中野晃「社説余滴-石碑の崔氏が語るもの」を読む。

2020/4/6(月)曇り、のち晴れ。
☆カミサンに依頼された郵便を西改田簡易郵便局で投函。中身は京都のマユちゃんあての手製マスク。マーサ21の確定申告所でカミサンの書類を投函。あとプールで遊び、イオンで買い物。帰宅後は、記事と読書に精を出す。

☆中野晃(現高松総局次長)「社説余滴-石碑の崔氏が語るもの」(4/5M)を読む。〇石碑はすっかり黒ずんでいたが、刻まれた名前が、百余年前の非業の死を今に伝えている。熊本県人吉市の山あいにあるJR肥薩線の大畑(おこば)駅。(略)碑は桜の木に囲まれて静かに立っていた。「鉄道工事中殉難病没者追悼記念碑」は、付近の工区を請け負った建設会社「間組(はざまぐみ)」が1908(明治41)年に建立した。碑に刻まれた犠牲者14人の中にひとり、朝鮮人がいた。「韓國京畿道南陽郡新市街 崔南吉 三十三歳」。熊本と鹿児島を結ぶ鉄路は日露戦争を挟む1900年代に建設された。(略)この碑を2月、韓国の研究者グループが訪れた。日本の植民地支配期の労務動員を研究する鄭恵瓊(チョンヘギョン)さん(59歳)は「人里離れた山奥に立つ追悼碑が、百年を超す韓日間の歴史を教えてくれます」と語った。崔氏がどのような経緯で海を渡って来たかは分からない。ただ、碑に残るその名前は「韓国併合」(1910年)の前から、朝鮮の人々が日本で過酷な労働に就いていたことを示す。(略)朝鮮人は明治期から安価な労働力として過酷な現場に移入され、日本の近代化を支えたこと。(略)戦時中は各地で大勢の中国人も犠牲になった。命を落とす外国出身の労働者は技能実習生など今も続く。(略)碑がなければ、崔氏を知るすべはなかった。一方で、どれだけの死が忘却されただろう。何もなさねば、歴史はおのずと消えてゆく。◆日本の現代は近代と地続きということなんだな。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

「人間であるということは・・・」

2020/4/5(日)曇り、のち晴れ。
☆午後2時過ぎ、プールへ。フルメニューを楽しみ、5%引きのイオンで買物。帰宅後、記事の整理と読書に精を出す。

☆鷲田清一「折々のことば」(4/3M)〇人間であるということは、自分には関係ないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩(じくじ)たることだ。サン=テグジュベリ。忸怩たるとはここでは「責任を感じる」ということ。郵便物を搬送する飛行士が遭難した。看護にあたる僚友は、彼が「人間のあいだに新たに建設されつつあるもの」に自ら職務を通じて繋(つな)がっているという感じでいたと言う。人々の歓喜や悲嘆と自分は無縁でないと。20世紀フランスの作家の自伝的小説『人間の土地』(堀口大學訳)から。◆「自分には関係ないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たること。それは責任を感じることだ」と、鷲田さんは言う。むすかしいなあ。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

「滋賀再審無罪」関連の記事を読む。

2020/4/4(土)晴れ。
☆2時、プールへ。フルメニューを楽しみ、イオンで買い物を少し。夕方、記事の整理と読書に励む。

☆権力の闇は深い。「元・看護助手 再審無罪 滋賀・患者死亡『自白信用できない』」(3/31E)・「元・看護助手 再審無罪に 裁判長・刑事司法の改善訴え」(4/1M)・「再審無罪 15年分の涙 西山さん安堵『普通の人生を』」(4/1M)・「弁護士・元裁判官 井戸謙一さん 無実の罪 晴れてなお もと看護助手の自白 『恋心』利用し誘導 報告書伏せた警察」(4/1M)・「天声人語」(4/3M)・社説「滋賀再審無罪-司法の改革につなげよ」(4/4M)などを読む。狭山事件にかかわったのは1974年秋だった。部落解放同盟狭山闘争本部で『狭山パンフレット』などの編集に関わって46年。いい勉強をさせてもらった。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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藤田 敬一

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