまは、もっと気品があって美しいものを読んでもらいたいんだよ。パパとしては」「わかった」。そういうって、息子は書斎を出ていった。おれは、なんだかちょっと悲しく、憂鬱(ゆうつ)だった。
 朝日新聞は、二つの大きな「誤報」を作り出した。「誤報」に関しては、擁護のしようもない。その後の対応も、どうかしている。だから、批判は甘んじて受けるべきだ、とおれは考えていた。机の上にあったのは、その「誤報」を批判するものだった。その中には、有益なものも、深く考えさせられるものもある。だが、ひどいものも多い。ひどすぎる。ほんとに。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐。そして、「反日」や「売国」といったことばが頻出する。(略)
  ▲少し言葉をついだあと、高橋さんはアメリカ人作家スーザン・ソンタグ(1933~2004)が9・11同時多発テロに際して発した言葉を引用する。その発言は「団結を乱すものとして、全米で憤激を巻き起こす」。にもかかわらずソンタグは発言をやめない。「愛する祖国が、憎悪にかられて、暴走するのを止めるために、『正気』に戻るよう促すためには、それしか方法がなかったのかもしれない」と高橋さんは書き、ソンタグの文章を引く。
 〇自分が大切にしている諸権利やさまざまな価値の相克に、私は取り憑(つ)かれている。たとえば、ときとして、真実を語っても正義の増大にはつながらないということ。ときとして、正義の増大が真実の相当部分を抑え込む結果になるかもしれない、ということ。(略)私自身の見解は、もし真実と正義のどちらかを選ばざるをえないとしたら─もちろん、片方だけを選ぶのは本意ではないが─真実を選ぶ。(『同じ時のなかで』NTT出版。09/9)
 ▲そして高橋さんは「いまのことばを朝日新聞に贈りたい。『誤報』問題が起こったのは、自分たちの『正義』を絶対視してしまったからであるように思えるのだ」と言う。朝日「誤報」問題について、私の見立てと高橋さんのそれとはちょっと違うが、ソンタグの指摘そのものは大事だと思う。

☆いま9/26(金)午前零時半過ぎ。明日は愛知県みよし市立三好丘中学校へ。地下鉄東山線で赤池まで行くのだが、大雨による浸水は復旧しているかなあ。ま、明日は明日のこと。これからお風呂に入って寝ます。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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