2013年05月

岐阜市同和行政推進協議会に出席する。

☆5/30(木)。イオン岐阜店(マーサ21内)では、毎月30日がお客様感謝デー。何たって5%引きだから、この日を逃すわけにはいかない。10時半、カミサン(J1)から渡されたメモをもってマーサ21に向かう。大変な混雑。やっとのことで別館屋上に駐車スペースを確保する。

最初に目指したのは、専門店のくじ引。なんと500円割引券があたる。ただし1000円以上の購入者にかぎるとのこと。ついでアルコール販売コーナーで「ブラックニッカ・クレアブレンド」4リットル(3490円)をゲットする。そのあとホウレンソウ・絹豆腐・卵・牛乳などを買う。帰りのエレベーターでご一緒した年配の男性に「いやはや大変ですなあ」と話しかけると、「おばあさん(妻)が食料を買っているので、もう一度戻らんといかんのです」とおっしゃる。みなさん、5%引きに誘われての買い物に奮闘なさっているんだ。もちろん私もその一人だ。

午後は「岐阜市同和行政推進協議会」。委員は、地域代表6人、自治連合会長2人、地域人権教育推進指導員1人、教育関係者(小中校長)4人と私の17人で、私が会長を務める。冒頭、「1871(明治4)年の『太政官布告』から142年、全国水平社創立から91年、多くの人びとの努力と協力によって大きな成果があがったことは間違いないとしても、いまなお『忌避と排除』」の意識が残っているのはなぜなのか。これまでの取り組みの成果と課題を検証することが求められています。どうか率直な意見を」と挨拶する。事業報告・事業計画を承認したあと、岐阜市人権啓発センター制作のDVD「これだけは知っていたい同和問題」を鑑賞する。なかなかよくできている。事務局のご努力の成果だ。問題、このDVDをどういかすか、だな。

☆講演レジュメの作成が遅れている。とりあえず名古屋市社会福祉協議会「職員研修」(6/4)を仕上げて送信する。6月中の講演でレジュメを用意しなければならないのは、岐阜県主催「生き合いセミナー」(6/17・28)、大谷派大垣教務所「大垣別院仏教公開講座 いのち─生き合うⅣ」(6/18)、大阪府豊中市立第五中学校「教員研修」・豊中水平社創立90周年記念連続講座第2講「部落問題とわたし─体験的部落解放運動史~運動は、部落問題観・人間観をどう変えてきたか?」(6/25)。いずれも大きなテーマで悩ましい。

☆あるイベント企画会社から自治体の人権講演会の講師を引き受けられるかどうか打診のメールが届く。以前にもこういう企画会社の仲介で講演に出かけたことがあり、引き受けることにした。「講師料は?」との問い合わせに、「多いほうがええ。アッハッハ。お任せします」と返信。実現したら、うれしい。

☆「同和問題は触れない方がいいと勘違いしていましたが、積極的に問題解決に取り組んでいく姿勢が必要だと思いました。」「初めて考える機会をいただいた。心に響きました。」「自分を見直すきっかけにさせていただきます。」「先生の話を聞いて心が晴れたような感じがしました。」「今日から自分にもできる小さなことを見つけたいと思いました。」「また機会があれば、藤田先生のお話をお聞きしたい。」岐阜県主催「生き合い講演会」(5/23
)の感想から。

「四日市市役所での研修でお世話になりました。『自分の心で考える』、『自分から向き合う』など、自分自身の生き方にかかっていることを再確認できました。(略)公立園なので、転勤するたびにいろいろな出会いがあります。その中で、人への思いを発信すること、考え合うことを続けていきたいなとあらためて思った講演会でした。」四日市市の研修(5/28)を受講なさった方からのメール。
 こういう感想に私は励まされる。ありがたいなあ。

☆明日(5/31)朝、こぺる刊行会の会計をしめ、残金をNさんへ送金する予定。送金が終わって始めて『こぺる』終刊が完結する。その結果、血圧が下がり、HP更新に着手できるはず。それにしても、長い20年だった。

三拍子そろった宴に酔う。

☆5/28(火)。7時過ぎに起床する。今日は四日市市職員研修所主催「人権・同和研修」だ。余裕をもって向かいたいので、9時40分のバスで出発する。JR岐阜→JR名古屋=近鉄名古屋→近鉄四日市のルートは久しぶり。木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)を渡るあたりの風景がいい。

今夜は四日市泊まりなので、洗面道具・衣類などでデイパックはポンポン。本も2冊(ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス─日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』柏書房、飯間浩明『辞書を編む』光文社新書)押し込んである。11時半過ぎ、四日市に着く。さて、昼食どうするか。迷った末に、会場である四日市総合会館1階の喫茶店で取ることにする。ここなら、コーヒー付きのお値打ちなランチ(630円)があり、時間調整もできる。食事を終えて、12時半、人権センターに立ち寄り、Nさんと少し話す。

所長は旧知のMさん。四日市市社会教育委員をしていたころにお世話になった方だ。新任課長補佐級職員・新任課長級職員に他の職員も加わって、参加者は100人近い。懐かしいお顔もチラホラ。何せ四日市市に出かけたのは1978年ごろのことだから、付き合いは35年に及ぶ。四日市市内をよくまわってきたなあ。

「仕事を通して人と生き合う─皆さんに期待すること」と題して1時間半話す。そのあと班に分かれて討論し、その内容を短く報告してもらい、最後に私がコメントした。「先生の講演の心遣いと思い遣り、相手のところに持っていく想像力の話を今日の朝礼でしました。感謝!」とのメールが5/29に届く。講演の中で「こころはだれにも見えないけれど、こころづかいは見える。思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える」(宮澤章二)という詩を紹介したことへの反響だ。「こころづかい」の遣い、「思いやり」の遣り。どちらも漢字は同じ「遣」。こころと思いを相手のところに「遣わす」ことが想像力。「仕事は想像力だ」というのが、私の言い分。

夕方から、友人4と一杯。いい友、うまい酒、おいしい肴の三拍子が揃った宴に酔っ払った。飲んだ後のラーメンもうまかった。

☆5/29(水)。ホテルを8時過ぎに出発、津西幼稚園に向かい、津駅構内のドトールで時間調整をする。10時、大川学園の大川吉崇(よしたか)理事長の出迎えを受けて、びっくり。大川さんとは十余年来の知り合いで、三重県私立幼稚園協会会長をなさっていたころ、私を「新規採用教員研修講師」に招いてくださった人。

津西幼稚園の園長さんが保護者会総会の記念講演にと私を推薦くださったことで、大川さんとの再会が実現した。園の環境は抜群、自然に満ち溢れている。保護者は80人ほど。「子どもの“つぶやき”に耳を傾ける─子育てと自分育てについて」と題して1時間話した。私のメッセージはみなさんに届いたかどうか。

帰宅後、ルカ&ランを忠節犬猫病院に連れていく。ルカは順調に回復過程にあり。ランも体重3キロに回復。5時半、孫の眞一と一緒に、一希を保育園に迎えにいく。わが家の「学童」は7時過ぎまで続いた。

溜まった新聞記事をチェック。朝日歌壇(5/27)、永田和宏選の3首、「『恒久の平和』の『恒』を名に入れた息子二十二 憲法記念日」(宝塚市 河内香苗)、「守られて育てられしに忘れゆく母のごときか憲法というは」(高島市 山口マリ子)、「六十八年ひとりの兵も戦死せぬ日本でありたり『九条』変えるか」(松戸市 猪野富子)とともに、高野公彦選「老い進み人の名浮かばぬ母なれど改憲首相を名指しし嫌う」(盛岡市 菊池陽)がこころに響く。あれは高校1年のときだった。社会科の授業で「憲法改正は是か非か」というテーマで議論したことがある。私は「改正は可能だ」と主張した。「憲法絶対無謬説・改正不能説」に納得がいかなかったからだ。さて、いま私はどう考えるか。

いい出会いを重ねる

☆5/26(日)。今日は静岡県人権・地域改善推進会での講演。7時半起床。9時02分のバスで出発する。名古屋で途中下車し、先ずトーキュウ・ハンズへ向かう。目的は筆記具。「ペンテル・プラマン」と入れ替え用カートリッジ、プラチナ「採点ペン」、合わせて4410円を購入する。岐阜ではなかなか手に入らない品物なんだな。ああよかった。ついで高島屋三省堂書店へ。堀口大學訳『訳詞集 月下の一群』(岩波文庫)、絲屋寿雄『菅野すが─平民社の婦人革命家像』(岩波新書)、海老坂武『加藤周一─二十世紀を問う』(岩波新書)、飯間浩明『辞書を編む』(光文社新書)を買う。

☆「静岡人地会」の総会参加者は100人あまり。A会長、T会長代行など懐かしい方々と再会を喜び合う。風土に合った取り組みの中で成果を上げてきた人びとの自信が伝わってくる。あれはいつだったかな、「人地会」の前身、自由同和会静岡県連時代に裾野(すその)市で開かれた研修会で、「女性が衆議院議員選挙に初めて立候補・投票できたのはいつですか」と尋ねたら、80歳近い女性が「昭和21年(1946)月4月10日です」と投票日をおあげになった。「よく覚えておられますね」というと、「その日は、棄権防止の活動をしておりましたので」とのご返事。読んだこと、聞いたことは忘れやすいけれど、行動したこをは忘れにくいもの。静岡県には秘められた文化力があるんだと思ったものだ。

☆帰路、名古屋で途中下車し、友人のIさんと会う。彼は10年以上前、岐阜大の社会教育主事講習で知り合った友人だ。いまは中学校の校長をしている。こんど、わたしを学校に呼んでくれるというので、その打ち合わせのための一杯。ありがたいなあ。よき友、うまい酒、おいしい肴。いうことなし。最終バスにギリギリで間に合う。

☆「総会と会計報告を拝受しました。長い間ご苦労さまでございました。最後の総会、三重のO君と、出席したいね、といっていたのですが、それもかなわず、残念でした。盛会だったとのこと、何よりでした。『同和はこわい考』以来、ずっと、読ませてもらったり、お話を聞かせてもらったりしてきました。素朴な疑問を大事に、きばらず、力まず考えつづけ、語り、語り合ってこられた藤田さんの歩みは、私にとっても、自分の生き方、人との関わり方を、その都度、教えられるものでした。機会があったら、お会いしたいものです。ご自愛の程、念じあげます」(滋賀県長浜市 Kさん)。ありがたいお言葉に励まされれる。

毎日新聞に記事が載る

☆息子のk2から毎日新聞の記事と写真が携帯に送られてきた。孫二人が自転車の乗って新聞(5/25朝刊、岐阜版)を届けてくれる。以下は、その全文。

 同和問題で研修会─藤田元教授が講演
 人権問題への理解や認識を深めてもらおうと、県は23日、本巣市の市民文化ホールで同和問題研修会を開いた。県人権懇話会長で元岐阜大教授の藤田敬一さん(74)が「よく生き合うということ─人権感覚を磨くために」と題して講演した。
 藤田さんは、戦時中に疎開先が「被差別部落」出身の家で、近所の子どもに地名を言いながら石を投げつけられた体験などを語り、「偏見と差別は人と人との関係に根ざしている。人を外見で判断したり、集団で個人を、個人で集団を決めつけていないか」と問いかけた。
 また、近畿地方で同和問題を口実に自治体に不当な要求を強要した事件などに触れ、「〝人権〟という2文字に戸惑うかもしれないが、学び悩みながら、自分が納得できる言葉で理解していってほしい」と訴えた。
 研修会には市民や企業、行政、教育関係者ら約270人が参加した。(加藤沙波)

☆毎日新聞の取材を受けたのは初めてだ。記者は学生時代に部落問題について関心をもつようになったという。関心を持続してほしいと願う。

 孫たちが運んでくれた新聞には、「柳田邦男の深呼吸─「現代社会の生と死」─人間性喪失は無人称化から」が載っている。このエッセーはファイルすべし。

 人の生や死について、人称性という視点から考えると、問題の本質をより明確にとらえることができるようになる。私がそういう問題提起をしてからすでに十数年経つが、最近、その視点がいちだんと重要になってきたと確信するようになった。(略)作家の石牟礼道子さんは、「行政に人の心の中を思いやる情けがあれば、患者・家族の苦しみが分かるはずだ」と語った。合理主義、効率主義に支配された行政に対し、今や死語と化した「情けがあれば」という言葉をあえて使ったことに、客席にいた私は感銘を覚えた。この場合の「情け」は、私の人称論で説明すると、患者(一人称)・家族(二人称)に寄り添う「潤いのある2・5人称の視点」に相当する。(略)橋下徹氏が、戦場で命をかけて戦っている兵隊に慰安婦は必要と語り、論議を呼んでいるが、その文脈の中では、慰安婦は人格などのない性処理の道具として無人化されている。心が砂漠化した現代において求められるのは、政治・行政から企業や個人に至るあらゆる層で、血の通った人間観を回復することだ。

☆明日(5/26)は、静岡県人権・地域改善推進会総会での講演があり、帰路、名古屋で友人と一杯やる予定。ブログは休みに。
 

岐阜市人権教育・啓発専門委員会(講師団全体会)のことなど

☆爽やかな朝。8時過ぎ、気持よく目覚める。枕元の寒暖計は21度。外は快晴だ。書斎兼寝室のミニキッチンで洗顔し、2階でコーヒー・玉子ドーナツ・ヨーグルトの朝食をとる。10時、ルカを病院に連れてゆく。この分では生きながらえることができそうな気がする。

☆12時半、岐阜市役所に向かう。岐阜市人権教育・啓発推進専門委員会だ。私が述べたのは三つ。第1に、いまや基本的人権をないがしろにするような言動が広がっている中で、これまでの個別課題的な「人権尊重」の主張が根底から揺さぶられているという事実認識に立つべきこと、第2に、学校における人権教育の取り組みには子どもの視点が抜けがちなので、桜井智恵子『子どもの声を社会へ─子どもオンブズの挑戦』(岩波新書)をぜひ読んでほしいこと、第3に「押しつけ憲法」論には、自由・平等・非戦を求めて格闘した人びとの歴史を意識的・無意識的に無視している事実を踏まえ、例えば山室信一『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞社)などを読んでほしいこと。委員長のメリハリの利いた議事運営で、この委員会では議論が深まりそうな予感がした。

☆マーサ21の「イオン・スポーツクラブ」で軽く泳ぐ。終わったあと少し買い物をして帰宅。5時40分、孫2人を乗せて保育園へ。6時過ぎ、ウイスキーの水割りタイムに突入。

☆岐阜県主催「生き合い講演会」(5/23。本巣市民文化ホール)の参加者からメールが届く。
  「〈人権は、人が人として持っている権利ではない。〉藤田先生の言葉に、思わずニヤリとしました。〈こんな当たり前な事を、当たり前に人前で言える人が居るんだ。〉私も少なからず、人前で話をする事が有るので、このフレーズを使わせて貰おうと思います。」
  「人権問題と向き合うためにどうしなければならいかを頭で考えるのではなく、自分の身近ところから考え、実行していく必要があることを実感しました。今後努力したいと思いました。」
  「藤田さんのお話は今回で2回目ですが、前回と同様、お話をお聞きした後は心が晴れ晴れといたしました。(略)このたび藤田さんのお話をお聞きし、今自分に出来ることは、弊社の社員にも藤田さんのお話をお聞きする機会を設けることで、人間としての真理を再認識してもらうことだと考えました。民間企業の社内研修となりますが、よろしければ、ぜひお力添えをいただきたく思います。」 
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  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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