打撲傷(打ち身)の痛みは、だいぶやわらいだ。

18/11/19(月)晴れ。
☆9時半、起床。眞一君が体調不良で、わが家に来ている。3時半、プールへ。ジャグジーとシャワー、水中ウオーキング(300㍍)を楽しむ。イオンの買い物は少しだけ。▲手塚治虫『手塚マンガで憲法九条を読む』(子どもの未来社)を読了。丁寧な編集に感心する。手塚さんは1928(昭和3)年生まれ。わたしの姉(秀ちゃん)と同年だ。戦中を17年間生きた世代。それだけに戦時中生活の描写は微細。自らの体験と信頼できる資料に基づいているからだろう。わたしは、「1985への出発(たびだち)」が興味深かった。「進駐軍兵士と子ども」や戦争孤児たちの様子が、わたしの体験と直接重なっているからだ。小森さん(東大教授)の各編解説、野上暁さん(子ども文化評論家)の巻末解説「手塚治虫の戦争と平和」も、読みごたえがある。

☆「侵略被害も語りついでほしい」(無職・上方一郎。無職・石川県・68歳。「声」11/19M)〇声欄の「語りつぐ戦争」をいつも拝読している。時には涙しながらに、時には人々に苦難を強いた為政者や軍人に対する憤りと共に。同時に、最期の瞬間に何ら語り残せず亡くなった数多(あまた)の犠牲者が語りたかっただろうことに思いを馳せる。日本の侵略と植民地支配に蹂躙されたアジアの人々にも、もちろん「語りつぐ戦争」がある。長い歳月が経過しており、多くの困難が伴うが、事情が許すなら日本在住の体験者の方やご遺族、お知り合いの方たちから、ぜひお話をうかがいたい。投稿でもどんな形でも貴重だ。最近、日本の加害の実態に触れることを「自虐的」などと言う風潮ががある。しかし、平和を願い、戦争の実態を知ることは、何ひとる語れぬままに亡くなった人々に対する唯一の供養だと思う。戦争体験のない世代が圧倒的多数となった今、この国が二度と過ちを繰り返さないためにも、私たちはまず知ることから始めなければならない。▲そうだな。自らを被害者に仕立て上げることほど見苦しいことはない。

☆「子連れランチ 心も満腹」(愛媛県伊予市・坂田恵・会社員。42歳。「ひととき」11/19M〇母と10カ月の娘を連れて、ランチタイムにイタリアンに入った。入店する際、「ベビーカーの子ども連れですが、いいですか」と少し緊張気味に尋ねたのは、以前、お気に入りのレストランに行った時、「子どもはお断りしています」とあっさり拒まれたからだ。今回の店のこわもての店主は「どうぞ」の一言。席に座って食べ始めたが、子どもはおもちゃを落としたり、大きな音を立てたり。ヒヤヒヤして早めに店を出ようとしたところ、店主が大きなカエルのぬいぐるみを手に、私たちの席にやってきた。「子どもさんのところに置いてあげてください。体が壁に当たらなくていいでしょう」と。そして、「時間があるならコーヒーをいれますよ。ゆっくりしていってください」と、はにかんだような笑顔で言ってくれた。私と母は慌てて着ようとしていた上着を置いて、また席に腰を下ろした。いれてもらったコーヒーは、あまさに至福の一杯。心からくつろいで、気持ちがいっぱいになった。店主の飾らない優しさに救われた思いがした。▲愛媛は親父のふるさと。こういう出会いができる愛媛に乾杯!今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

山小舎に出かける。

18/11/18(日)晴れ。
☆9時、起床。朝食はコーヒーとサンドイッチ。朝刊にざっと目を通す。11時、イオンへ。木炭(6㌔)2ケース、ビール1ケースをゲットして、山小舎に向かう。11月22日から25日まで、関東・関西の友人たちを迎えることになっている。その準備のため。円原川の水量が細っているのが気になる。紅葉は盛りを過ぎたかな。12時半、到着。東屋そばの蛇口をひねると、水がどっと出た。ああよかった。これも、メインテナンスを引き受けてくれている田中利章さんのおかげだ。荷物を片づけ、1時半、下山。マーサ21で「すがきやラーメン(320円)」を食べ、プールへ。ジャグジーに入り、シャワーを浴びる。イオンで買い物を少し。4時半、帰宅。帰りかけていた娘(J2)と挨拶を交わす。▲カミサンが注文した、手塚治虫(解説・小森陽一)『手塚マンガで憲法九条を読む』(子どもの未来社)を先に読ませてもらうことに。おもしろい。

☆「吃音(きつおん)の自分を受け入れ人生開けた」(無職・比嘉義裕。沖縄県・69歳。「みんなで語ろう─私の修羅場」11/17M)〇一昨年、脳出血で入院した。右腕と右足にまひが残ったが、早目の対応で命は救われた。人生の大ピンチだった。だが、見た目にはなんの障がいもない吃音との格闘こそ私の人生の修羅場であった。中学高校時代は朗読やスピーチの時間で言葉がスムーズに出ず、吃音を強く意識していた。私は治さないと自分の未来はないと大きな悩みと不安を抱えていた。矯正本で、矯正所で、必死に取り組んだが、治らなかった。大学に入り、吃音の仲間とサークルを結成。仲間ができたことは大きな転機になった。やがて、自助グループの全国言友会連絡協議会があることを知った。私は、吃音を持ったまま、吃音から逃げず、吃音を言い訳にせず、自分のやりたいことを積極的に行動に移していこうという会の考え方に共鳴し、変わっていった。仲間の輪を広げ、沖縄言友会を創立した。思いもしなかった教師になり、充実した教職生活を過ごせた。私は吃音を持ったありのままの自分を受け入れることで、私の人生の修羅場からやっと自分の人生を切り開くことができた。▲岐阜大学教育学部の同僚に吃音の友人がいた。彼が教授会で発言しようとして言葉に詰まったとき、学部長が「何が言いたいんですか」と迫ったので、わたしは思わず「待てないんですか!」と発言していた。人権感覚とは「とっさの判断」なんだなと、そのとき気づいた。

☆「朝日歌壇」(11/18M)から〇「よく戦い飢(かつ)えて死せる兵士らに深く詫びつつ新米を食む」(足利市・西村照代。高野公彦選評「太平洋戦争での戦死者の中に餓死者が多かったことが、例えば吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書)などに記されている。そうした死者たちを思って、つつましい気持ちで新米を食べる作者」。▲戦場における餓死の悲惨さ。「朝焼けも夕焼けも好きな場所で見る初心者マーク付けて私は」(富山市・松田莉子。永田和宏・佐佐木幸綱共選)、「ケンカするパターンを知り回避する言葉に気づく林檎の季節」(富山市・松田わこ。高野公彦選)。久し振りの松田さん姉妹。いいなあ。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。

読書の愉しみを満喫する。

18/11/17(土)晴れ。
☆同居人・マリリンの要望に応え、4回ドアーを開け閉めする。二度寝して9時半起床すると、昨夜のうちに廊下へ出しておいたゴミはカミサンが道向こうの集荷場に持って行ってくれていた。感謝。10時過ぎ、チャチャを動物病院に連れて行く。体重3.64㌔、体温37.8度。帰宅後、朝食を取りながら朝刊をチェックする。午後、片岡佳美『子どもが教えてくれた世界─家族社会学者と息子と猫と』(世界思想社)を読み終える。「子どもは、私の中にある『これはこうだ』とか『こうすべきだ』といった認識を揺さぶるような問いを次々に投げかけてきます。そのたびに、『子どもはどうしてそうなのか、どうしてこうでないのか』と戸惑い、途方に暮れ、ときに怒ったりもしました。でも、そうしながら、考え続けていくうちに、『人間っておもしろな』としみじみ思えてくるのでした。(略)この本は、私が子どもとの出会いを通して得た、そんな体験について書いたものです。子どもという『異星人』が私にどんな世界を見せてくれたか、そして、その世界はどれほどたくさんの自由な色であふれているか─私の驚きと喜びが伝われば幸いです。」(「はじめに」)。肩肘を張らず、素直に子どもと向き合う。「べきである・ねばならぬ」という、大人の硬直した発想に苦しんでいる子どものホンネを的確にとらえる。その視点の柔らかさに感心した。著者は、島根大学法文学部教授だが、文章が読みやすく、目配りも行き届いている。いい本と出会って読書の愉しみを満喫した。

☆「ひびをなでながら」(京都府八幡市・篭(かご)敦子。小学校教諭。42歳。「ひととき」11/17M)〇保育園から帰宅すると、4歳の次女が「コップ壊れてん」とリュックから出してきた。(略)連絡帳に「給食の時、何度も布巾をとりにくるのでおかしいと思ったら、底がひび割れていました」と書いてある。私がひびを見ていたら「今日、楽しくない日やってん」と次女。ひび割れが原因かと思うと、仲良しの子が給食を食べずにお母さんと帰ったからという。他にも保育園に来ていたお母さんの話をする。保育参観の日だった、と気づく。3日間あったが都合がつかなかった。(略)今日は親子で公園を散歩する日。「みんなお母さんがきてくれるねん」。行けなかった理由をどう説明するか考えていると「かぁかも来ればよかったなぁ。公園で遊ぶの楽しかったで」とニコッとする。子育てと仕事を両立して約4年。母として娘たちに認められたいし、社会にも必要とされたい。そんはざまで、コップのようにひびが入ることがあるのかもしれない。割れないよう、よしよしと傷を一緒になでていこう。次の休み、その公園に行く約束をした。▲4歳児の本心を詮索するより、関西弁で語る気持を素直に受けとめるのがいいんだろうなあ。今夜は、ここまで。ではまた。おやすみなさい。
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  • 山小舎を閉じる。
  • 孫たちと久しぶりに山小舎へ行く。
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