2014年03月

「親の年収、成績に影響」などとタワケタことを言って、どうするのだ!

14/3/30(日)晴れ。

☆二度寝して12時前に起床。室温18度。初夏に近い。衣替えを徐々に開始する。昼は「マルちゃん正麺 うどん」。午後、プール。イオンと西友で「モンプチ」を買う。帰途、ガソリンスタンド前で、息子(K2)と一希の姿をちらっと見かける。莉子と眞一は今夜も安八に泊るらしい。一希はパパ・ママを独占できて、うれしいだろうなあ。

☆山藤章二さん(77歳)のインタビュー(毎日14/3/28E)を読む。
 〇近藤(勝重) 山藤さんは東京生まれながら、阪神タイガースファンなんですよね。山藤 少数者が好きなんです。初めて見た阪神─巨人戦で、観客の99%が巨人ファンに思える東京の球場で、阪神を応援するあの孤独感が良かった。みんな同じではつまらない。異論とか暴論とかが好き。東京で大阪をひいきにする自由な感じがいいんです。(略)てめえで考える、というのは今でもやってます。私の極論は「本を読むな」なんです。書物で得た知識の引き出しがいくらあっても、それは他人の知識に過ぎない。自分で考え、創り出すほうがいい。(略)年を取るとマイナス材料がどんどん増えてきます。耳が遠くなる。目が悪くなる。頭の回転が遅くなり、記憶力も落ちる。手なんか震えるしね。でもこういうのを総合すると、これはもう「朦朧(もうろう)」の世界なんですよ。(略)朦朧の持つおかしみ、ゆるさを私の独り言に終わらせず、メディアに乗せられないか、と思っています。(下略)
  
 ▼わたしは意識して「少数者への共感」を抱いたことはない。気づいたら、そうなっていたに過ぎない。「本を読むな」というのも、山藤さん一流の逆説。つまり「本に読み込まれるな」という警鐘だろう。わたしより2歳年上の山藤さん。紙上の写真ではいかにも仙人風だが、「朦朧の世界」にはまだ早いと、お見受けした。

☆「親の年収、成績に影響─文科省分析─全国学力調査で確認」(3/28M)・「親の年収で学力格差─文科省、初の全国分析─読書・親子の会話、良い影響も」(14/3/29M)
 ▼こういうのを「分析」と言うのだろうか。「そやから、どやちゅうねん」と言いたくなる。分析した連中はどうなのか。自己言及的に語るべし。親の学歴や収入によって子どもの「学力・成績に差が出る」という話は昔からある。「関係は薄い」という調査結果も先日報道された。問題は、子どもをとりまく環境がその生育にどう影響するかだが、そのあたりの突っ込みを欠くお粗末な記事だった。教育問題の報道に力を入れるというのなら、もっと本質に迫るべきだ。

袴田事件再審決定に関する宗像紀夫弁護士のコメントに異議あり。

14/3/29(土)晴れ。

☆8時、起床。莉子と眞一は2泊3日で、母さんの実家(安八町)で過ごし、わが家には来ない。おかげでチャチャ(15歳)はのんびりしている。午後、プール。4時過ぎ、一希を保育園へ迎えに行く。夜は、新聞記事の切り抜きとファイリング。

☆葉書による返事は3通。小林丈弘さんから贈呈された『京都における歴史学の誕生─日本史研究の創造者たち』(ミネルヴァ書房)と卒業生・Hさんからの近況を伝える封書、そしてJR東海の加藤さんから送られたナゴヤドーム「中日・阪神戦」チケット送付に、それぞれお礼の葉書を書く。

☆中央公論新社の編集者から電話が入る。昔、わたしが訳した、毛沢東『抗日遊撃戦争の戦略問題』をあらためて収録する本を出版したいとのこと。打ち合わせの日時を決める。いまどき毛沢東の著作かなという気もするけれど、出版社にはそれなりの考えがあるのだろう。

☆夕方、田中利章くんが、根付きネギとウイスキー(ブラックニッカ・リッチブレンド720ml)を届けてくれる。初孫ができた利章くん。58歳だという。出会って40年。いい繋がりになったと感謝する。

☆それはないやろ!
 
 〇再審開始の結論には違和感を感じる。さまざまな証拠評価や判断を重ねた末に出された確定判決を覆すのであれば犯人性を否定する相当程度の客観証拠が必要だ。しかし今回の再審請求審では、検察側と弁護側でDNA型鑑定の結果は異なっていた。/裁判所は、最初から違法捜査ありきの疑いの目で見て、弁護側の主張を採用したように思える。当時の捜査機関によって証拠が捏造された事件だと指摘されている。検察は抗告し、上級審の判断を仰ぐべきだ。(3/27E)
 ▼あほかいな。「自白の誘導・強制はないか。証拠の隠蔽・捏造はないか」と疑ってかかるのが刑事裁判の「いろは」だろう。それが分からないのは「検事ボケ」のあかし。元検事の宗像弁護士さんよ、冤罪事件をきちんと勉強してから出直しなさい。

2013年度の全日程を終える。

14/3/28(金)晴れ。

☆8時前、目覚める。室温は16度。暖かくなった。そろそろ衣替えをしなくっちゃ。2階に上がり、莉子と眞一に挨拶したあと、コーヒーを飲みながら朝刊をチェックする。

☆1面トップには「袴田さん 48年ぶり釈放─再審決定 捜査を厳しく批判」の、2面には「袴田事件 DNA鑑定、再審の決めて─証拠一転、『無実の根拠』─捜査不備、一審から指摘─チェックできなかった裁判所」の、31面には「48年目の『無実』─袴田事件の再審決定上─半生 潔白訴え─外歩き『ありがとう』」の見出し。
 無実の人が犯人にされる「冤罪」がどうして繰り返されるのか。それは、この国・この社会に、官憲の横暴への抵抗力が弱く、「検証と対策と実行」の文化が根付いていないからだ。「天声人語」は「徳島ラジオ商殺し」事件に触れているが、戦前・戦中・戦後、幾多の冤罪事件が起こり、正木ひろしさんらの弁護士や支援者が究明に努めてきたにもかかわらず、冤罪が跡を絶たない。「この国は、人間の国か」という小田実さんの叫びは、阪神・淡路大震災だけのことを指摘しているのではないだろう。

☆マーサ21に車を停め、バスでJR岐阜駅へ。構内の「美濃味匠」で、多治見市環境文化部くらし人権課の3人の職員とコーヒーを飲みながら、来年度予定の「人権施策推進指針(改定版)策定」について懇談する。1年4回の会議でどこまで「指針改定版」を中味のあるものにできるか分からないが、精一杯努力したいと思う。
 帰途、イオンで買い出し。今日から3日間、5%引きなので、暮らしに必要なものを求める。たとえば、「消臭元」とか「京花紙」とかね。

☆午後、再度マーサ21へ。JTBで4/2・10の京都行きJR切符を購入する。3月中に購入すれば従来の運賃計算になると知ったから。百円、二百円でも道には落ちてはいない。「買い溜め」根性ではなく、「もったいない」精神は大事だと信じている。

☆プールの帰り、一希を迎えに行くと、担任のおひとり、大橋先生が、わたしに一希の生活ぶりを伝えてくださる。今日は、シャツをズボンの中に入れる作業がほぼできたという。一希は照れて首をすくめた。いいなあ。

☆夕食後、京都・洛南高等学校附属小学校(14/4開校)教職員(24人)の研修向けのレジュメ作成に取り掛かる。テーマは「いじめについて」。「小学校向きの実践の話をお願いします」とのこと。さあ困った。この1週間、どんな話をすればいいか悩んできた。
 ところが、今朝の「朝日」1面「中2死亡『いじめ自殺』─名古屋 第三者検証委 認定」、30面「サイン 気づいていれば─『死ね』『うざい』日常的─生徒追いつめた指導」という見出し記事を読むうちに怒りがあらためて湧いてきて、一気にレジュメを仕上げてFAXで送信。題して「『いじめ』と正対するために─みなさんに期待すること」。
 いじめと向き合うためには、いじめの定義や調査、防止基本方針の制定も必要だろうが、何よりも教職員が子ども(生徒)たちと真っ直ぐ向き合える感性・度量・覚悟・知性が必要だろう。教職員の感性の鈍さをあざ笑い、教職員の余裕のなさを挙げて弁護したりしているうちに、子ども(生徒)が不登校・精神障害・自殺に至っているのだ。「子ども(生徒)の声に耳を傾け、それを家族や地域、世間に伝えられる教職員であってほしい」と語りかけるつもりだ。

今年度最後の講演で土岐市に行く。

14/3/27(木)晴れ。

☆10時、起床。2階で莉子は算数の勉強、眞一は遊んでいる。「おはよう!」と声をかけると、眞一は「遅かったね」と応答する。こういう呼応の関係が、わたしは好きだ。

☆昼食はオムライスとインスタントみそ汁。12時、西友に行きたいという眞一と莉子を車に乗せて出発。FMラジオのスイッチを入れると、NHK昼のニュースで、袴田(はかまだ)事件の再審決定と袴田さん釈放が報じられる。先日、NHKTV「クローズアップ現代」で取り上げられていたので、「もしかしたら」と期待していた。
 わたしは、いまから40年ほど前、部落解放同盟中央本部の「狭山パンフ」の編集に加わり、冤罪事件の本を片っ端から読んだことがある。冤罪を生み出すのは、「自白偏重」という捜査当局の姿勢にあることを知った。上田誠吉・後藤昌次郎『誤まった裁判─八つの刑事事件』(岩波新書。1960年初版)、広津和郎『松川裁判』(3冊。中公文庫。1976年初版)、後藤昌次郎『冤罪』(岩波新書。1979年初版)などがとくに印象に残っている。袴田巌さんは78歳。息子(K)が「昭和41年から拘留って、俺が生まれた年からずっとだったということ。償えんよなあ」とメールしてくる。ほんまにそう思う。

☆JR中央線土岐市駅に着いたのは午後2時35分。待ち合わせ時間まで10分ある。駅前の「山村商店」に駆け込み、笠原町の清酒「三千盛(みちさかり)」の「純米大吟 しぼりたて」1升瓶と「旬味吟醸生 嶺萌」4合瓶をゲット。どちらも生(なま)。蔵庫で冷やして、じっくり飲むことにする。

☆経営企画室の佐藤さんの車で土岐市妻木の高井病院へ。4年ぶりのお招きだ。療養病棟60床、透析ベッド40床。佐藤さんが岐阜県主催の講演会で、わたしの話をお聞きになったのがきっかけだ。3時30分からの研修では加藤誠司さん(事務)が、4時30分からの研修では土本昇さん(事務)が気持よく応答してくださった。みなさんの笑顔がいい。ときどき笑い声が起こる。「勤務時間内研修」という扱いをした病院側の配慮もうれしい。休憩時間に、佐藤さんに院内を案内してもらいながら、「療養」の意味を噛みしめる。
 6時40分、終了。高井院長はまだ42歳の若さだという。診療所(医院)のない地域が広がる土岐市南部で、住民、とくに高齢者の健康といのちを守る施設としての役割は大きい。「人間としての“つとめ”を自覚して仕事に励んでほしい」と念じる。

☆帰りは、岐阜市内に住む佐藤さんの車に乗せてもらう。自動車道を走って岐阜市正木のマーサ21まで1時間、快適なドライブだった。帰宅すると、4年前、わたしの話を聞いたあとすぐメールをくださった方から、その後の経過報告が届いていた。子育ての苦労を乗り越えての春。朗報だ。

この国は、いよいよアカンな。

14/3/26(水)雨。

☆9時、起床。莉子と眞一の声が聞こえない。カミサンによれば、今日は終業式だったらしい。11時50分、二人が大きな声で挨拶をしながら帰宅する。昔風に言えば「通信簿」をみせてもらうが、元気に学校へ通っていることが一番だと思う。夕方、一希を迎える。一年間のアルバムを渡される。「大きくなりましたね」と先生がしみじみとおっしゃる。そのとおりだなと納得。こうして孫たちは一年一年成長してゆく。それが、わたしの喜びだ。

☆友人との応答について考える。

 昨日のブログでひと足先に返事を書いたが、直筆の便りをくださった大阪府のSさんに葉書で返事を書く。それが、わたしの流儀。人と真っ直ぐに向き合いたいからだ。葉書は夕方、岐阜西簡易郵便局で投函した。
 しかし、兵庫県川西市人権推進課の担当者は原稿を送っても、「受けとりました」とだけメールで返信してきた。これが全文。何か一言あってもええやんかと思うのだが、それがない。彼の人生における「人との出会い方」を示しているのだろうか。それに引きかえ、今朝、岐阜市人権啓発センターの堀江さんはわざわざ拙宅まで来てくださり、異動の挨拶をなさった。人は、さまざまだなあ。

☆君たちは、つつましやかに生きる人びとに対して恥ずかしくないか。

 〇4月からの消費増税に備え、駆け込み購入が盛んなようだ。我が家もそうしたいところだが、貧しい年金生活ではそうはいかない。(略)そこで、妻と話し合って、買い控えで対抗することにした。
 惣菜から雑貨まで質を落とすとか量を減らす。衣料品は新規購入せず、たんすの肥やしを活用する。年寄りなら清潔にしていれば恥じ入ることもなかろう。電気・水道は極力節約する。
 そして、一番痛いところだが、唯一の楽しみである晩酌も控えなくてはならないというところまで来た。その腹いせに、妻の映画館通いも月1回に限定することに決めた。
 みみちっい話で笑いぐさだが、これが一庶民の生活防衛策である。富裕層がいる一方、こちらは3%アップ分におびえて暮らしていかなければならないのだ。(無職 Y・N 愛知県 72)
 ▼わたしもカミサンも75歳、後期高齢者で年金生活者だが、二人とも公務員だったから、年金はそれなりにある。富裕層ではないけれど、「不自由なく」暮らしている。しかし、この方と同じく、「つつましやかに生きる」ことを基本にしている。
 「記者有論 みずほ銀行不祥事 監査役・社外取締役の責任は?」(経済部 加藤裕則。3/25M)によれば、みずほ銀行の監査役は元大蔵省局長や元最高裁所判事が就いていたらしい。おそらく高額の報償を得ていたのだろう。日本郵政の顧問たちと同じく、彼らは「監査役・社外取締役・顧問」の肩書で60代後半の人生をぬくぬくと生きてきたというわけだ。「高学歴で、社会的に高い位置にいた君たちよ。つつましやかに生きる人びとのことを思ったことがあるのか」と言いたいけれど、そんな声は連中には届くはずもないか。この国はいよいよアカンな。

☆水平社宣言、記憶遺産に申請(3/26M)
 〇部落解放運動の原点とされ「日本初の人権宣言」ともいわれる全国水平社創立宣言(水平社宣言)の世界記憶遺産登録をめざし、関係団体がユネスコ(国連教育科学文化機関)に申請手続きをした。水平社博物館(奈良県御所市)や部落解放同盟(本部・東京)など9団体が25日、記憶遺産登録をめざす会を設立し、申請を発表した。
 ▼いまも、集会で高らかに唱えられる「水平社宣言」。それを世界遺産にしたいという。なぜかくも「宣言」を持ち上げたいのか、わたしにはまったく理解できない。高齢化・少数化の「都市部落」を拠点にした部落解放運動は瀕死の状態にある。「宣言」の世界記憶遺産登録でその窮状が救われるはずもない。どうも、あの運動は方向性を見失ったようだな。
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  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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