2013年08月

沼津城北高校で全校生徒に話す。

☆8/30(金)曇り、のち晴れ。

 6時起床。眠りが浅くて。ともかく洗顔を済ませ、身づくろいをし、コーヒーを飲んで、6時28分出発。岐阜羽島駅前の花村駐車場に車を預ける。ダンナさんの元気なお姿を拝見。腰痛でしばらく駐車場の仕事を休んでおられたのだ。お齢を聞くと「昭和11年生まれ」とのこと。わたしより3歳上。「お大事に」と挨拶する。

 駅構内のコンビニで「おにぎり」を2個(240円)を買い、7時23分発の「ひかり」に乗車。浜松で「こだま」に乗り換え、三島に向かう。今日の富士山は雲をかぶっている。車中は、講演メモの確認と読書。

 三島駅北口で静岡県立沼津城北高校の山田教頭さんが出迎えてくださる。高校まで20分。途中、山田さんから学校の様子を聞かせていただく。玄関前には静岡県教育委員会と下田市教育委員会の職員二人が待っていてくださる。先日、お世話になった方々だ。こころからお礼を申し上げた。

☆全校生徒590人が体育館の床に座ってくれている。左端に、併設する「沼津特別支援学校愛鷹分校」の生徒たち18人の姿もある。冒頭、「おはようございます!」と挨拶したら、応答はわずか。もう一度「おはようございます!」と言う。どうも挨拶が照れくさいらしい。そこで「挨拶の話」を枕に振ることにした。前列に丸坊主の生徒たちが数人いる。聞けば野球部員だとか。わたしも高校卒業まで丸坊主だった。浪人中に髪の毛を伸ばした。
 丸坊主にはいろんな文化的な意味があるらしい。僧侶の丸坊主。軍人の丸坊主。俗人ではないことの表象だろう。では生徒の丸坊主は?わが家の孫2人が丸坊主なのは、単に洗髪が楽だから、と父親は言っていた。そらそうだ。眞一君と一希君に変な「聖性」を付与する必要はない。

 生徒会長が「お礼の言葉」を述べてくれた。「どう言っていいのか、混乱しています」というのがよかった。困惑・葛藤が大切なのだ。最後に彼とハグし合ったら、やんやの喝采。帰り際、愛鷹分校の生徒たちと握手した。「ぼくにも握手してくださるんですか」とつぶやく男子生徒がいたので、ぐっと強く手を握る。

☆新幹線三島駅のホームで、息子K2と連れ合いのT子さんへのお土産に「わさび漬け」(1050円)を買う。お昼の弁当には桃中軒「港あじ鮨」(880円)を買う。ここは、やっぱり「あじ鮨」でしょう。アッハッハ。
 岐阜羽島着は午後2時。駐車料金は500円。お客さんが減って価格競争になっているらしい。大変だろうなあ。帰宅後、プールへ。軽く泳ぎ、イオンで買い物。今日は「お客さま感謝デー」5%引きだ。ウイスキー(ブラックニッカ・クリヤブレンド」4㍑がお目当て。
 ルカ(18歳)の様子がおかしい。食欲がない。診察の結果、歯の骨髄炎が再発したらしい。膿の吸引、抗菌剤と補充液の注射。明日も連れて行くことになる。

☆講演(8/21。各務原養護学校)へのお礼文。

 「拝啓 まだまだ残暑厳しい日々が続いておりますが、その後いかがお過ごしでしょうか。
 先日は当校の「人権教育職員研修」のために、お忙しい中ご講演頂きまして、誠にありがとうございました。「おもしろかった、でも心に響いた!!」「自分自身を問い直すいい時間だった」と、、私も含め、講話を拝聴した当校職員の感想です。生まれながらにしてもっているとされる人権、守られるべき人権を我々大人がいかに身近でわかりやすい言葉に置き換えて伝え、態度や行動として示すかが問われているのだと、特に教師である自分の使命を感じ、先生の一言一言が胸に沁みました。我が子に対しても、生徒達に対しても、また、同僚や地域の方々、たとえ見知らぬ人であっても、その方の命と魂を感じ、上っ面でなく同じ人間として、真正面で向き合える、そんな態度や感性を磨いていこうと思います。また、当校でも見え隠れするからかいや人を傷つける言動、(今は)小さないじめに真っ向から立ち向かい、生徒と一緒に考えていきます。
 メールでもお願いしましたが、次は生徒達に向けて直接お話しいただきたいのです。抽象的な言葉や物事を知的に理解するのはやや苦しい生徒達ですが堅苦しい知識や概念を超えて「感じる」ことはできるはずですし、むしろ彼らの方が繊細に、そして素直に感じ取れるかもしれません。是非よろしくお願いします。
 一見すると重い「人権」というテーマの講話でありながら、実際は笑って笑って、あっという間に過ぎた二時間でした。本当にありがとうございました。記録的な暑い夏はまだまだ続きそうです。ご多忙な先生でいらっしゃいますが、くれぐれもご自愛され、ご家族や猫ちゃん達との豊かな時間を楽しまれて下さい。
 またお会いできますことを心から祈っています。」

 便箋3枚、手書きのお便りだ。お気持がこもっている。ほんとにありがたい。「笑って笑って、あっという間に過ぎた二時間」という表現がうれしい。12/10(火)午前、各務原養護学校で生徒さんたちに話をすることが決まった。養護(特別支援)学校の生徒さんに話をするのは、豊田市についで2回目ということになる。いまから楽しみだ。
 
 

 

小学4年生のタクト君とハグし合う。

☆8/27(火)晴れ。

 昨夜、涼しさを通り越して寒くなり、窓を閉め、タオルケットの上に夏用の軽い布団をかけた。寒暖の差が激しすぎる。こういうときは、体調管理に気をつけないといけないと自戒する。

 7時20分、携帯電話の目覚ましが鳴る。出発2時間前起床を励行している。室内の温度計は三つ。京都時代から使っている、壁掛け型木製の「nikkei」、枕元にある入手経路不明の置き寒暖計、そして岐阜県人権施策推進課からもらった、カード式の「ECOcard」。それぞれ微妙に食い違っているものの、室温24度前後を示している。

 朝食(コーヒー、ランチパック・ツナマヨ1枚、ヨーグルト)をとりながら、朝刊(朝日)をチェックする。1面左上に、「「はだしのゲン」制限撤回 松江市教委 閲覧を学校に一任」の見出しあり。35面(社会)は、広告以外の紙面3分の2を使って、問題点や反響を載せている。制限を撤回するのは当然だが、「閲覧を学校に一任」という方針がよくわからない。松江にはこれまでたびたび出かけたことがあり、友人も多い。松江市民の反応はどうだったのだろう。一度、友人に聞いてみることにする。

☆9時20分、出発。昨夜か今朝か、雨が少し降ったようで、空が澄んでいる。養老山脈、その向こうの鈴鹿山脈、伊吹山地、奥美濃の山々がくっきり見える。快適なドライブ。あまりの快適さに曲がる道を間違えてしまった。会場の「本巣市民文化ホール」に9時45分着。出席を約束してくれていた「りさこ先生」が挨拶に来てくれる。

☆「本巣市人権教育講演会」。演題は「子どもの人権─子育てと自分育てについて考える」と連絡していたが、社会教育課長さんとの打ち合わせ中、出席者の7割が小中などの教員だとわかり、急遽、講演内容を修正することにした。参加者は最終的には350人で、そのうち、学校関係者は226人だった。

   10時40分から12時まで、例によってワイヤレスマイクを持って会場を歩く。中央前から2列目に「りさこ先生」が座っている。彼女は、当てられることを覚悟しているみたいだった。「コロンブスが「新大陸を発見」したのは何年?」「えーと、1492年ということになっています」「そうやね。しかし500年祭を開催しようとしたら、現地の人びとから反対の声が挙がったという。「“発見”とは、どういうこっちゃ。われわれはずっと前からこの土地で暮らしてきたんや。誰も発見してくれとは頼んでへん」というわけ。“発見”という言葉は西欧人の視点でしかない」(グレッグ・オブライエン著・阿部珠理(あべ・じゅり)訳『アメリカ・インディアンの歴史』東洋書林刊、参照)。こういう応答をしてくれる人がいると、ほんまに助かる。

 「笑い声が起こる人権問題講演会」が、わたしの目標だ。10年以上前、松江市に招かれて困ったことがある。参加者は200人ぐらいだったかな。背広姿の男性がえらく多いことに気づいた。いつもの「こころのウオーミングアップ」に彼らは一切反応しないのだ。あとで聞くと、男たちは市役所の職員だった。「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関わる最重要の同和問題の講演会で笑ってはいけない」と勘違いしていたようだった。わたしの願いは、「こころが柔らかくなり、こころが開かれ、こころが向き合う」ことなのに、真意は職員には伝わらなかった。

 しかし今日は会場から何回も笑いが起こった。「わしはふしぎでたまらない、黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。/わたしはふしぎでたまらない、青いくわの葉たべている、かいこが白くなることが。/わたしはふしぎでたまらない、たれもいじらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。/わたしはふしぎでたまらない、たれにきいてもわらってて、あたりまえだということが。」(金子みすゞ「ふしぎ」)。最後に、「あたりマエダのクラッカー!。あのね。前田製菓は今もクラッカーをつくってまっせー。カバヤのキャラメルもあるよ」と付け足すと、大爆笑。それでいいのだ。「おもしろかった」という感想は最高の褒め言葉だ。「おもしろうて、やがてこころの 内を観る」。自己内対話のきっかけをつくるのが、わたしの「つとめ」。

 ふと見ると、右側5列目ぐらいに、祖母らしい女性と並んで座っている小学生がじっと耳を傾けてくれている。途中で、話しかけてみたら、反応がとてもいい。最後に、「君!立って!両手を広げて。カモン!」と呼びかけた。少年は真っ直ぐにわたしの前に来た。「おっちゃんを抱き締めて!」とお願いしたら、素直に応じてくれるではないか。場内から拍手。壇上を去ろうとしたら、少年がからだを斜めにして見送っている。手を振ると、振り返してくれた。少年の名は「拓士(タクト)」。両親が共働きで、祖父母が面倒をみていて、今日も一緒に連れてきたとのこと。いいなあ。わが家と同じだ。われわれ夫婦と孫一家、愛知県と京都市に住む二人の娘を含めた9人の家族が「生き合う共同体の根拠地だ」と信じている。

 帰り際、「りさこ先生」からお土産をいただく。お香とお煎餅とお酒(「無濾過 白真弓」)。「白真弓(しらまゆみ)」は、飛騨古川にある店が醸造元で、昔から大好きなお酒。ああ、友人とはありがたきかな。


☆昼食は「そうめん」。莉子と眞一が「お線香を点けたい」という。一希君の好みに影響されたのか。2階で点ける。あとプールへ。買い物は、「ハモ」980円など。夕方、莉子&眞一と一緒に保育園に一希君を迎えに行く。帰路、またもやサングラスをめぐって争いが起こり、わたしのものを眞一に渡す。夕日がまぶしい。

☆夜、例の『はだしのゲン』閲覧制限問題について松江の友人に電話をかけた。「山陰中央新報」が最初に報じ、いわゆる全国紙があとを追ったという。地元では昨年からいろいろ動きがあったが、全国紙系新聞記者の感度は鈍かったようだ。「朝日」を読んでいる限り「閲覧制限問題」は唐突だったし、地元の反応がほとんど報道されていない。「神は細部に宿る」という。細部を馬鹿にする人は、全体も把握できない、と思う。

酷暑もなんとか乗り切れそうだ。

☆8/24(日)晴れ、ときどき曇り。

 昨日(8/23)夕方、久しぶりに雨が降った。ニュースによれば各地で被害が出ているという。気候にも慎みがなくなったみたい。1週間以上前から、南の庭で、コオロギの鳴き声が聞こえる。暦は秋。しかし、「今年は夏が4か月続く」と、プル友のHさんが言っていた。しかし、冷房なしで、ここまでやってきた。あともう少し。酷暑なんかに負けてたまるか。

 NHKテレビ「基町アパート」(夜11時から)を観終わったばかり。「戦争がテーマなのに、明るく未来がある。テレビってこんな風に反戦を伝えられるのかと感動した。(略)歴史を知らない子どもの目線から、原爆や残留孤児を語っていく。広島中心部にある市営基町アパートは、原爆で家を失った人が元々バラックを建てた場所にある。被爆者や残留孤児、外国人も多く、今も3千戸以上がひしめきあう。(略)撮影はすべてロケ。商店街も学校も敷地内にある基町アパートの全容を、上から下から見せていく。大橋守ディレクターは「高齢化や多国籍化、日本国中どこにでも起きうる現実が詰まっている場所。肌で学んだ子どもが未来に向け、どう踏み出すのかを描きたかった」という。祖父の語った言葉が無条件に心に入ってくる。この一言を聞いた子どもたちは、おそらくプライドを持って生きていけるはずだ」(朝日8/19M。「フォーカスオン」欄。江戸川夏樹記者)。

 戦争の意味を問いかけ、未来を考えさせる番組だった。しかし、松江市教育委員会が、学校で漫画『はだしのゲン』の閲覧を制限したことの背景を考えると、このような良質の番組がいつまで制作できるのかと思ってしまう。過去をなかったことにしたがる人びとの声が強まっている。だからこそ「戦いがいがある時代」だと田原総一朗さんは語るが(毎日8/8E。「2013年 夏 会いたい 今ごろ何と…②ジャーナリスト 筑紫哲也さん〈08年死去、享年73〉)、 「そんな勇気と元気が、おまえさんにあるかい?」と、もう一人の「わたし」が尋ねているような気がする。

☆「先生のブログを拝見させていただきました。先生の素(す)のままの日常生活の様子から講演活動、感じていることなど、多々拝見し、とても素敵だと感じました。こちらも楽しみにしています。」

 『人は見かけが九割』という本があったが、「人は見かけによる」ものだ。しかし、交流し、理解が深まれば「人は見かけによらない」となる。だから、初めから日常の素をさらけ出すこと。「丸ごと『いのち』いっぱいの人間として生き、生き合うしかない」と信じている。

☆8月の講演はあと2回。8/27(火)午前は、岐阜県本巣市人権教育講演会「子どもの人権─子育てと自分育てについて考える」(市民文化ホール)。8/30(金)午前は、静岡県沼津市城北高校「人権講話会」。全校生徒に話をする。
 8/31(土)は、十年以上続いている、岐阜大教育学部の元同僚・永平和雄さんの墓参りで名古屋市の平和公園へ。参加者は5人かな。墓参は10分ほどで、あとは去年と同じ感じのいいお店で、永平さんの遺影を前に思い出話をしながら飲食する。この集まりが、「わたしの夏休み」のフィナーレ。9月はのんびりできそうだ。
 

♪圭子の夢は夜ひらく♪

☆8/21(水)晴れ。

 講演活動再開二日目は、各務原市立各務原養護学校の職員研修だ。7時半、起床。「おはようございます!」と、元気な挨拶をする孫二人(莉子&眞一)を玄関で迎える。「おじいちゃん!もう起きていたの?」と眞一君。「そうだよ。今日は、仕事があるんや」と応えるわたし。そんなやりとりがうれしい。

 庭に水を撒いたあと、9時に出発。21号線を通って、10時前、各務原養護学校に着く。去年に続いてのお招きだ。去年は「同和教育─人権同和教育─人権教育」という、岐阜県における人権教育の変遷をたどりながら、「人権教育とは何か」と問いかけた。今年は、「人権感覚を町づくりに活かすために、養護学校に何ができるかを考えてもらいたい」と話す。参加者は20人足らず。帰りぎわ、「生徒に話してほしい」と改めて依頼された。12月、寄せてもらうことになるかもしれない。

 帰路、久しぶりに「吉野家」に寄り、「生玉子・ネギ」牛丼・味噌汁・キムチを注文する。何といっても注文から丼が出て来るまでが速い。3分もかからない。気の短い人にはたまらないスピードだろう。しかも、これで500円はお値打ちだ。満足してプールへ。終わって、買い物を少々。

   夕方、一希君を迎えに七郷保育園へ行く。駐車場で、2歳児くらいの女の子を膝に乗せて車をスタートさせる母親がいた。「えっ!」と思い、横断の安全を見守っている年配の先生に話すと、「やめてくださいとお願いしているんですが」とのこと。要するにチャイルドシートを装着するのが邪魔くさいのだろう。困った親だなあと呆れるが、「こういう親にかぎって…」と話を広げないよう抑制する。それにしてもなあ。

 一希君は、わたしの顔を見るなり、飛んできて、抱きついた。莉子ちゃんは去年、「おじいちゃん。ハグはダメだよ」と両手でペケ印。いまは眞一君(小1)と一希君(3歳)とだけハグし合っている。そのうち彼らもハグを嫌がるだろう。それを、人は「成長」という。「ほんまかいな、そうかいな、へぇー」。

 夕方、庭に水を撒く。夕食後、TVと記事の切り抜きで過ごす。ゼミの卒業生から「残暑見舞い」が届く。「いい出会いを重ねているよ」と返事を書く。

☆8/22(木)晴れ。

  朝方、久しぶりに雨音を聞く。6時半、起床。7時40分、孫二人が「お邪魔しま~す!」と元気な声を張り上げながら玄関に入ってくる。こういう挨拶も大事なメッセージなんだ。身体とこころの調子がわかるから。

 8時、持ち物を確認して出発する。掛川まで新幹線で行き、そこから御前崎(おまえざき)市の職員の運転する車で、御前崎市文化会館に向かう。所要時間は50分。途中、浜岡原発が見える。風力発電の大きな羽がまわっている。以前、浜岡郵便局に職員研修で来たとき、原発問題は頭の中にほとんどなかった。不明を恥じるしかない。

 「平成25年度 静岡県人権教育地域指導者研修会」の参加者は、社会教育委員・公民館職員・幼稚園教員・小中学校教員・民生児童委員・保護司・人権擁護委員など70人。下田市もそうだったが、今日の御前崎市教育長さんの挨拶もよかった。彼女は7月、教育長になったばかりだという。「一所懸命、挨拶の文章を考えましたが、静岡県教育委員会人権教育室のS室長のアドバイス『笑顔が一番』に励まされ、原稿は破棄しました」とおっしゃった。その率直さに感銘を受ける。そうなんだな。前の晩に読んだ辞書の語釈を覚えて話しても、人のこころには届かない。素(す)のままがいい。「飾らない人柄。開かれたこころ」こそ大事。

 左側中ほどに、どこかで見たことのある顔の人物が座っている。そうだ、いまアメリカのメジャー・リーグで活躍するダルビッシュ投手そっくりの青年がいるではないか。あとで聞いたらば26歳。小学校1年生の担任だという。「お~い、ダルビッシュ!」と質問を連発し、最後まで相手になってもらった。別れしなに握手した手はがっちりしていた。たぶん彼は、その手で1年生のこころをしっかり摑んでいるはずだ。

 5時45分、岐阜着。イオン・スポーツクラブのプールで少し泳ぐ。買い物は「白菜漬け」だけ。カミサンご所望の「からし豆腐」は売り切れていた。ああ残念。

☆8時から夕食。メーテレ(テレビ朝日系列)の「京都地検の女」「ドクターズ」を観る。終わって、「藤圭子さん、自殺」のニュースあり。びっくり。62歳だとか。五木寛之さんや田原総一朗さんのコメントが流れる。

 「圭子の夢は夜ひらく」には思い出がある。1970年5月、福岡市の九州電力体育館で開かれた「部落解放全国研究集会」に、わたしは「狭山事件」の資料を配布すべく出かけた。そのあと京都に帰ったのだが、部落解放同盟中央本部事務局にいた師岡笑子さんから、「明日の正午までに、重要な書類を広島市で行政交渉している全国行進隊に届けてほしい」と電話があった。早速、京都府立大学部落解放研究会の学生に、買ったばかりの「スズキ・フロンテ」の運転を頼み、一緒に午前5時ごろ大阪市浪速区芦原橋の中央本部で書類を受け取り、広島に向かったのだった。そのとき、ラジオからひっきりなしに流れていたのが「圭子の夢は夜ひらく」。

 「15、16、17と、わたしの人生暗かった」という。大学闘争に敗れ(もっとも、あの闘いは、自らを問うものだったから、勝敗は問題外だったが)、学習塾で生徒たちと向き合うしかなかったわたしも、それなりに「暗かった」。子どもは息子K2(4歳)と娘J2(2歳)。藤圭子さんの歌はこころに響いた。五木さんは「怨歌だった」なんてコメントしていたが、そんなことはどうでもよろしい。人は、いろんな思いをもって生き、生き合っているのだ。43年前、車のラジオから聞こえたあの歌は、そのあとも、「あのころのわたしのありよう」を思い起こさせてやまない、困った歌だった。

 

講演活動を再開する。

☆8/20(火)晴れ。

 いよいよ今日から講演活動の再開だ。静岡県人権教育地域指導者研修会で下田市へ。目覚ましで6時起床。コーヒーを飲んだあと、持ち物を確認し、6時20分出発。駅西駐車場に車を止め、駐車回数券を買う(12000円)。朝食をどうするか、迷ったが、こういうときは目的地にできるだけ近づいておくことが肝要。新幹線名古屋駅ホームの売店で買った「朝のおむすび弁当とお茶」セット(500円)を買い、「こだま」車中で朝食を済ませる。

 下田は4回目。1回目は、たしか1968年、『岩波講座 世界歴史24 現代1』(1970/4刊)の執筆打ち合わのため東京に行き、帰りに伊豆に寄ったのだった。一旦下田まで出て、戻って天城湯ヶ島温泉に泊った。2回目は30年ほど前、東海郵政局「同和問題職員研修」の一環で、下田郵便局に1泊2日で出かけた。局長のFさんには同和対策室に勤務しておられたときに大変お世話になった。「いい友、うまい酒、おいしい肴」の三拍子揃った一夜が懐かしい。3回目は、特定郵便局職員の研修で13年前に出かけた。三宅島が噴火し、TVインタビューで地元の人が「阿古の部落が」と語っているのに、アナウンサーは部落を集落に言い換えていたことを思い出す。そして、今回が4回目。

 熱海で伊豆急に乗り換え、下田に着いたのは11時37分。改札口で下田市の若い職員が「藤田敬一様」と書いた紙を掲げていてくださる。会場(市民文化会館)までは車で数分。「唐人お吉」ゆかりのお寺がすぐそばにある。30年前と周りの様子がすっかり変わっていることに驚いた。

☆小じんまりしたホールには60人ほどの方が出席してくださっている。名簿によれば、幼稚園教諭・小中学校教諭・家庭教育学級の保護者・青少年育成会のメンバーなど59人と県・市職員、あわせて六十数名。 
 冒頭、教育長さんの挨拶がとてもよかった。まず紋切型でないこと、話が具体的であること。こういう短い挨拶だからこそ、その人の個性が出てしまうのだ。

 「生き合おう─人権感覚を町づくりにいかす」と題して1時間半話す。例によって、「こころのウオーミングアップ」に時間をかける。約30分。参加者の表情が柔らかくなり、からだがしなやかになっていく。だから笑い声が起こる。右3列目ぐらいに、目のきれいな青年がいる。先ほど、玄関前で「こんにちは!」と挨拶してくれた人だ。おそらく教員だろう。冒頭、少し舟を漕いでいたな。「今日は、この人にお付き合いをしてもらおう」と決める。

 「この時間帯は、困難な時間帯です(笑い)。わたしも先ほど昼食のお弁当をいただいたばかり。眠くなって当然。眠っていいんです。その人にとっては、眠ることの方が大切なんだから。昔、そのことがわからず、眠っている人を無理やり起こしていました。それが大変な間違いだと気づかせてくれたのが郵便局の外務職員さんたち。起こしても、身体が起きるだけで、こころは起きない。こころを起こすのは本人だけなんですね」と話す。左後方の年配の男性はウツラウラ。でもこの人、真ん中あたりで目を覚まさはった。それでいい、それでいい。

 お相手してくれた青年教員は、答えに詰まると、斜め後ろの年配者の方を振り向く。「ぼくの先生です」と言う。「あんな。いつまでも恩師に頼っていてはアカンよ。自立せんとね」とわたし。恩師なる人は、心中穏やかではなかったろうが、にこやかに笑っておられた。でも、こういう応答を気安くしてくれる感性に、わたしは感動する。最後に、彼と握手。司会者の呼びかけで、みなさんから彼に拍手が送られた。和気あいあいのうちに講演会は終了。このあと参加者は分散会に。岐阜県の場合もそうだが、ほんとうは最後まで、わたしは参加すべきではないかという思いが残る。
 下田市教育長、静岡県教育委員会人権教育推進室長が玄関前で手を振って送ってくださる。ありがたいなあと感謝する。

☆帰路は、指定席をとる。相模灘の海はあくまでも穏やか。伊豆大島が見える。川もいいけど、海もいい。幼いころ、瀬戸内海で夏を過ごしたことを思い出す。日露戦争に出征した経験を持つ、70歳を超えた大叔父がわたしたち姉弟を20日間、面倒をみてくれた。磯に打ち寄せる波。廃船の無残な姿。あのころの体験は、いまのわたしのどこに、何を残しているのだろう。

☆息子(K2)は、わさび漬けが好物だ。伊豆急下田駅の売店で、店員のお姉さんが勧めてくれた「天城わさび漬け」をお土産に買う。値段は普通の倍。きっと喜んでくれるだろう。あと、干物をどんと買う。めったにない遠出なのだ。これいくらいの贅沢は「♪いいじゃぁないの~♪」と、自分に言い聞かせる。

 名古屋経由、岐阜着は夕方6時半。今日、イオンは「お客さま感謝デー」、つまり5%引きの日。「ブラックニッカ・クリアブレンド」4㍑のほか、カミサンのメモを頼りに買い出しをする。帰宅は8時。充実の一日だった。

☆大阪の友人から「残暑見舞い」の葉書が届く。「日本の教育の進もうとしている先、とてもあやういような気がします。やるべきことをきちんとやっていきたいです」とあり。

 「教育が進もうとしている」のではない。「そんな教育を進めようとしている人びと」がいるということ。教育は主語ではない。目的語だ。ただ、押さえておかなければならないのは、日本の学校教育が「戦前・戦中・戦後」をのんべんだりと経過したということ。わたしが通った京都市立光徳小学のS・S校長は、昭和7年生まれの浩さん、昭和10年生まれの正ちゃん、そして昭和14年生まれのわたしの共通の校長だった。あの方には、「戦争と教育」について振り返るという発想・考えは全くなかったように、わたしには見えた。

  しかし、京都市立崇仁(すうじん)小学校校長・伊藤茂光(いとう・しげみつ。1886~1966)は違った。彼は敗戦後、教職を辞し、弁護士として活動する。おふくろは、戦中時代に伊藤校長の講話を聞いたことがあるらしい。伊藤校長の人間観が、おふくろに伝わった可能性は十分にある。

 それはともかく、いまも学校文化に残る「軍隊式」の異様さに気づかないのはなぜか。「体罰」問題は、学校文化における「日本軍隊の暴力的制裁」の残滓なのに。

 
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