7時45分から、BSプレミアム「こころ旅─下呂篇」を観る。加子母(かしも)から下呂に通じる舞台峠が映る。広くなって舗装されているのにびっくり。30年以上も前、中津川郵便局での職場研修後、友人宅で一泊。翌日、あの難路を越えた。熊谷守一(くまがい・もりかず)記念館や付知(つけち)峡に立ち寄ったことを思い出す。8時半、出発。岐阜市街を迂回して、三田洞(みたほら)経由で関市に向かう。「わかくさ・プラザ」到着は9時半だった。
☆「生き合いセミナー」は、もとは「人権指導者養成講座」と名乗っていた。そこで、「どうして漢字ばかりの名称なの?硬いやないの?」と疑問を呈したところ、いまの名称になったというわけ。しかし、副題に昔の尻尾が付いている。ひょっとしたら予算要求と関係しているのかな。
参加者は、人権擁護委員、民生・児童委員、教育関係者、労働基準監督署・公共職業安定所の職員、自治体職員、県職員など32人。それにしても、この人びとは、面と向かって「あなたは人権指導者です」と言われたら戸惑うのではないか。わたしは自分を「人権指導者」と思ったことはない。もしそんな名称を名乗るとすれば不遜の極みだろう。「『人権問題を考えてみませんか』と、おだやかに、ていねいに、じっくりと語りかける人」でありたいと願うのみ。
参加者の中に、わたしが最初から関わってきた、関市「いきいき・生き合い講座」の受講者が2人おられた。この講座は18年続いている。そのおひとりのKさんは、わたしと同年の女性。「お互い、間もなく後期高齢者やね」と笑い合う。2人の岐阜大教育学部史学科卒業生との再会もうれしかった。「先生は、少しも変わっておられませんね。わたしは卒業から30年、すっかり白髪になって」と恥ずかしそうに元女子学生は笑った。人はみな老いる。老いを恥ずかしがることは何もない。ただ。わたしは見苦しい老い方だけはしたくないと思う。
おひとり、高齢の男性が冒頭から大口を開けてあくびをし、終わるまで六法全書らしきものを開いてメモを書き続けていた。「おまえさんの話なんか聞いていないよ」と、わたしに伝えたかったのかもしれない。こういう人はどこにでもいるものだ。しかし人前であくびをするときは口に手を当てるもの。そんな作法すら知らないのでは困る。人権と作法は関係ないか。「人と人との人間らし関係」は、古臭いとされる作法の中にも潜んでいるはずだ。「江戸しぐさ」が、そうだろう。日常の居住まい、立ち居振る舞いを自問することも大切ではないか。
☆1時過ぎ、マーサ着。「讃岐うどんとおにぎり」(580円)を食べ、プールへ。体重は54.3キロ。よし、よし。1時間、遊んで帰宅。5時半、眞一(小1)と一緒に、一希(3歳)を保育園に迎えに行く。交通整理をする主任保母さんが、眞一に「よく来てくれたね。また来てね」と声をかけてくださる。卒園して3か月。弟を迎えに来る元園児へのエールに感動する。6時過ぎから、ウイスキーの水割りタイム。いま午後11時半。そろそろひと風呂浴びて、寝ることにするか。