2013年06月

岐阜県「生き合いセミナー」で再会あり。

☆今日(6/28)は、岐阜県「生き合いセミナー(人権指導者養成講座)」の2回目(関市「わかくさ・プラザ」)だ。7時起床。コーヒー、玉子ドーナツの朝食をとる。

 7時45分から、BSプレミアム「こころ旅─下呂篇」を観る。加子母(かしも)から下呂に通じる舞台峠が映る。広くなって舗装されているのにびっくり。30年以上も前、中津川郵便局での職場研修後、友人宅で一泊。翌日、あの難路を越えた。熊谷守一(くまがい・もりかず)記念館や付知(つけち)峡に立ち寄ったことを思い出す。8時半、出発。岐阜市街を迂回して、三田洞(みたほら)経由で関市に向かう。「わかくさ・プラザ」到着は9時半だった。

☆「生き合いセミナー」は、もとは「人権指導者養成講座」と名乗っていた。そこで、「どうして漢字ばかりの名称なの?硬いやないの?」と疑問を呈したところ、いまの名称になったというわけ。しかし、副題に昔の尻尾が付いている。ひょっとしたら予算要求と関係しているのかな。

 参加者は、人権擁護委員、民生・児童委員、教育関係者、労働基準監督署・公共職業安定所の職員、自治体職員、県職員など32人。それにしても、この人びとは、面と向かって「あなたは人権指導者です」と言われたら戸惑うのではないか。わたしは自分を「人権指導者」と思ったことはない。もしそんな名称を名乗るとすれば不遜の極みだろう。「『人権問題を考えてみませんか』と、おだやかに、ていねいに、じっくりと語りかける人」でありたいと願うのみ。

 参加者の中に、わたしが最初から関わってきた、関市「いきいき・生き合い講座」の受講者が2人おられた。この講座は18年続いている。そのおひとりのKさんは、わたしと同年の女性。「お互い、間もなく後期高齢者やね」と笑い合う。2人の岐阜大教育学部史学科卒業生との再会もうれしかった。「先生は、少しも変わっておられませんね。わたしは卒業から30年、すっかり白髪になって」と恥ずかしそうに元女子学生は笑った。人はみな老いる。老いを恥ずかしがることは何もない。ただ。わたしは見苦しい老い方だけはしたくないと思う。

 おひとり、高齢の男性が冒頭から大口を開けてあくびをし、終わるまで六法全書らしきものを開いてメモを書き続けていた。「おまえさんの話なんか聞いていないよ」と、わたしに伝えたかったのかもしれない。こういう人はどこにでもいるものだ。しかし人前であくびをするときは口に手を当てるもの。そんな作法すら知らないのでは困る。人権と作法は関係ないか。「人と人との人間らし関係」は、古臭いとされる作法の中にも潜んでいるはずだ。「江戸しぐさ」が、そうだろう。日常の居住まい、立ち居振る舞いを自問することも大切ではないか。

☆1時過ぎ、マーサ着。「讃岐うどんとおにぎり」(580円)を食べ、プールへ。体重は54.3キロ。よし、よし。1時間、遊んで帰宅。5時半、眞一(小1)と一緒に、一希(3歳)を保育園に迎えに行く。交通整理をする主任保母さんが、眞一に「よく来てくれたね。また来てね」と声をかけてくださる。卒園して3か月。弟を迎えに来る元園児へのエールに感動する。6時過ぎから、ウイスキーの水割りタイム。いま午後11時半。そろそろひと風呂浴びて、寝ることにするか。



 

大阪府豊中市で講演をする。

☆6/25(火)。今日の午後は豊中市立第五中学校の職員研修。夕方からは豊中人権まちづくり協会主催の講座で話すことになっている。8時起床、10時半出発。

 岐阜羽島駅東口のH駐車場に、いつもお世話になっているご夫婦のお顔が見えない。ダンナさんが入院なさったとのことで、弟さんがピンチヒッターを務める。この駐車場を利用するようになって何年になるだろう。以前は路上駐車していたが、警察の取り締まりが厳しくなるにともない、駐車場ができた。しかし、そのうち料金が下がり、いまでは1日500円、2日900円だ。一番電車から終電まで、その仕事は厳しいと思われる。いつぞや、わたしのことが新聞に載ったとき、「ああいうお仕事をしてなさっていたんですか」と声をかけてもらったことがある。温厚なご夫婦の平穏無事を念じるのみ。

 12時半、新大阪駅に着く。途中下車して、構内の「熊五郎」で「半ちゃんラーメン」700円を食べ、梅田に出て、紀伊国屋書店で、吉行淳之介・開高健『美酒について─人はなぜ酒を語るか』(新潮文庫、438円、税別)を求める。朝日新聞の記事で知った。2時、阪急宝塚線豊中駅で下車。構内の本屋さんで、玄侑宗久・和合亮一・赤坂憲雄『被災地から問うこの国のかたち』(イースト新書。13/6)を買う。これも朝日の紹介記事に誘われて。

 2時半、豊中五中の人権教育担当Sさんが迎えに来てくださる。先日、岐阜県本巣市で開かれた「生き合い講演会」に参加してくれた人だ。彼の案内で、無事、五中に到着し、校長室で雑談する。

 五中に招かれたのは10年ほど前のこと。部落解放同盟豊中支部のSさんとは『こぺる』を通しての知り合いで、彼が五中に紹介してくれたようだ。担当のMさんは清楚な風貌ながら、秘めた情熱と豊かな見識の持ち主であることはすぐわかった。教員研修、全校生徒への講話、1年生3クラスでの授業など思い出は多い。それは、A校長はじめみなさんの熱意によるものだった。今日は、久しぶりの再訪でなつかしい。校舎が新築中だということで、以前の面影はほとんど残っていない。教員も多くは異動し、わたしを知っているのは5人。時は移り、人は替わるのだ。


 克明小学校の教員も加わって30人ほどの方が参加。「よく生き合うということ─人権と教育について考える」と題して1時間半語る。5時40分終了。

 「人権教育が大事だということを、ただ唱えるだけでなく、『人としての生き方』についてじっくり考える教育を行っていきたいなあと思いはじめています。(略)自分という人間がどう生きていくのかということを、子どもたちとともに追求していきたいと思います」。後日届いた感想の一節。「先は長い。『おだやかに、ていねいに、じっくりと』人権を相手のこころに届けるようご尽力くださいますように。今後とも『持続する志』を持って前進されたし」と葉書に書く。

 6時半からは、講座「運動篇」。会場には50人以上の方が来てくださっている。もちろん、奈良のHさんも。「部落問題とわたし─体験的部落解放運動史」と題して2時間10分ほど語る。

 ・すごく熱がこもっていたように感じました。2時間があっという間で、フジタ・ワールドに包まれました。各人各様
の想いが、藤田さんが繰り出す、さまざまな体験談やエピソード、そしてグサリと突き刺さる辛口の批評などと交錯したはずです。
 ・6年ぶり?の藤田さんの話、まっすぐに心に入ってきました。さすがー、ほんとうに来て良かったです。「一人で考えて、一人で始める」。忘れないようにしたいです。
 ・ 「アカン」「デキン」と率直に言える関係をつくることが大切だということが、心に残りました。
 ・今日、ここにきてよかった。今まで思っていたことが、まちがっていなかったことがたしかめられた。ありがとうございました。
 ・久しぶりにまっとうな話を聞きました。私もまっとうに生きていきたいと思います。藤田先生、お元気で!
 ・あらためて「人間が大きくなくてはダメだ」と思わされました。「人間が小さいということは人間のクズだ」というのはやはり正しいと思わされました。
 ・さすが、先生の話、面白かった。今日は学校関係者が多いようでしたが、もっと運動側の人が聞くといいですね。

 聞いてくださる人びとの反応がジンジンと伝わってきて、嫌が上にも気合が入った2時間10分。「思いの丈を語る」とは、こういうことを言うのではないか。学生時代からずっと抱え込んできた「なぜ?」「どうして?」を手放さず、行き着いたのが『同和はこわい考』。それから26年。いまも、こういう場で共感してくださる人がおられるというのが、うれしくて、ありがたい。

 9時過ぎから居酒屋で懇親会。参加者は10人。なつかしい顔に囲まれる。2次会はSさん・Aさんと「天ぷら屋」さん。焼酎を飲みながら、揚げたての天ぷらをく。いい友・、うまい酒・おいしい肴の三拍子がそろった宴に酔う。

☆6/26(水)、「ホテル アイボリー」で目覚めたのは8時前。和食の朝ごはんをいただいき、10時、Sさんと梅田へ。喫茶店で、雑談のあいまに部落解放運動の中で出会った人びとの話をしたら、Sさんが強い関心を示した。

 わたしが言葉を交わした水平社時代の人は木村京太郎・米田富・朝田善之助ぐらいで、西光万吉には会っていない。阪本清一郎は一度会議の席でお顔を見たことがある。松本治一郎は遠くから眺めただけだで、松田喜一は、矢田地区総合実態調査のとき(60年)、ある人のお供でお宅に伺って話をそばで聞いたことがある。
 戦後部落解放運動で活躍した人の中で「人物だな」と思ったのは、京都府連の三木一平。一方、中野次夫・住田利雄・寺本知などの穏やかな姿はいまも鮮明に覚えている。こういう人が亡くなったのが1980年代。押せ押せ、行け行けの時代だったから、居場所がなかったように、わたしの眼には映った。
 研究者では、奈良本辰也・井上清・原田伴彦・盛田嘉徳。この人びとに共通しているのは、部落解放同盟中央本部に媚びる姿勢がなかったことだ。
 そんな話をしているうちに、借りた傘をSさんに返すのを忘れるという失態を演じてしまった。傘を返すのはいつになるかと考えると、熱が出そう。

☆6/27(木)。今日は第1回岐阜県瑞浪市人権施策ネットワーク会議。委員17名、全員出席。会長に就く。少し長めの挨拶をする。「人権という言葉は明治時代にできたものだが、1945年8月15日までは死語だった。しかし、GHQによって憲法が押し付けられたというのは、それまでの苦闘の歴史を無視する暴論だ。ただ、人権という言葉がいまも人びとの心に馴染んでいないことをふまえて、『生き合う町づくりに』に努力・協力してほしい」と述た。
 
 委員の自己紹介では、具体的ないい話が続く。重い障害を持つ子どもについて相談したとき、瑞浪市職員の対応に哀しくなったが、いまでは改善されたという指摘に、副市長は反省と決意を披露した。

 ところで、ある委員から、わたしの瑞浪市小中生への講演について触れながら、「母親の置かれている状況を抜きにして、子どもに人権を訴えてどうするのか」と、いくぶん冷やかな意見が出された。「そらそうだ。しかし、事柄には個別と普遍の二つの面がある。単親家庭であることなどが子どものの問題に直結しやすいことは明らかだが、個別の課題には個別の対処方法がある。わたしが話しているのは、個別を超えて人間にかかわる普遍・根底のこと。大事なのは、人権問題に対する行政の縦割り対策では不十分なことを踏まえて、どうするかを考えることではないかな」といった趣旨のことを、やんわりと指摘する。

 2時間を超える会議を終え、「ここにも自由にものが言える空気がある」と実感する。岐阜に帰ってプールへ。夕方、一希を迎えに保育園へ。

 

 

自由に語り合える会議はいいなあ。

☆7時45分、携帯電話の目覚ましで起床。NHKBSプレミアム「こころ旅」を観る。岐阜に移り住んで43年。岐阜は、これまで一番長く暮してきた場所だ。京都生まれの3人の子ども、岐阜生まれの3人の孫にとってはふるさだ。岐阜が映るだけで、うれしい気分になる。今朝は15分の短縮版だけれど、それなりに味がある。

☆9時半、K歯科医院へ。十数年前、歯痛に苦しんだとき、岐阜大教育学部生涯教育講座研究室のHさんが紹介してくださってからのお付き合い。「地獄に仏だ!」という感じるとともに、これまで通った、あのヤブは何だったのだろうと思ったものだ。ヤブの待合室には「某国立大学歯学部同窓会」のプレートが掛っていた。何という権威主義! 
 10時半、治療が終了。マーサ21に向かう。6/25(火)、豊中往還のJRチケットをジパングクラブの割引でゲット。新大阪駅構内のラーメンを食べることにする。

☆午後、岐阜市人権教育・啓発推進協議会検討部会に出席する。協議会(7/8)の前に、議題の整理などをするための事前打ち合わせ会議。出席委員は、私を含めて5人。「平成24年度の取組の進捗状況」・「平成25年度の取組計画」について事務局から報告を受ける。
    この会の面目は雑談風の意見交換に表われる。「岐阜市における焦眉の人権課題は何か」という問題意識を共有しようと姿勢がいい。わたしは「少数者の立場の視点に立つことの重要性」・「費用対効果的観点からの脱却」を指摘したが、ある委員から「『女性の人権・子どもの人権・高齢者の人権・障がい者の人権…』と並べらることに違和感を持つ。総合的・相互的視点が大事ではないか」との指摘がなされた。全く同感する。「人権とは、人間としての権利だ!」と喝破したのは田中正造だった。ここを抜かして、「女性の人権…」と並べる発想は危うい。3時半、終了。マーサ21のプールへ。

☆4時45分、莉子と眞一がプールに現われる。二人は、わたしを見つけて驚いたみたい。二人の姿をしばらく観察。莉子は、なかなかしっかりしていて、落ち着いている。礼儀、マナーもいい。眞一は泳げるようになったみたいだ。ふと、京都市下京区壬生川(みぶがわ)七条上がるの小坂プールに木製の鑑札をもって通った65年以上前の夏を思い出した。あのころ、プールに通うのは大変な贅沢だった。親に、こわごわ願い出たものだ。「莉子も眞一も、プール通いを当たり前に思ってはいけないよ」と言っても、無理だろうなあ。

☆愛知県大府(おおぶ)市の人権擁護委員Hさんからメールが届く。先日、半田市で開かれた人権擁護委員の研修会で、わたしの話をお聞きになり、DVD「君の勇気を待っている」をご覧になったうえで、「家庭教育学級」での講演(11/17)を依頼してこられた。あのDVDには大府市立共長小学校の生徒たちが参加してくれている。「地元の取り組みに気づかなかった」と悔やまれるHさんのお気持に感動する。

☆朝日13/6/23Mの教育面、「花まる先生 公開授業─なるなら貴族?武士?」を読んで驚いてしまった。東京・練馬区立橋戸小学校6年生社会科の、「貴族か武士か、どちらを選ぶか」という二者択一の授業を紹介していた。「貴族は遊べるし、平和で暮らせる」、「武士は戦いがあるから強くなれる。貴族は戦いがなく、遊んでばかりいるから弱い」、「貴族のご飯は豪華だけど、食べ物を残すのでゴミが出てしまうし、食事にも甘い物が出るので病気になりやすい」…。
 これはいったい何の授業なのか。授業内容のお粗末さに呆れてしまうだけでなく、こんな授業を紹介する記者の感覚を疑う。朝日新聞には教育関係のしっかりした編集委員がいるはずなのに、どうしてこんな記事を掲載するのだろう。

久しぶりに林竹二さんの本を開く。

☆京都の友人Mさんから初めてメールが届く。

 「このところ藤田さんのブログを楽しみにしているのですが、先日の『二文字熟語、四文字熟語の難しさ』という話は、興味深いものですね。『身分』とは何ですかと小学生に改まって訊かれたら、その子がわかるようにどう答えたらいいのでしょう。
 わかるように話すということでいえば、私はつい林竹二の『教えるということ』(国土新書)を思い出します。
 その中で、私の好きな言葉(小学校六年生の女の子)

 『なんだかわたしは、ひとりで林先生の講義を聞いているような気がした。けっきょくわたしは一言も発言できなかった。けど、わたしは、とてもためになったと満足している。』 
 こんな子はいませんか?こんなわかり方はどうでしょう。どちらかというと、『一言も発言できない』この女の子に近い私は、じんわりと感動するのですが。」

 「なんだかわたしは、ひとりで林先生の講義を聞いているような気がした。」これと同じような感想をもらったことがある。生徒の目を見つめて語るから、そういう感想を抱くのだろうか。講演は「一対多」ではなく「一対一」の対話だと、わたしは思う。聞いてくださる人は、わたしの話を聞きながら、自分の中で問答する、つまり自己内対話をする。わたしを見つめ返す眼差しがそう教えてくれる。「一言も発言できない」生徒の内面の葛藤、あるいは「言葉にならない気持や思い」をキャッチできる感性が必要ではないかなあ。

 Mさんに誘われて、久しぶりに林竹二『教えるということ』(国土社。1978)を開く。林さんは小中学生に「人間について」と題した授業をしていた。尼崎市立湊川(みなとがわ)高校での授業風景はテレビでも放映されたし、本にもなっている。それにしても林さんがやってきたことは、いまどう受け止められているのだろう。忘れられているのか、それとも何かを残したのか。林さんの教え子の多くは宮城県で教員として活動していたはずだ。すでに退職している人も多いかもしれない。授業を受けた生徒は50歳前後になっている。誰か、林さんの授業を企画した教員、授業を受けた人のその後をたどってくれないか。

☆NHKBSプレミアムに、俳優の火野正平さんが視聴者から届く「わたしのこころの風景」を探して自転車で旅する「こころ旅」という番組があり、先週から岐阜県が登場している。今日は、郡上(ぐじょう)市と八百津(やおつ)町のワイド版だった。郡上市で長良川と吉田川が合流する。その吉田川をさかのぼること10キロの市島が目的地。秋田市に住む女性からの依頼だ。10月20日(日)に出かける明宝(めいほう)中学校は、その先にある。一泊して、友人と一杯やるので、近くの明宝温泉でひと風呂浴びることができるかもしれない。八百津町もなつかしい。ナチス支配下のドイツから脱出しようとするユダヤ人六千人あまりに日本外務省の意向に逆らってビザを発行した杉原千畝(ちうね)の生誕地としても知られている町だ。記念館がある。人権教育研究指定を受けた八百津小学校には2年通った。テレビでは木曽川沿いの古い家並が映っていたが、美濃太田駅から学校まで車で送迎してもらったためか、気づかなかった。ああ残念。

☆朝日新聞(13/6/22M)のbe版「映画の旅人」で「土佐の一本釣り」が取り上げられていた。舞台は高知県中土佐町久礼(くれ)。1970年代末、部落解放運動に没頭していたころを含めて2回、久礼に立ち寄ったことがある。友人2人の船酔い姿とともに、浜辺で食べた「カツオのたたき」のおいしかったことを思い出す。
 往事渺茫。2人の友人はすでに亡く、高知県に出かけることもなくなった。いま、わたしは自分が部落解放運動からどんどん遠ざかっていることに気づいている。もう戻ることはないだろう。これからは、一人の「市民」として向き合うつもりだ。

HPを更新する。

☆6/21(土)午後、プールから帰ったあと、思い切って一気にHPの更新にとりかかる。まずプロフィール。『こぺる』の復刊と終刊を加え、現在の「委員職」を修正する。そのあと、トップページの文章と紹介(2013年度大垣教務所「仏教公開講座」の日程)を書き、管理人(J2)に送信。

 6/22(土)昼前、J2から「HPを更新したよ」とメールあり。1年半ぶりの更新だ。繰り返しアクセスしてくれた人びとにお詫びと感謝を申し上げたい。これからは、最低「月一」更新をこころがけます。

☆溜まった新聞記事の切り抜きとファイリングを完了。記事は、「一般」「東日本大震災」「教育・子育て」「国内」「世界」「学芸・思潮」「短歌・詩」に分ける。こころに残ったものは「とっておき」に入れる。

☆とくに気に入ったものは、講演用ファイルに。そのひとつが「乳児も いじめに同情─京大が研究」(朝日13/6/13E)・「赤ちゃんにも同情心─豊橋技術科学大など実験─苦境の弱者に救いの手」(毎日、同上)。朝日の記事には、「言葉もしゃべれない生後10ヵ月の乳児でも、いじめられる被害者に対して同情心を感じているらしいことが、京都大などの研究でわかった。人間の生来の性質が善か悪かを探る研究にも役立つとみられる。(略)サルなどの動物の研究ではけがなどで弱っている仲間に近づいたり、触ったりする行動は同情の表れとされている。乳児の場合も暴力的な存在を避ける一方で、いじめられている存在に対する同情心もあると考えられるという」、毎日の記事には「人間は生まれながら思いやりの気持ちがある可能性を示す成果だ」とある。

 1959年(S34)、京都大学の2回生のとき、教養部で伊谷純一郎先生の「自然人類学」を受講したことがある。先生は、アフリカでのゴリラの生態研究から帰国なさったばかりだった。講義の内容は興味深かったが、わたしはいつしか教室に向かわなくなった。安保闘争と部落問題研究会の活動で忙しかったからだ。いま思うと、当時のわたしは、「人間について深く考える」ことをおろそかにしていたようだ。

 わたしは、先生の著作『ゴリラとピグミーの森』(岩波新書、1989年、25刷)、『チンンパンジーの原野─野生の論理を求めて』(平凡社ライブラリー、1993年)や、先生の後輩たち(松沢哲郎さんや山極寿一さんなど)の作品を読みついでいる。ニホンザル、チンパンジー、ゴリラなどに社会・文化を発見した人びとの成果は、人間なるものの本質理解に深くかかわっている。

 学恩という言葉は死語だろう。しかし、そういう言葉でしか表現できない「感謝の気持」が、わたしの中には確かにある。

☆海老坂武『加藤j周一─二十世紀を問う』(岩波新書)を読んでいる。加藤と海老坂、この二人にはずっと関心をもってきた。間もなく読み終えるはず。いま、6/23午前1時。これからお風呂に入って就寝する。
ギャラリー
  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
プロフィール

藤田 敬一

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ