☆10/30(水)晴れ。
10時起床。昨夜は遅くまで新聞記事の切り抜きとファイリング、読書(『アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』朝日文庫)で過ごした。しかし、記事のファイリングはまだ10/8。やれやれ。11時、猫のランを忠節犬猫病院へ連れて行く。体重は3.1キロで変化なし。
1時半、黒野小学校に向かう。岐阜市小学校社会科教育研究部会の研究授業。「同和問題歴史プロジェクト」の一員として案内をいただいた。学校までは4キロ足らず。10分もかからない。校長室で小森校長としばし歓談する。
6年1組(38人)の公開授業を担当するのはD教諭。参観者は40人ほど。「本時の目標」には、「水平社運動の中心である西光万吉たちが、差別のない人間一人ひとりが大切にされる世の中を強く願っていたことを、水平社宣言の内容や、運動の広がりについて調べる活動を通して考え、表現することができる」とある。
授業前、校長に「一番前で参観したい」とお願いしておく。後ろからでは生徒の表情が見えないからだ。わたしの顔を見た生徒が「あっ、藤田先生や」とつぶやく。2年前、全校生徒に話したときのことを思い出したようだった。そこで軽くサインを送る。
45分間の授業は濃密だった。しかし、それだけに課題もあったように思う。
第一は、「差別」という言葉。これまでの授業展開で理解が深められてきているのだろうが、「差別」にはいろんな意味が込められている。生徒たちは、そこをどう受けとめているのか気になった。「差別されている人びと」という場合の「差別」とはどういうことか。徴(しるし)づけ・忌避・排除・禁止・制限…。21世紀初頭に生きる6年生たちが生活の中で感じている「差別」と丹念に照合してほしいと思った。
第二は、D教諭は「差別をはねかえす」という生徒の発言に注目したが、それ以上の展開がなかったこと。「差別をはねかえす」とは、「自らを卑下せず、差別に屈しない」ことから、さらに進んで「相手の偏見・差別と毅然として立ち向かい、相手を変え、相手との関係を変える」ことだろう。それには「人間としての誇り」を含めた精神的エネルギーが必要だ。「部落差別にどう立ち向かうか」は、今日ただいまの課題でもある。そこをじっくり押さえてほしかった。
第三は、「水平社宣言」の簡約の問題。「宣言」には人間という言葉が10回使われている。つまり「人間」は水平社宣言のキーワード(鍵言葉)と言っていい。最後の「人間に光あれ」という一節は大事な個所だ。人間とは何か。光とは何か。生徒たちが自らの言葉で、この二つを表現してほしかった。簡約で見過ごされてしまったのではないか。
あとの研究会は欠席した。教員たちが自由に議論すればいい。そこから「同和教育→人権同和教育→人権教育」という変遷の意味と課題を深く考えてくださることを念じるのみ。
☆「朝日」歌壇の一首。
「信じてはもらえないけど女子トイレない大学があったのですよ」(神戸市・田崎澄子さん。朝日13/10/28M。歌壇。永田和宏選)
わたしが京都大学に入学した1958年(昭和33年)当時、1回生は宇治分校だったが、2回生からは左京区吉田の元第三高等学校校舎に通学した。そこには急造の女子トイレがあった。3回生になって北側の本部構内に移った。文学部本館トイレは1階女子、2階男子、3階女子、4階男子と「棲み別け」が施されていた。東北帝国大学など一部を除いて、帝国大学には女子は入学できなかったのだ。「人権とは、人が人として生まれながらに持っている権利」などと呑気なことを言っているかぎり、「差別と人権」はいつまでたっても暮らしの感覚で理解できないだろう。
☆週末(11/2)から激動の2か月が始まる。
11/ 2(土)岐阜市立長森東小学校から12/20(金)横浜市立上飯田小学校まで、カレンダーは赤いサインペンで書きこまれた予定で真っ赤。健康管理・体調維持に努めたいと思う。
10時起床。昨夜は遅くまで新聞記事の切り抜きとファイリング、読書(『アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』朝日文庫)で過ごした。しかし、記事のファイリングはまだ10/8。やれやれ。11時、猫のランを忠節犬猫病院へ連れて行く。体重は3.1キロで変化なし。
1時半、黒野小学校に向かう。岐阜市小学校社会科教育研究部会の研究授業。「同和問題歴史プロジェクト」の一員として案内をいただいた。学校までは4キロ足らず。10分もかからない。校長室で小森校長としばし歓談する。
6年1組(38人)の公開授業を担当するのはD教諭。参観者は40人ほど。「本時の目標」には、「水平社運動の中心である西光万吉たちが、差別のない人間一人ひとりが大切にされる世の中を強く願っていたことを、水平社宣言の内容や、運動の広がりについて調べる活動を通して考え、表現することができる」とある。
授業前、校長に「一番前で参観したい」とお願いしておく。後ろからでは生徒の表情が見えないからだ。わたしの顔を見た生徒が「あっ、藤田先生や」とつぶやく。2年前、全校生徒に話したときのことを思い出したようだった。そこで軽くサインを送る。
45分間の授業は濃密だった。しかし、それだけに課題もあったように思う。
第一は、「差別」という言葉。これまでの授業展開で理解が深められてきているのだろうが、「差別」にはいろんな意味が込められている。生徒たちは、そこをどう受けとめているのか気になった。「差別されている人びと」という場合の「差別」とはどういうことか。徴(しるし)づけ・忌避・排除・禁止・制限…。21世紀初頭に生きる6年生たちが生活の中で感じている「差別」と丹念に照合してほしいと思った。
第二は、D教諭は「差別をはねかえす」という生徒の発言に注目したが、それ以上の展開がなかったこと。「差別をはねかえす」とは、「自らを卑下せず、差別に屈しない」ことから、さらに進んで「相手の偏見・差別と毅然として立ち向かい、相手を変え、相手との関係を変える」ことだろう。それには「人間としての誇り」を含めた精神的エネルギーが必要だ。「部落差別にどう立ち向かうか」は、今日ただいまの課題でもある。そこをじっくり押さえてほしかった。
第三は、「水平社宣言」の簡約の問題。「宣言」には人間という言葉が10回使われている。つまり「人間」は水平社宣言のキーワード(鍵言葉)と言っていい。最後の「人間に光あれ」という一節は大事な個所だ。人間とは何か。光とは何か。生徒たちが自らの言葉で、この二つを表現してほしかった。簡約で見過ごされてしまったのではないか。
あとの研究会は欠席した。教員たちが自由に議論すればいい。そこから「同和教育→人権同和教育→人権教育」という変遷の意味と課題を深く考えてくださることを念じるのみ。
☆「朝日」歌壇の一首。
「信じてはもらえないけど女子トイレない大学があったのですよ」(神戸市・田崎澄子さん。朝日13/10/28M。歌壇。永田和宏選)
わたしが京都大学に入学した1958年(昭和33年)当時、1回生は宇治分校だったが、2回生からは左京区吉田の元第三高等学校校舎に通学した。そこには急造の女子トイレがあった。3回生になって北側の本部構内に移った。文学部本館トイレは1階女子、2階男子、3階女子、4階男子と「棲み別け」が施されていた。東北帝国大学など一部を除いて、帝国大学には女子は入学できなかったのだ。「人権とは、人が人として生まれながらに持っている権利」などと呑気なことを言っているかぎり、「差別と人権」はいつまでたっても暮らしの感覚で理解できないだろう。
☆週末(11/2)から激動の2か月が始まる。
11/ 2(土)岐阜市立長森東小学校から12/20(金)横浜市立上飯田小学校まで、カレンダーは赤いサインペンで書きこまれた予定で真っ赤。健康管理・体調維持に努めたいと思う。