田舎に住んでいると・・・。

18/6/11(月)晴れ。
☆二度寝して9時、起床。岐阜市郊外に暮らしていると、都会に出るだけで疲れる。昨日の四日市往還で疲労困憊。人に酔うのだろうなあ。▲午後、プールへ。イオンで買い物を少し。一希が病気(溶連菌による感染症)で病院から、わが家に帰ってくる。眞一と莉子は元気。▲記事の切り抜きと整理に精を出す。寺島書店に、池澤夏樹『詩のひらめき』(岩波書店)を注文する。黒川祥子『県立!再チャレンジ高校─生徒が人生をやり直せる学校』(講談社現代新書)を読み始める。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

「人権フェスタかんざき」で友人たちと再会する。

18/6/10(日)曇り。
☆携帯の目覚ましで7時、起床。軽い朝食をとり、朝刊にざっと目を通す。8時、出発。JR岐阜駅横の西駐車場に車を止める。「部落解放同盟矢田支部結成60周年記念集会」欠席の葉書を投函。9/1は奈良に出かけることになっているからだ。ああ残念。▲JR岐阜→名古屋経由→近鉄四日市駅のルート。車中で、渡部良三『歌集 小さな抵抗』を読み終える。挟まれていた、上丸洋一さん(編集委員)の書評「語り継ぐべき稀有の人間記録」(12/2/5M)を再読する。〇「上官の命令は、天皇の命令と心得よ、と軍人勅諭は兵に命じた。天皇の命令に従って捕虜を虐殺するか、神の命令に従って虐殺を拒むか。キリスト教を信仰する22歳の新兵が選んだのは、後者だった。(略)日本がかつてアジアを侵略したこと、その軍隊で渡部の『小さな抵抗』があったこと。これらはともども時代へ語り継がれねばならない。本書刊行の歴史的意義は大きい。」上丸さんの意見に同感する。▲四日市駅には、古くから友人・川森湧子さんが出迎えてくだる。「人権フェスタかんざき」の会場は神前小学校体育館。280人ほどの市民が集まってくださっている。わたしは「いのち・生き合う─人権問題と向き合って60年」と題して1時間半、思いのたけを語りかけた。終わって、友人の坂倉加代子さんが会いに来てくださった。ああ、うれし。わたしと四日市市を繋いでくださったキーパーソンだ。四日市市に出かけるようになって40年。いい出会いが長い繋がりになったということ。「人権フェスタかんざき」のスタッフに、こころから感謝したい。▲帰りの車中で居眠ってしまう。6時半、帰宅。

☆「虐待?を目撃」(主婦・高田瞳。千葉県・33歳。「声」6/10M)〇東京都目黒区の5歳の女の子が亡くなった。両親からの虐待が疑われ、覚えたてのひらがなで謝罪の言葉をノートにつづっていたという。先日、あるハンバーガー店で、2歳ぐらいの男の子と母親が隣の席についた。母親は「あなたがいなかったら、こんなところに来ない」「本当に、いつもだめね」などと男の子にきつい言葉をあびせ始めた。思わず耳をふさぎたくなった。男の子は、最初はおとなしくしていたが、次第に泣くのをこらえて震え出した。「そこまで言わなくてもよいのでは」。そう思ったが母親に逆上される恐怖が勝り、何も行動できなかった。帰り際、涙目の男の子は私を見つめて動かなかったが、やがて母親に手を引っ張られて店を出て行った。たまたま親の機嫌が悪かっただけかもしれないし、厳しく接していると言われればそれまでだ。偶然居合わせただけなので名前すら知らず、どこかに連絡するのも大げさな気がした。事件以来、男の子の帰り際の悲しそうな目が忘れられない。あの子もつらい日々を送っているかもしれない。あの時、私はどうすべきだったのか。▲昔も、親の虐待はあったが、最近の報道はつらい。親に、子どもと生き合う力が弱っているのだろうか。

☆「フォーラム:先生 忙しすぎ?」(6/10M)〇先生が忙しい─。学校現場から悲鳴に近い声が上がり、朝日新聞デジタルのアンケートにも厳しい実態が寄せられています。「脱ゆとり教育」やいじめ問題への対応など、先生の仕事は増えています。このままでは、子どもたちの学びへの悪影響も心配されます。有効な解決策はあるのでしょうか。みなさんと考えます。(全4回)▲中見出しに、「能力や意欲ある人ほど」「7時出勤 終わらぬ仕事」「中学教員6割、過労死ライン超」とある。連載の完結を待ってから感想を述べたいと思うが、それにしても「現場の声」を実名を語る人が少ないように思うのは、わたしの偏見かなあ。▲今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

「八賀晋さん(三重大学名誉教授)を偲ぶ会」に出かける。

18/6/9(土)晴れ。
☆10時、チャチャをオアシス動物病院に連れて行く。体重3.9㌔、体温38度。11時、プールでフルメニューを楽しみ、イオンで買い物を少し。午後、記事の整理と読書(渡部良三『歌集 小さな抵抗─殺戮を拒んだ日本兵』岩波現代文庫)。5時前、野元里佐子さんのダンナさんの車で、新岐阜の居酒屋「ぶらっ菜」へ。今夕は、「八賀晋さんを偲ぶ会」。ご逝去から3年。岐阜大教育学部史学科卒業生や考古学関係者ら20人ほどが集まった。テーブルの向こうに卒業4年目の青年二人が座る。ひとりは大垣市の小学校5年生担任、もうおひとりは福井県越前市の学芸員だとか。目がキラキラと輝いている。すばらしい。みなさんによる近況報告のあと、わたしが「岐阜大史学関係教員の思い出」を語る。松本平治、野村忠夫、勝俣鎭夫、日置弥三郎、栗山義信。なによりも関係がフラットだったこと、わたしのわがままを温かく許してくださったことが忘れられない。八賀晋(すすむ)さんは史学科の卒業生。30年間、考古学の非常勤講師を勤めてくださった。亡くなられたいまも、こうして「偲ぶ会」が開かれるのは、そのお人柄による。早川万年さんの音頭で「一本締め」。来年の再会を約して散会。野元里佐子さんのダンナさんの車で自宅まで送っていただく。深く感謝する。▲明日は四日市市「人権フェスタかんざき」へ。7時起床の予定。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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藤田 敬一

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