2013年10月

黒野小学校で研究授業を参観する。

☆10/30(水)晴れ。

 10時起床。昨夜は遅くまで新聞記事の切り抜きとファイリング、読書(『アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』朝日文庫)で過ごした。しかし、記事のファイリングはまだ10/8。やれやれ。11時、猫のランを忠節犬猫病院へ連れて行く。体重は3.1キロで変化なし。

 1時半、黒野小学校に向かう。岐阜市小学校社会科教育研究部会の研究授業。「同和問題歴史プロジェクト」の一員として案内をいただいた。学校までは4キロ足らず。10分もかからない。校長室で小森校長としばし歓談する。

 6年1組(38人)の公開授業を担当するのはD教諭。参観者は40人ほど。「本時の目標」には、「水平社運動の中心である西光万吉たちが、差別のない人間一人ひとりが大切にされる世の中を強く願っていたことを、水平社宣言の内容や、運動の広がりについて調べる活動を通して考え、表現することができる」とある。

 授業前、校長に「一番前で参観したい」とお願いしておく。後ろからでは生徒の表情が見えないからだ。わたしの顔を見た生徒が「あっ、藤田先生や」とつぶやく。2年前、全校生徒に話したときのことを思い出したようだった。そこで軽くサインを送る。

 45分間の授業は濃密だった。しかし、それだけに課題もあったように思う。

 第一は、「差別」という言葉。これまでの授業展開で理解が深められてきているのだろうが、「差別」にはいろんな意味が込められている。生徒たちは、そこをどう受けとめているのか気になった。「差別されている人びと」という場合の「差別」とはどういうことか。徴(しるし)づけ・忌避・排除・禁止・制限…。21世紀初頭に生きる6年生たちが生活の中で感じている「差別」と丹念に照合してほしいと思った。
 第二は、D教諭は「差別をはねかえす」という生徒の発言に注目したが、それ以上の展開がなかったこと。「差別をはねかえす」とは、「自らを卑下せず、差別に屈しない」ことから、さらに進んで「相手の偏見・差別と毅然として立ち向かい、相手を変え、相手との関係を変える」ことだろう。それには「人間としての誇り」を含めた精神的エネルギーが必要だ。「部落差別にどう立ち向かうか」は、今日ただいまの課題でもある。そこをじっくり押さえてほしかった。
 第三は、「水平社宣言」の簡約の問題。「宣言」には人間という言葉が10回使われている。つまり「人間」は水平社宣言のキーワード(鍵言葉)と言っていい。最後の「人間に光あれ」という一節は大事な個所だ。人間とは何か。光とは何か。生徒たちが自らの言葉で、この二つを表現してほしかった。簡約で見過ごされてしまったのではないか。

 あとの研究会は欠席した。教員たちが自由に議論すればいい。そこから「同和教育→人権同和教育→人権教育」という変遷の意味と課題を深く考えてくださることを念じるのみ。

☆「朝日」歌壇の一首。

 「信じてはもらえないけど女子トイレない大学があったのですよ」(神戸市・田崎澄子さん。朝日13/10/28M。歌壇。永田和宏選)
 
 わたしが京都大学に入学した1958年(昭和33年)当時、1回生は宇治分校だったが、2回生からは左京区吉田の元第三高等学校校舎に通学した。そこには急造の女子トイレがあった。3回生になって北側の本部構内に移った。文学部本館トイレは1階女子、2階男子、3階女子、4階男子と「棲み別け」が施されていた。東北帝国大学など一部を除いて、帝国大学には女子は入学できなかったのだ。「人権とは、人が人として生まれながらに持っている権利」などと呑気なことを言っているかぎり、「差別と人権」はいつまでたっても暮らしの感覚で理解できないだろう。

☆週末(11/2)から激動の2か月が始まる。

  11/ 2(土)岐阜市立長森東小学校から12/20(金)横浜市立上飯田小学校まで、カレンダーは赤いサインペンで書きこまれた予定で真っ赤。健康管理・体調維持に努めたいと思う。

 


 

ゴーヤを引きぬく。

☆10/28(月)晴れ。

 10時過ぎ、起床。朝食のあと、思い切ってゴーヤを除くことにする。書斎兼寝室の西側と南側に植えたゴーヤもそろそろお役御免にしてやりたくなったのだ。まだ黄色い花をいくつかつけているが、しかたがない。
 午後、プールへ。アクアのインストラクターが発する掛け声が絶叫に近くて不快。時間をずらして行く。終わってイオンで買い物を少し。レジで順番を待っていると、後ろに親子連れがいる。少年がとてもいい顔をしているので、「いくつ?どこの幼稚園?保育園?」と尋ねると、ボソボソと答えてくれた。そこで、母さんが「男の子だから、もっとはっきり答えなさい!」と一喝した。すると、4歳の少年は、「じゃあ、女の子ならいいの?」と突っ込みを入れるではないか。感嘆したわたしは思わず「いいなあ、君は。男女共同参画型少年やあ」と褒めてしまった。
 莉子と眞一は4時過ぎ、イオン・スイミングスクールへ行ったので、わが家は静か。でもちょっと寂しい。夕方、一希を迎えに保育園へ。

☆二人の友人からメールが届く。

 「先生がブログにお書きになっていた『天皇・皇后両陛下』のことですが……。私も最近ニュースを見ていて、とみに感じるものがありました。両陛下ともご高齢にもかかわらず、健康状態は大丈夫なのか?と心配もしておりました。(略)最近の両陛下の日程はご自身のご希望によるものではないかと推察されます。皇室の平和利用などと批判するマスコミもありますが、私にはそうは感じられません。
 東北の被災地に何度もお出かけになったり、今回は菊池恵楓園や水俣病の患者さんたちを訪れたり…。『国民を大切に思う気持ち』が特に表れているような気がします。(略)政治家がパフォーマンスでやる被災地訪問などとは次元の違う『人を大切に思う気持ち』が表れているように、私には感じられてなりません。先生はいかがお考えでしょうか?」

 今朝の「朝日」1面には「両陛下、水俣訪問─患者と懇談 異例の発言」という見出しの記事と写真、36面には「真実に生きること できる社会を」「両陛下 水俣病語り部と交流」という見出しの記事と写真が掲載されている。天皇制の問題はさておき、わたしもお二人の言動に感銘を受けている者の一人だ。

 「先生のHPをチェック!ちょうど昨日更新されていることを発見しました。(略)アップされた内容に目を通しました。そこには先生が日頃話される内容が凝縮されたものが。見方や考え方・感じ方を改めて確認することができたのと同時に、私自身が教師として子どもたちや保護者・同僚とともに何を学んできたのか?を考え直すことになりました。
 今、目前のことに疑問をもつ機会が増えたように思います。つまり、今までの自分の見方・考え方・感じ方の当たり前への疑問、社会に存在するそれへの疑問です。先生のメッセージは、それらの疑問に対する向き合い方のベースとなる提言のように感じるのです。」

 「当たり前への疑問」からすべては始まる。「当たり前 なんてどこにもないじゃない もう信じない当たり前など」(いわき市・岸本靖子さん。朝日13/6/24M。歌壇)。しかし、人はいつの間にか「当たり前」を受け入れてしまうようだ。
 「『なぜ』がいっぱい、君の周囲にあった。『なぜ』には、こたえのないことがしょっちゅうだった。そんな『なぜ』をかんがえるなんて、くだらないことだったんだろうか。誰もが言った、『かんがえたって無駄さ。そうなっているんだ』。実際、そう考えるほうが、ずっとらくだった。何もかんがえなくてもすむからだ。しかし、『そうなっている』だけだったら、きみのまわりにはただのあたりまえしかのこらなくなる。そしたら、きみはものすごく退屈しただろうな。『なぜ』とかんがえるほうが、きみには、はるかに謎とスリルがいっぱいだったからだ。けれど、ふと気がつくと、いつしかもう、あまり『なぜ』という言葉を口にしなくなっている。/そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。『なぜ』と元気にかんがえるかわりに、『そうなってるんだ』という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。」(長田弘『深呼吸の必要』晶文社。99/6第33刷)。
 わたしは部落解放運動にかかわって、「なぜ?、どうして?」を手放さなかった。『同和はこわい考』はそれへの回答だ。「当たり前」に慣れないこと。それが大事だと思う。

☆愛知県東海市社会福祉課から電話とメールあり。来年度(10月~12月)、市内小中学校で開かれる「法務省指定人権啓発活動」の講師依頼だ。10年前に出かけたことがある。「喜んでお引き受けする」と答える。

豊中市での講演録をホームページにUPする。

☆10/27(日)晴れ。
 
 昨夜は、大阪府豊中市での講演(6/25)録を編集したあと、ブログの作成にとりかかかり、遅くまで起きてしまった。しかし、なぜか早く目が覚めて9時前、起床。
 午前中、網戸を取り外し、厚めのカーテンを付け、長袖シャツを出すなど、身のまわりの冬支度にいそしむ。
 帰省中の娘(J2)から、「HPを更新したよ」と声がかかる。「とよなか人権まちづくり協議会」主催での講演録をHPに掲載できてほっとする。奈良県「差別と人権」研究集会のものと変わり映えがしないが、少しは参考にしてもらえるかもしれない。

 午後、プールから帰ると、孫3人が来ている。両親がスーパー「アピタ」へ買い物に行っているらしい。しかし、次第に眞一の表情が厳しくなり、涙声で、「約束の3時半から2時間たっても帰って来ない。許せない。親として失格だ!家でテレビゲームをするかわり、西改田の家ではテレビを見ないと約束し、我慢してきたのに、何ということだ!」と怒る。そこで、「パパやママは、何か事情があって買い物が長引いたんだ。君たちを育てるために一所懸命に頑張っているのだから、そういう言い方はよくないよ」とたしなめる。当初「眞ちゃんの気持はよくわかる」と理解を示していた莉子は、「うん」と返事した。しかし、眞一はふくれ面をしたままだった。あとで聞くと、父親は遅くなったことを謝り、テレビゲームを許したという。めでたし、めでたし。
 
☆新聞記事の切り抜き帖から─朝日(13/10/21M)「天声人語」

 「その条文はいまの日本国憲法にも通じる内容だと評される。『日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可(べ)し他(た)ヨリ妨害ス可(べか)ラス且(かつ)国法之(これ)ヲ保護ス可(べ)シ』。自由民権運動が盛んなころ、西多摩の有志が研究、討議し、練り上げた『五日市憲法草案』だ。▼明治憲法の発布前、民間では数々の案が競うように書かれた。その『私擬(しぎ)憲法』の一つである。何人(なんぴと)も侵せない基本的人権の尊重や法の下の平等といった近代的な原理をはっきりとうたっている▼皇后陛下は79歳の誕生日にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた。この1年で印象に残ったことの一つに憲法論議を挙げ、その様子に新聞などで触れながら、五日市草案のことを『しきりに思い出しておりました』と記した▼そのとき、どのような感慨をもたれたのだろうか。憲法についての項は『長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います』と結ばれる。▼いまの憲法は『押しつけ』だという議論が絶えない。一面ではそうだろう。他面ではしかし、それを受け入れる下地もあっただろう。戦前からの『民主主義的傾向』の積み重ねである。ポツダム宣言はそれを『復活強化』せよと促したのだった▼明治のころ闊達(かったつ)に交わされた草の根の議論の蓄積が、実はいまの憲法の遠い源流になっているという指摘もある。国のかたちをめぐって連綿と続く営みの跡をたどり直してみたい。」

 「五日市憲法草案」を知っている人は少ないだろうなあ。色川大吉『自由民権』(岩波新書。81/4)ぐらいは読んでほしい。ただ、自由民権時代の「私擬憲法」には、西欧思想の翻訳色が強く、「暮らし中の人間の自由と権利」という発想が弱かったように思う。「国権対民権」という二項対立が第一に考えられていたからだろう。
 ところで、最近の天皇・皇后お二人の言動には、あるメッセージが込められているように思えてならない。みなさんの意見は如何。

瑞浪市立釜戸(かまど)小学校へ行く。

☆10/26(土)曇り、のち晴れ。風強し。

 6時、目覚ましで起床。出発準備を整え、瑞浪市からの連絡を待つ。6時34分、携帯に電話があり、今日の講演は予定通り開催するとのこと。
 7時前、車で出発し、JR駅西駐車場に車を止め、名古屋駅に向かう。8時過ぎ着。指定された中央線8時36分発の電車を時刻掲示板で確認するが見当たらない。8時16分か46分のみ。担当者の携帯に電話をしたがつながらない。ショートメールも受けつけてくれない。少し焦った。なんとか上司に連絡がとれ、予定より30分早く釜戸駅に着くと伝えることができた。
 
 釜戸駅で出迎えてくれた上司と担当者は恐縮していたが、「どうしてこういうことが起こったのか、よく考えてください」とだけ申し上げておく。しかし、早めに到着したおかげで、3年生の寸劇や4年生~6年生の合唱・器楽演奏が参観できてよかった。何ごともプラス思考が大切だということかな。

☆10時半から、釜戸小学校PTA教育講演会。「子どものつぶやきに耳を傾ける─子育てと自分育てについて」と題して1時間話す。保護者のほか、人権擁護委員など地元の方も大勢参加されて、百人以上が聞いてくださった。
 前列に少年が座っている。聞けば7歳(小学2年生)で、恵那市から母さんと一緒に来たとか。少年は終始、じっとわたしを見つめて話を聞いてくれている。終盤、「君!立って!腕を広げて!こっちに来て!」とお願いする。少年は照れないで、わたしに近づく。「わたしを抱いて!」と言うと、柔らかく抱きついてくれた。会場から拍手が起こる。別れぎわ、少年と握手。「いのちは、たがいに支え合うものだ」としみじみ思う。手のぬくもりが、そのあかし。人と人とは、一方が支え、他方が支えられる関係ではない。双方が「支え、支えられる」存在なのだ。「子どもや孫に支えられていることを真っ直ぐに伝えてほしい」と、わたしの願いを語る。

☆ある中学校から講演の感想文が届く。

 「私は藤田先生の講演を聞いて、グッときました。わけは、生まれつきあるものだと思っていた人権が、自分たちでつくる人権なんだと分かりました。」(1年生女子)
 「人権は、生まれながらにもっているものではなくて、もっているとされているものだというだけで本当の人権は汗と涙と血を流して手に入れるものだということが分かりました。」(1年生女子)
 「授業の時には今まで問題の答えが分からなかったり、答えが当たっているか不安がある時でも、と中まで言ったり、自信がなくても自分から積極的に発表したいです。今日、藤田先生に教えてもらったことを生かしていきたいです。」1年生男子)
 「藤田さんの話を聞いて、人権への考えが変わりました。私は、人権とは、決まり、権利だと思っていました。今は、自分の暮らしから見つけるということがわかりました!正直途中とてもねむたかったです…。でも、藤田さんの『ねたということを忘れるな』というのを思い出していっきに目がさめました!あと、藤田さんはしゃべり上手で聞いていて楽しかったです。人権の話って、重い感じで話される方が多いですが、藤田さんの話は、楽しくて、そして私達に重要なことをしっかり教えてくれました。藤田さん、ありがとうございました。」(3年男子)

 生徒の感想文に共通するのは、「人権はむずかしい話だと思っていた」「人権は生まれながらに持っていると教えられてきた」「教室ではまちがいを恐れてきた」の三つ。
 しかし、教員の中には全く別の感想を抱く人がいた。

  「気になったことが…。学校の先生は『正解だけを求める』『生徒の声に耳を傾けていない』と(本校の職員の努力や大切にしていることをくみとらず)決めつけて生徒に話されたこと。私たちは生徒に『失敗して、そこから学ぼう』『目標に向かう途中の取り組みや過程が大事だ』と伝えています。『教室はまちがうところだ』も。失敗したら教師もあやまっていますし。…。その点、残念でした。」
 「生徒の前で教師の指導姿勢や、どこかの校長先生の批判するのはやめてほしい。本校の教育姿勢を事前に把握した上で話してみえるのでしょうか?そうであっても、生徒の前で言うことではない。」

 「われわれ現場の教育理念と努力を知って発言しているいるのか」とは、以前からよく聞かされた話だが、最近こういう反論を聞くのは珍しいので紹介した。(学校名はあえて伏せる。)
   しかし、「人権とは、人として生まれながらにして持っている権利だ」などと挨拶した某中学校長を批判的に紹介したことがなぜいけないのか。生徒たちが間違いを恐れ、回答をためらうことが学校教育の影響だと指摘することがなぜいけないのか。「話を聞いてほしい・決めつけないでほしい・同じ人間として向き合ってほしい・速く速くと急かせないでほしい」という子どもたちの声に耳を傾けてという、わたしの意見のどこがおかしいのか。「失敗しても教師はあやまっている」といまさら弁解しても始まらない。「間違ってはいけない」と子どもは感じとっているのだから。
 学校に対する批判の高まりに苛立ってのことか、あるいは「批判の拒否」という学校文化の伝統・習性によるものか、生徒たちの感想文を冷静に読めないのは困ったものだ。教員の「努力」なるものが空まわりしているところがあることは明らかではないか。
 学校・教室という空間で構成されている権力関係に教員自身が気づいていないのだ。自らを先生と称し、同僚同士で先生と呼び合う異様さにも気づかない。「学校関係者以外立ち入り禁止」の現場に閉じこもっているかぎり、世の中に広がる「学校不信」を増幅するだけだろう。そして、その先に待ち受けるのは、「全国学力テスト成績の学校別順位の公表」という外科的手術に巻き込まれての「右往左往」であることは明らかだ。

 いま大事なのは、自らの教育実践の検証である。そのためには、生徒たちの感想文を素直に読み解くことから始めるべきだ。空威張り(からいばり)、虚仮威し(こけおどし)はもう止めたほうがいい。自らの権力的地位と権威主義的志向に一日も早く気づいてほしい。
 もしこのブログを読み、再反論したいとおっしゃる教員がおられるなら、公開討論したいなあ。

2014年12月2日の講演依頼が届く。

☆10/25(金)曇り、ときどき雨。

 8時起床。10時、歯科医院に。帰途、マーサ21に寄ったが、物凄い人出で、駐車場は満杯。そうか、今日は「専門店の特別招待会」だったんだ。なんとか車を止めてイオンで卵などの買い物を済ませる。みなさん、少しでも「お値打ち」価格商品の購入に必死なんだ。
 午後、再びマーサ(プール)へ。駐車に難儀する。プールのあと、買い物の補充をする。行列ができているので、何かと見たら、4時から始まる1パック55円の卵の大売り出しにならんでいる人びとだった。ふと戦後の風景を思い出したが、悲愴感がないのが救いだった。
 夕方、一希を迎えに保育園へ。莉子が宿題をやっている間、わたしの書斎に来る眞一は、「ちょんまげ」(「長七郎江戸日記」)が気に入ったらしい。最後まで見たかったのに、パパが迎えに来て、しぶしぶ帰る。
 夜は、豊中原稿の編集作業に集中し、ほぼ完了する。明日、校了に。

☆愛知県大府市青少年女性室からメールが届く。

 「一昨日の講演依頼については、人権週間に藤田敬一先生の日程が空いているという可能性は限りなくゼロだということを電話後に気づく始末でして、非常に恥ずかしいのと併せて反省しているところです。
 来月に大府市の方へ講演に来ていただけるということで、大変ありがとうございます。過日、DVD(「君の勇気を待っている」)もいただき、大府市ではいろんなところで活用させていただいております。(大府高校については)来年度、日程的に可能であれば是非お願いしたいと思っております。
 12月2日(火)11時から40分程度。全校生徒900人。大府高校の先生方にも藤田先生のホームページを見てもらい、『ぜひお願いしてもらいたい』との強い依頼もいただいたので、なにとぞよろしくお願いします。」

 大府市へは11/17(日)に出かけることになっている(家庭教育学級)。12/5(木)にも大府市立南中学校に行く。どうして大府市なのか。それは、愛知県人権擁護委員半田協議会での講演(5/14)を聞いてくださった方から始まる。DVD「君の勇気を待っている」を見たいとおしゃるので、お送りしたところ、メールにあるように「活用」してくださっている。そして今回の大府高校における「人権講演会」のご依頼。
 点が線に、そして面に広がる人びとの輪。「ひとり出会い旅」の醍醐味と言うべきか。感謝の気持でいっぱいだ。ただ来年12月2日までの健康管理が大事。こころを引き締めたい。

☆明日(10/26)は瑞浪市釜戸小学校保護者対象の講演会。早朝の出発になるが、天気が心配だ。6時50分時点で警報が出ていれば中止とのこと。6時起床で連絡を待つしかない。いま午前零時半。なかなか寝付かれなくて困る。
 
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